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第41話 明日への演説

 チョコレツィカが大型装甲車の側面に掛けられたアルミ製の梯子の両端を左右の手でぎゅっと握ると、拒むような硬さと冷たさが伝わってきました。踏板を一段ずつ登りながら、彼女は子供の頃のチョコクラージュの優しい笑顔を思い出していました。今、梯子を登っている、この、わたしの脚。この脚はチョコクラージュと、サッカーをした脚だ。この膝は、チョコクラージュが絆創膏を貼ってくれた膝。この膝は、お家の中でハイハイしてお母さんに近づいていった膝でもある…。

 屋根に登ったチョコレツィカは、広大な広場を見渡しました。第一機動隊が用意した四台の照明電源車が、それぞれ異なる方向からチョコレツィカに向けてまばゆい光を照射しました。その瞬間、集まった群衆から、地響きがするほどの歓声が上がりました。

「チョコレツィカ!チョコレツィカ!チョコレツィカ!」

 チョコレツィカコールまで起きていましたが、彼女の胸の内は複雑でした。ブラックカカオが、数え切れないほどの罪無き人々を殺してきた凶悪な独裁者であることは事実ですが、自分達が最終的に暴力という形でその独裁者と閣僚を倒したこと、その独裁者にも子供がいることを考えると、群衆の声に笑顔で手を振って応えるような気持ちにはなれませんでした。あのままブラックカカオと閣僚たちが生き続けていたら、今日も、明日も、その先も、毎日たくさんの人々が殺されていただろう。自分達のしたことは決して間違っていない、これしか無かったんだといくら自分に言い聞かせても、心に浮かぶのはブラックカカオや閣僚たちの、子供たちのことでした。

"とにかく今は、演説に集中しなければ!"

 チョコレツィカはそう思い、顔を前に向けました。


「みなさん、お集まり頂き、ありがとうございます!」

 チョコレツィカは、用意されたマイクに口を近づけて、第一声を発しました。再び、群衆から大きな歓声が上がり、彼女は装甲車が地響きで振動するのを感じました。


「今から25年前…わたしは大好きな両親と、幸せに暮らしていました。10歳の誕生日に、わたしの家に友達が来て、お祝いをしてくれました。両親の笑顔と、友達の笑顔。今日までわたしが生きてこられたのは、その温かな思い出が心の中にあったからなのです。その日、わたしは友達の一人と、小さな小さな折り紙で折った鶴を交換しました。その鶴は今、わたしの胸のポケットに入っています。それをくれたのは、チョコクラージュでした。ブラックハウスを爆破し、自らの命と引き換えにブラックカカオを倒した、チョコクラージュ副大臣です。彼はわたしと同じレジスタンスのメンバーで、わたしの幼馴染みでした。彼の両親とわたしの両親は、折り鶴を交換した数年後、ブラックカカオ直属の親衛隊に連行され、収容所に入れられました。昨日まで一緒に暮らしていたお父さんとお母さんが、ある日突然、いなくなるのです。その喪失感、絶望感は、味わった人にしか分からないものです。何の罪も無い、わたしの大切なお母さんと、お父さんを連れ去り、死に至らしめた人達を、わたしは絶対に赦すことはできません。わたしはチョコクラージュと同じことを、自分でやろうと考えていました。彼が、そのことに気づいていたのかどうかは分かりません。しかし、わたしは彼にクーデターを実行すると伝えていたので、気づいていなかったとしても、どっちにしろ、わたしを守るために先に実行したことだけは確かなのです。暴力という手段はいかなる理由があっても許されない。それは、人間の世界でも絶対的な鉄則として、言われていることです。それは、人権の保障をきちんと定めた法というものが存在する社会においては、当然です。法の秩序は、決して乱してはならないのです。しかし!このチョコの国には、そもそも法が存在しないのです!法が存在しないということは、法定手続きも存在しないということです。完全なる『人の支配』を自らの手で行ってきたブラックカカオを、非暴力の手段で倒せる可能性など、ゼロに等しかったのです。綺麗事を並べて結論を一日、先に延ばすたびに、また多くの命が奪われていく。お父さんとお母さんを失う子供たちの数が増えていく。わたしはもう、限界でした。わたし一人が、『秩序を乱した犯罪者』として非難され、罵倒され、否定されるだけで、この悲劇を止められるのであれば、喜んでやってやる!そう思ったのです。しかし私は、ただ爆破して殺せばいいと思ったわけではありません。人々からは無条件で必ず非難されることを前提として、自分にとって正当化できるのはどんな条件が揃っている場合だろうかと考えてみたのです。その結果、『①当該社会に公正な法が存在せず、人の支配のみが存在する②過去と現在の両方において独裁者によって市民の殺害が継続的に行われており、その殺害が罪刑法定主義に基づいていない③それが今後も続く蓋然性が高い④独裁者を殺害するための暴力は完全に独裁者のみに向けられ、市民が巻き込まれる可能性が皆無である⑤独裁者が排除されたのち、ただちに議会制民主主義などの民主的な政治体制へ移行される。すなわち、独裁を引き継ぐための排除ではない』という五つの条件だという結論に達しました。わたしは学者ではないので、これについては議論の余地はもちろんあると思います。わたしが言いたいのは、チョコクラージュがやったことは、少なくともわたしの考えたこれらの条件は、全て満たしているということです。数え切れないほどの善良な人々が独裁者によって殺され続けていたのに、それを止めた彼を『暴力によって秩序を乱した犯罪者』として非難する人がいるとしたら、わたしは賛同することは出来ません。しかし、異論や反論というのは、とても大切なものです。だから皆さん、自分の意見は臆さずに何でもおっしゃって下さい。それは民主主義において、最も大切なことです。わたしは、人間の世界にある議院内閣制という民主的な政治体制を、このチョコの国で実現させていきたいと思っています。公正な選挙を行い、みなさんが投票をして、国会議員になる人を選ぶのです。そして選ばれた議員が、みなさんの思いを実現させるために、頑張るのです!人間の世界には、『社会契約説』という考え方があります。権力というのは神が与えたものではなく、みなさん一人ひとりが、生まれながらに持っている権利を、信頼に基づいて託したものだという考え方です。民主主義の根幹を成すものは、『あの人なら、きっと、正しいことをしてくれる』そういう、信じる気持ちなのです!みなさん、わたしは、みなさんを信じています。みなさんなら、このチョコの国を、世界で一番やさしく温かい国にしていけると、信じています。子供たちが毎日、大好きなお母さんや、お父さんと幸せに暮らしていける国を創っていけると、信じています!」


 チョコレツィカが最後の言葉を述べると、聴衆から再び大きな歓声が上がりました。チョコレツィカは、静かに右手をジャケットの胸に当てました。内ポケットに入っている折り鶴から、"チョコレツィカ、お疲れさま…ありがとう"という優しい声が聞こえたような気がしました。

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