第17話 アネモナ
ドイナは、大切な友達であるペイズリー3世が大人の男の人に硬い拳銃で殴られる光景を目の当たりにして、恐怖で頭の中が真っ白になり、わんわん泣き始めました。
チョコ姫も恐怖で顔が真っ青になっていましたが、ラクラミキオアラと同じようにペイズリー3世のそばに行き、立ち上がろうとする彼の身体をラクラミキオアラと一緒に支えながら、「ごめんなさい…守ってくれて、ありがとう…ありがとう…」とお礼を言いました。
正義感が人一倍強いラクラミキオアラは、自分とチョコ姫を守ろうとしたペイズリー3世を拳銃で殴った男に対する怒りの方が恐怖よりも大きく、はらわたが煮えくり返っていました。しかし、"さっき、怒りにまかせてわたしが歯向かったりしなければ、ペイズリーは殴られずに済んだんだ"と思い、同じことを繰り返さないために、怒りをぐっと堪えました。せめて睨みつけてやろうかとも思いましたが、それも男を刺激してしまう可能性があるので、我慢しました。大切な友達を殴られたのに何も言えない、何も出来ないことが悔しくて、悔しくて、涙があふれてきました。
近くにいた別の制服警官が二人、近づいて来ました。合計三人の警官がラクラミキオアラたちに拳銃を突きつけ、
「牢屋に入れてやるから、こっちに来い。もし暴れたりしたら、どうなるか分かってるな?」
と言いました。仕方なくラクラミキオアラたちは男たちの誘導に従って、建物の入口に向かって歩き始めました。
ラクラミキオアラは、泣きながら歩いているドイナに、とても小さな声で「ドイナ。ペイズリーは魔法使えなくなってたけど、ドイナは鳥の姿になれそう?もしなれるなら、鳥になってドイナだけでも逃げて。お願いだから!」と言いました。しかしドイナは、涙で目を真っ赤にしながら、首を横に振りました。そして、小さな声でこう言いました。
「そんなの、絶対に嫌!ラクラミキオアラたちを見捨てて自分だけ逃げるくらいなら、殺された方がマシ!」
ドイナの目は恐怖に怯えていましたが、同時に、揺るがない決意をしている目でもありました。ラクラミキオアラにはそれが分かったので、それ以上、説得するのはやめました。
「分かったよ、ドイナ。わたしが、絶対守るからね」
「わたしだって…わたしだってラクラミキオアラとペイズリーのこと、絶対守るんだから!チョコ姫のことだって…!」
ドイナの声は小さく抑えられていましたが、強い意志を感じる響きを持っていました。彼女は必死に、強くなろうとしていました。
「ありがとう、ドイナ」
ラクラミキオアラはそう言って、ドイナの手をぎゅっと握りました。それからペイズリーに近づいて、こう囁きました。
「ペイズリー、さっきはわたしが歯向かったせいで…本当にごめんね…守ってくれて、ありがとう」
ペイズリーは砂や土がついたままの顔で優しく微笑んで、ラクラミキオアラの頭をぽんぽんと元気づけるように叩きました。ペイズリーの白いシャツの袖には、倒れたときについた土の汚れだけでなく、赤い血が滲んでいました。
ラクラミキオアラたちは、先頭に立って進む警官と、後ろから拳銃を突きつけている警官に挟まれる形で建物の中に連行されました。そして、そのまま階段を下りて、広い地下室に入れられました。広いのは確かなのですが、壁際に鉄パイプで作られた簡素な三段ベッドがたくさん置かれているうえ、大勢の人たちが既に入れられていたので、のびのび出来るような感じではありませんでした。見た感じ、大体百人くらいはいそうだなとペイズリーは思いました。
その地下室は壁紙が貼られておらず、カーペットも敷かれていませんでした。壁も床も天井も、全て灰色のコンクリートでした。椅子も本棚も無く、あるのは簡素なベッドと、掛け布団代わりの、薄っぺらい大きなボロ布だけでした。ここに寝ろと指示された三段ベッドにはマットレスも布団も敷かれておらず、木の板が剥き出しで張られているだけでした。ラクラミキオアラは"これだったら、草の上の方がずっとマシだよ"と思いましたが、彼女は読書家なので、ナチスドイツの収容所はもっとひどい環境だったことを知っていました。一人ひとりが背中を下にして寝られるだけのスペースを与えられていなかったので、腕を下にして寝ていたことを知っていたのです。"ここは背中を下にして寝られるだけ、まだマシか…"と、ため息をついて、我慢することにしました。
そのコンクリートの地下室で、明らかに栄養が不足している最低限以下の食事と水だけを与えられて暮らす生活が、始まりました。地下室には、ラクラミキオアラたちと同じように人間の世界から連行された、様々な年齢の人達がいました。ラクラミキオアラはその中の何人かと会話しましたが、なぜこんなことになったのか、知っている人はいませんでした。皆、異口同音に"訳が分からない"と言っていました。
その地下室には、ラクラミキオアラよりも幼い、五歳の女の子もいました。初め、ラクラミキオアラはその子の存在に気づいていませんでしたが、地下室に入れられた日の夜、ちょこちょこと可愛い足取りでラクラミキオアラのそばに歩いて行き、話しかけたのです。そのときラクラミキオアラは、ドイナ、ペイズリー、チョコ姫の三人が先に寝てしまい、一人でぼーっとしているところでした。
「みて、これ」
斜め後ろから、急に話しかけられたラクラミキオアラは、驚いてビクッとしました。
「び、びっくりしたぁ〜!」
後ろを振り返ったラクラミキオアラは、目を丸くして、そう言いました。女の子は無邪気に微笑みながら、「これ、これ」と言いました。手に、とても小さい紙切れのような物を持っていました。
「ん…何、これ?」
ラクラミキオアラが訊くと、女の子は、
「スカートだよ」
と言いました。それは、おそらくどこかのお店のレシートだと思われる小さな紙を台形に折り畳んで、縦に細かく折り目をつけた、小さな工作作品でした。
「ああ!スカートか〜!すごいね、これ。ちゃんと折り目がたくさん入ってて、プリーツスカートになってるじゃん!あなたが作ったの?」
ラクラミキオアラが訊くと、女の子は嬉しそうな顔で頷きました。
「あなた、お名前なんていうの?おねえちゃんに、教えてよ」
ラクラミキオアラがそう言うと、女の子は少し恥ずかしそうに、
「アネモナ…」
と名乗りました。




