第130話 本心
二日酔いの状態でオティリア達と対面するなど言語道断と考えていたクララはその晩、ギムレット一杯だけを飲み干してクイブル・デ・チョーリから自宅に戻りました。帰り際、クララはトシヒコの目を真っ直ぐ見ながら「本当にありがとうな、トシヒコ。また来る」と言いました。トシヒコは優しく微笑みながら、無言で頷きました。
コンビニではない普通の商店もまだ営業しているような時間に帰宅したクララは、ソファに座り、しばらく宙を見つめていました。心の中に浮かんできたのは、遠い日の父と母の姿、サッカーをしているチョコクラージュの姿、そして面談をしていた頃のデチェバルやレオンテの姿でした。クララはオティリア、コドリナ、マリオアラの三人には面会を拒絶されていたため、三人の顔を見たことはありませんでした。五人と面談をするクララ⋯もといチョコレツィカのために、子供達が通っている学校名、行っている部活動などが書かれた資料を作成した暫定統治機関の職員は、「写真も、あった方がいいですか?もし必要なら、撮影して資料に追加しておきますが」とチョコレツィカに訊きました。しかし彼女は「いや、いらない。彼女達は多感で、繊細な歳頃なんだ。逮捕されて拘置所に入れられた犯罪者みたいに写真なんて撮られたら、傷ついてしまうだろう。もし私が彼女達の立場だったら、嫌だし、すごく傷つく。彼女達には何の罪も無いということを、我々は片時も忘れないようにしなければならない」と答え、文字だけの資料が作られたのです。
"あれから随分、時が流れた。三人は、どんな女性に成長したのだろう⋯"
クララはそう考えながら立ち上がり、本棚の前に行きました。そこには、チョコクラージュの幼馴染みであり、チョコレツィカやチョコクラージュと同じレジスタンスの一員として活動していた過去を持ち、チョコクラージュの秘書官でもあったチョコアデバルが宅配便で送ってくれた、チョコクラージュの遺品であるサッカーの表彰楯と、チョコクラージュからの直筆の手紙が置かれていました。
"最優秀選手賞 チョコクラージュ・サジェアタ"
"第106回 全国高等学校サッカー選手権大会"
クララは表彰楯に刻まれた文字をじっと見つめてから、手紙を手に取り、読み始めました。明日、オティリア達に会う前に、チョコクラージュが自分に託した五人の子供達への想いを、もう一度しっかりと心に刻みつけておこうと思ったのです。
『 チョコレツィカへ
君に手紙を書くのは久しぶりだ。部下としてではなく、一人の男として君としっかり向き合うのも、久しぶりだ。君に笑われてしまうかも知れないが、僕は今すこし、緊張しているよ。
君と初めて会ったのは、僕達が五歳のときだったね。
あの頃、僕たちは幼稚園に通っている児童だったけど、僕達が夢中になったのは、先生の弾くピアノに合わせて歌うことや、お絵描きをすることじゃなかった。ただ無心にボールを追いかけ、蹴ること⋯サッカーだった。
僕は今でもたまに、考えることがある。なぜ、おれは他の何かではなく、サッカーに夢中になったのだろう、と。 それはきっと単純に、楽しかったからだと思う。
それと同じように、僕は君と一緒にいるといつも、すごく楽しかった。生きていると、嬉しいことや辛いこと、腹が立つこと⋯色々なことが起きるけど、いちいち細かく説明しなくても、君は僕が感じ、考えていることをいつも全部、分かってくれていた。だから僕は君のそばにいるとき、他の誰といるよりも安らぎを感じることが出来たんだ。
チョコレツィカ。こういう決断をした僕に対して、君は怒っているかな?もしそうなら、どうか、赦して欲しい。
だけどチョコレツィカ、これだけは忘れないで欲しい。表面的には、僕が君を一人残して、この世から去ってしまったように見えるかも知れない。だけど、本質的には、そうじゃない。同じようにサッカーを愛し、同じようにブラックカカオに両親を奪われた僕達は、手をぎゅっと強く繋いで、遠くに見える微かな光を目指して、暗い洞窟の中を、ずっと一緒に歩いてきたようなものだ。この僕が、死んだからと言って、君と繋いだ手を離すような男だと思うかい?
チョコレツィカ。僕は君と繋いだ手を、絶対に離したりしない。死んでも、僕の手は君の手を強く握っているし、いつも君のそばにいて、今までと同じように、君の一番の味方でいる。君は自立心や自律心が強過ぎて、自分に厳し過ぎるときがしょっちゅうある。だから君自身は、なかなか君の一番の味方にはなれないんだ。だから、これからも僕がなる。君は、笑いながら「気持ち悪い!やめろ!」と言うだろうけどね。
チョコレツィカ。君のことだから分かっていると思うけど、一番の問題は、ブラックカカオや閣僚の五人の子供達のことだ。彼らには、何の罪もない。僕は彼らから父親を奪ってしまうことになる。そうなれば、きっと君は、自分が奪ったのと同じだと考えて、苦悩するだろう。だけどチョコレツィカ、そういうときこそ、物事の本質をきちんと見極めないといけないよ。
まず、ブラックカカオや閣僚たちが犯してきた罪は、万死に値する罪だ。彼らは数え切れないほどたくさんの子供達から、お母さんとお父さんを奪ってきた。そんなことをした後、家に帰り、自分の子供に「誕生日おめでとう」と言ってプレゼントを渡す父親は、どう考えても、まともな父親じゃないんだ。根本的な矛盾に気づいていない、最低な父親なんだ。だけど子供たちは純真無垢だから、そんな父親のことを「世界で一番、優しいパパ」だと思ってしまう。それはもう、僕に言わせれば詐欺みたいなものだ。詐欺をしている当人すら、それを詐欺だと認識していない詐欺だ。
チョコレツィカ、冷静に考えてみて欲しい。ブラックカカオの独裁が続けば、五人の子供達は、悪徳にまみれているのにその自覚すら無い、最低な男たちの「愛情」によって育まれることになる。その愛情は、数え切れないほどの、引き裂かれた家族の悲しみ、苦しみの上に成り立っている愛情だ。彼らがにっこり優しく微笑んで子供たちにプレゼントを渡すとき、彼らの靴の下には他の家の子供たちがいる。他の家のお母さんや、お父さんがいる。彼らは、他の子供たちや、他のお母さん、お父さんを土足で踏みつけているんだ。そんな奴らからプレゼントを貰って無邪気に喜んでいる子供たちは、とても可哀想だと僕は思う。五人の子供たちが、もし人生の中で、そういう悪徳にまみれた、詐欺的な愛情としか出会えなかったとしたら、可哀想だと思う。
チョコレツィカ。五人の子供たちは、父親の死を乗り越えなければいけないんだ。乗り越えて、詐欺ではない、本当の愛に出会わなければいけない。国民の中には、ブラックカカオや閣僚の子供たちに対して、敵意を持っている人達がたくさんいる。五人の子供たちがひどい目に遭うところを見たいと思っている人達も、たくさんいる。僕の仕事は、ブラックカカオと閣僚たちをあの世へ送ることだ。僕はそれを必ずやり遂げる。チョコレツィカ、君はレジスタンスのメンバーだった者達と協力して、五人の子供たちを守ってくれ。レジスタンスの奴らは皆、物事の本質をきちんと理解している。だから「あんなガキを守るなんて、嫌だ」なんて言い出す奴はいない。
チョコレツィカ。もし君に好きな人が出来たら、僕のことは気にせず、むしろ僕の願いだと思って、その人の胸に飛び込んで欲しい。もちろん、本当に信じられる人かどうか、しっかり見極めないとダメだぞ?もし裏切られても、君には僕がいるから、心配することはない。僕は何があっても、君の心を永遠に温め続ける。約束するよ。
愛するチョコレツィカへ
チョコクラージュより 』
クララはチョコクラージュが書き残した言葉のひとつひとつを、噛みしめるように読みました。そして、彼の中にある、五人の子供達への強い想いを、しっかりと自分の心に刻みつけました。"この、チョコクラージュの想いをしっかり背負って、私は明日、オティリア達と対面する"―――彼女はそう決意しました。
"もし君に好きな人が出来たら"―――その部分を読んだとき、彼女の心の中に、はっきりと一人の男性の姿が浮かび上がりました。それは他ならぬドルレット―――デチェバルでした。
彼女はそれまでにも、"私って、もしかしてデチェバルのこと好きなのかな?"と考えたことが何度かありました。クイブル・デ・チョーリで一緒に飲んでいたダリアが 、「自分に素直になりなよ⋯ムフフ⋯ ! 」と言い残して、ニヤニヤしながら家に帰っていった後などは、まさにそのことについて考えざるを得ませんでした。
しかしクララは"いくら何でも歳が離れ過ぎてるし⋯"⋯"まさか、この私に限って、ものすごい年下の爽やかな若者を好きになるなど、あり得ない!!"⋯"勘違いオバサンにだけは、なりたくない!!"⋯"とにかく恋愛のことで恥はかきたくない!みっともない真似はしたくない!一人寂しくカクテルを飲んでいる方が私には似合ってる!!"⋯と、結局は、傷つくリスクを最小限にするために作ったようなハリボテの結論にしがみついて、自分の本心と向き合うことから逃げていたのです。
"もし君に好きな人が出来たら"―――チョコクラージュの手紙に書かれていたその一節を読んだときにドルレットの姿を思い浮かべてしまったクララは、"もうダメだ!もう、認めるしかない。私がいくら必死に否定しようとしても、私の心が⋯心が勝手に反応してしまうんだ。心の反応が、嘘であるわけがない⋯!"と思いました。
クララはチョコクラージュの手紙をそっと自分の胸に押し当て、目を閉じました。そして心の中でチョコクラージュに、こう言いました。
"チョコクラージュ⋯わたし、出来たみたいだ⋯。好きな人が⋯!"




