第139話 解錠
クララはオティリアの安全を最優先に考え、ルミニツァに「警察へは、まだ連絡しないでくれ」と言い残してオブシディアン・タワーに向かったのですが、いつまで経ってもクララが戻ってこないことを不審に思った案内役の担当者は地下駐車場に下り、呆然としているコドリナ、マリオアラ、レオンテ、ルミニツァと対面しました。ドアが開けられたままの、2台のロールス・チョコロイス。床に散らばっているバッグ、小物、剥がされたガムテープ。全てが、彼を驚かせ、慌てさせました。ルミニツァは何があったのかを説明し、チョコレツィカが言い残した言葉と、その理由も伝えてました。しかし担当者は、「もし盗聴器が仕掛けられているなら、ルミニツァさんが今こうして私に説明していることも聴かれているわけだから、今更、警察に通報するのを控えても意味は無いと思います。それに、チョコレツィカさんは丸腰なのに、オティリアさんを拉致した男は銃を持っているんですよね?やはり、警察に通報し、オブシディアン・タワーに向かってもらった方がいいと思います」と言いました。クララは、怒りのあまり握りつぶしたプルガルの脅迫状をルミニツァに手渡していたので、向かった先がオブシディアン・タワーであることは分かっていました。
ルミニツァは同意し、警察に通報しました。警察は最初の事件現場であるレツィカドームの地下駐車場と、次の現場であるオブシディアン・タワーの屋上の両方にパトカーを向かわせました。レツィカドームに向かったのは3台のパトカー、オブシディアン・タワーには3台のパトカーと、20名の隊員を乗せた機動隊の特殊車両が向かいました。
隊員がタワーの屋上に着いたのは、クララがオティリアの背中に巻きつけられた爆弾の時限起爆装置を止めた直後でした。クララはオティリアとともにドルレットの試合を観ることを、まだ諦めていませんでした。クララはドルレットが、施設の子供達だけでなく、オティリア達や、自分⋯つまりチョコレツィカにも試合を観てほしいと思っていることを、よく分かっていました。"その願いを叶えてあげたいし、何より、私だって、あいつの試合をこの目で絶対に観たい!"彼女はそう思いました。
しかし試合開始時刻は目前に迫っていました。屋上に上ってきた機動隊員と対面したとき、クララが腕時計を見ると、午後7時55分でした。試合開始まで、あと5分です。
"オティリアの背中には、時限起爆装置を解除したとはいえ、電気が流れれば爆発する爆弾がまだ巻きつけられている。機動隊は来てくれたが、爆弾処理班はこれから呼ぶことになる。オティリアをここに残して、一人で試合を観に行くなどということは絶対にしたくない⋯"
そこまで考えたときクララは、観戦を諦める決意をしました。
"絶対に諦めたくなかったが、やはり、諦めるしかない⋯。大丈夫だ、ドルレットなら私が観ていなくても必ず、勝ってくれる。それに、オティリアを優先したと言えば、あいつは絶対に責めたりせず、分かってくれる。もし試合が短時間で終わらず、最終ラウンド⋯あるいは延長までもつれ込んだら、少しは観られるかもな⋯"
もちろん、残念な気持ちが全く無かったわけではありませんが、目の前にいるオティリアの笑顔を見ていると、"これで良かったんだ。私は満足だ"と心から思うことが出来ました。
「この子の背中に巻きつけられているのは爆弾です。時限起爆装置は止めましたが⋯」
機動隊員にそこまで説明したとき、クララは突然、気づきました。
"あれ!?待てよ⋯別にこれ、爆弾処理班とか呼ばなくても、ワイヤーの接続部さえ壊すことが出来れば、オティリアの身体から外せるじゃん!それだけなら、爆弾本体をいじるわけじゃないんだから、機動隊の人達でも出来るんじゃないか!?"
しかし、事はそう簡単には運びませんでした。機動隊員と爆弾処理班は役割が厳格に分けられているので、機動隊員の車両に工具が積んであったからと言って、「じゃあ、ちょっと試しにやってみましょうか」という訳にはいかないのです。機動隊員に「申し訳ないのですが、爆弾処理班の到着を待つしかありません」と言われたクララは、万事休すかと思いました。
しかし、そのとき再び、クララはあることに気づきました。
"屋上に出るためのドア、確かドリルで破壊されてたよな⋯?てことは、プルガルはドリルを持って、ここに来たはずだ⋯リュックか何かに入れて。そのリュックに、このワイヤーロックの鍵も入っているんじゃないか⋯?"
「なあ、オティリア!あのオッサン、この屋上に出るとき、ドアの鍵を壊していただろ?ドリルか何かで」
クララに訊かれたオティリアは、顎に指を当てて記憶を探り始めました。
「そう言えば、片手で私に銃を向けながら、黒いリュックから何か出して、ドアノブのところをガリガリ削っていました。音がめちゃくちゃうるさくて、嫌だなと思ったのを覚えています」
「それだ!それ、ドリルだよ。そのリュック、見当たらないけど、どこかに隠してなかった?」
オティリアは再び、考え始めました。
「⋯⋯確か、最初は背負ったまま歩いてて⋯」
「うん、うん。それで?」
「あっ!!」
「どうした!?何か思い出した!?」
「なんか、大きな貯水タンクみたいなのありましたよね!あ、あれです!あれ!」
オティリアは後ろにある高置水槽を指差していました。
「あれの上に、ポーンって投げ捨ててました!リュックを!」
「えっ!!ほんとかっ!!」
「はい!!」
クララは弾かれたように駆け出しました。そして、高置水槽の側面にある梯子をものすごい勢いで上り始めました。
「あった!!あったぞ〜!!オティリア〜!!」
クララは大きな高置水槽の上で黒いリュックを高々と掲げ、満面の笑みでこっちを見ていました。その絵面が面白くて、オティリアは思わず吹き出してしまいました。まるで、森の中でカブトムシを捕まえて大はしゃぎしている男の子みたいだな、とオティリアは思いました。
クララは高置水槽の上で、リュックの中身を確認しました。はたしてそこにはドリルが入っていました。
"ドリルでも接続部は破壊できるが、おそらく"万が一のことがあったら大変です。爆弾処理班の到着を待ちましょう"と言われ、機動隊員に止められてしまうだろう。鍵⋯やはり鍵が欲しい⋯!"
リュックの外側に付いているジップ付きのポケットを開けて手を突っ込むと、求めていた感触を与えてくれる物が、そこにありました。
"この感触⋯間違いない!これは鍵だ!!"
手を引き抜いて、ぎゅっと閉じた目を開けるのと同時に、握りしめた手を開きました。
「やった!!」
それは、いかにもワイヤーロックの鍵という感じの、鍵でした。クララは猛烈な勢いで梯子を下り、オティリアのもとに走りました。そして脇目も振らずにワイヤーの接続部に鍵を挿し、回しました。ガチャリと小さな音がして、ワイヤーは解錠されました。ワイヤーから解放されたオティリアは、涙を流しながらクララに抱きつきました。
「チョコレツィカさん⋯大好きっ!!」
クララはぎゅっとオティリアを抱きしめました。そして、そばにいた警官隊の指揮官に、こう言いました。
「黒いワンボックスカーが、このオブシディアン・タワーの近くに駐められていないか、探してみて下さい。コインパーキング、路上駐車⋯あるいはどこかの駐車場を勝手に使っているかも知れません。その中に、ヤスミン・ディニクさんが雇った運転手の方と、案内役の担当者の方が拘束された状態で閉じ込められている可能性があります。すぐに捜索を始めて下さい。それと、今回の拉致事件の犯人はもう一人いるんです。襲われた者たちは、二人組だったと言っていましたから。残りの一人が、運転手の方達を乗せて逃走している可能性もあります。緊急配備を敷いて、検問を実施して下さい。あと、もうひとつ、大事なお願いがあります。私とこの子の事情聴取は、後にして下さい。必ず受けますから。もし必要であれば、これからレツィカドームまで同行して頂いても構いません。とにかく私達は、どうしても試合を観なければいけないのです!」
指揮官は、今、自分が話している相手がチョコレツィカであることに気づいていました。憲法と刑法の草案を作成し、議院内閣制を採用した民主主義の国としてチョコの国を生まれ変わらせた人物であると、気づいていました。
「はいっ!!承知致しましたっ!レツィカドームまで、車でお送り致します!」
「それは駄目です!そういう特別扱いは、いけません。パトカーの維持費、燃料費は税金で賄われているのです。お気持ちだけ、受け取っておきます。タクシーで向かいますから、同行される場合は、タクシーに同乗して下さい!」
「いや⋯警官がタクシーに乗るわけにはいきませんよ!」
「⋯それは⋯まあ、そうでしょうね⋯」
クララは仕方なく、パトカーでレツィカドームまで行くことを受け入れました。そしてオティリアの目を真っすぐ見て、こう言いました。
「さあ、行くぞ!!デチェバルの試合を、観に!!」
オティリアはまだ涙できらきら輝いている瞳で、
「はいっ!!」
と返事しました。
"人生って、こんなことが起きるものなんだ⋯!辛いこともあるけれど、こんなにきらきらした、素敵な瞬間が訪れることも、あるものなんだ⋯!"
オティリアはそう思いました。そう思ったら、また涙が、あふれて来ました。彼女は自分からクララの手を握り、大きな声で言いました。
「行きましょう!チョコレツィカさん!チョコレツィカさんにも負けないくらい優しくて、ちょっと天然の、私のお兄ちゃんがいるところへ!」




