第140話 ディニクとの対面
二名の警官とともにオブシディアン・タワーの1階に下りたクララとオティリアは、光を放ちながら狂ったように回り続ける赤色灯を屋根に載せたパトカーの後部座席に乗り込みました。
クララの隣に座ったオティリアは、母親に甘える幼い子供のようにクララに身体を寄せ、クララの手を再び握りました。クララは少しおどけた優しい微笑みを浮かべ、オティリアの顔を見ました。そのときクララは、"あれ!?私って、こんな風に微笑むことが出来る人だったんだ⋯!?"と思いました。
もちろん彼女はダリアやアドリアンに対して優しく微笑むこともあるのですが、そのときとは違う微笑み方をしたように思えたのです。まるでオティリアが自分の娘であるかのような⋯そんな微笑みだった気がしたのです。
少し考えてクララは"そうか⋯!分かった!オティリアという存在が、新しい私を引き出してくれたんだ!"と気づきました。ドルレットには恋愛感情を持っているので、母親のような微笑みを彼に向けることはまず、ありません。アドリアンと会うときは必ず母親のダリアがそばにいるので、クララが母親のような顔になることは、やはり、ありません。オティリアにも本当の母親はいますし、オモイザワの別荘で一緒に暮らしているのですが、今ここにいるわけではないので、クララはオティリアのそばにいると、自分の娘のように思えてきてしまうのです。クララはオティリアの目を見つめながら、"見つめ合うだけで心が伝わってくる⋯そんな感じだ"⋯と思いました。そして実は、オティリアもそのとき、全く同じことを思っていました。
クララは腕時計を見ました。午後8時5分でした。"試合開始時刻を過ぎてしまった⋯"デチェバルの笑顔が心に浮かび、彼女は胸がちくりと痛むのを感じました。
パトカーはレツィカドームの地下駐車場にゆっくりと入っていきました。最初に地下駐車場に向かったパトカーは三台でしたが、そのあと追加で送り込まれた二台が駐車場の出入口付近の路肩に停められていました。クララ達が乗ったパトカーも地下に下りたので、事件現場には合計四台のパトカーが並ぶ形になりました。パトカーを降りたクララは周りを見回しコドリナ達の姿を探しましたが、見当たりませんでした。パトカーの中で事情聴取を受けているのかと思い、目を凝らしてパトカーの中を見ましたが、彼女達の姿はありませんでした。
「事情聴取のために警察署に連れていかれたか⋯あるいは、私達と同じように、試合観戦をしてから事情聴取という形にしてもらったのかも知れないな」
クララは、そう言ってオティリアの顔を見ました。
「はい⋯そうかも知れませんね⋯」
そのとき、グレーのダブルブレストのスーツを着た年配の紳士が近づいてきて、被っていた中折れハットを脱ぎ、クララに向かってこう言いました。
「失礼ですが、チョコレツィカさんでいらっしゃいますよね?」
「えっ!?あ、はい⋯そうですが⋯」
紳士は深々と頭を下げ、丁寧にお辞儀しました。頭が元の位置に戻ったとき、あらためて顔を見たクララは、「あっ!!」と思わず声を出しました。記者会見のテレビ中継で見た、大富豪ヤスミン・ディニクその人だったのです。
「ヤ⋯ヤスミン・ディニクさんですよね!?」
クララが目を丸くしてそう言うと、ディニクは「ワハハハハ!」と陽気に笑って、「この国を生まれ変わらせた女性⋯建国の母であるチョコレツィカさんに名前を呼んで頂けるなんて、大変、光栄です」と言いました。
「い、いえ⋯そんな」
「私もさっき、このような事件が起きたことを部下から聞かされまして。驚いて、現場に来たというわけなのです。コドリナさん達がドルレット君の試合を観られなくなったら可哀想なので、私とルミニツァさんの二人で、"事情聴取は後にしてもらえませんか?"と、この現場の指揮をとっている警察官にお願いしたのです。無事、了承してもらえました。彼女達は今、特別観覧席にいます。それと、私は、チョコレツィカさんが試合を観戦出来ないなんて、そんなことは絶対にあってはならないと考えていましたので、試合前に曲を演奏して頂いたロックバンド『ミッシェル・チョコガン・エレファント』の方達にもう一曲、追加で演奏して頂いたり、ビリー・アイリッシュセッターさんが50頭の秋田犬を連れて歌っている映像を大型スクリーンで流したりして、時間を稼いでいたところなんです」
「えっ!?そうなんですか?私、ミッシェル好きなんですけど⋯追加の曲は何を演ってくれたんですか?」
「『ミッドナイト・チョコクラクション・ベイビー』です」
「うわっ!!私も観たかったっ!!私、家でジャックチョコダニエルを飲みながら、よくミッシェル聴いてるんですよ!」
「ワハハハハ!とにかくチョコレツィカさんとオティリアさんも、すぐに特別観覧席に向かって下さい。時間稼ぎにも限界がありますから!連れ去られた運転手二人と案内役の担当者は、私にとって大切な部下⋯仲間です。家族と言ってもいい。私は犯人を赦しません。警察と連携して、逃げている犯人を、必ず捕まえてみせます!チョコレツィカさん達は、安心して試合を観戦してきて下さい」
「は、はいっ!!本当に、本当にありがとうございますっ!!このお礼は、必ずいたしますっ!!」
クララがそう言って頭を下げると、横にいたオティリアも「必ずっ!!」と言って深々と頭を下げました。




