第128話 感謝
ドルレットとチョコラインで話したあとクララは、愛用しているチョコリーバイスのデニムパンツに白いコットンのボタンダウンシャツというコーディネートで、クイブル・デ・チョーリに向かいました。
"この街に越してきたばかりの頃は、私は毎日、家でヤケ酒を飲んでいた⋯一人ぼっちで。一年ほど経って、やっと外出する気になった私は、近所を散歩しているときに"クイブル・デ・チョーリ"と筆記体で書かれた味わい深いウォルナットのドアが気になって、中に足を踏み入れたんだ。分厚いウォルナットに黒い鉄の取っ手、四隅にも黒い鉄の飾りが付いているドアを、私は押し開けた。カウンターの中に立っていたマスターは、そのドアをそのまま人にしたような味わい深いオヤジで、いつからか私は彼のことをトシヒコと親しみを込めて呼ぶようになった。私が親友のダリアと出会ったのも、クイブル・デ・チョーリだった。彼女は、心無い言葉で私を侮辱している若者の集団を一喝し、追い払ってくれた。彼女にはアドリアンという可愛い息子がおり、私は彼とも仲良くなった。一人で余生を過ごすために引っ越してきたはずだったが、気づいたら私にはトシヒコ、ダリア、アドリアンという温かい友達が出来ていた。ダリアとアドリアンはゴールデンチョコウィークを利用して旅行に行っているので今日はクイブル・デ・チョーリには来ないが、トシヒコはいつも通り、いるだろう。嬉しいことがあった後、クイブル・デ・チョーリに向かって歩く、この時間⋯なんて幸せなのだろう。私は両親だけでなくチョコクラージュまでも失ったとき、これから先は、ひたすら孤独に耐え続けるだけの人生になるだろうと思っていた。たとえ一日でも、一時間でも、こんなに幸せな時間を持つことが出来るとは、夢にも思っていなかった⋯"
そんなことを考えながら歩いていたクララは、クイブル・デ・チョーリに到着しました。ウォルナットのドアを押すと、いつも通り、ギギギ⋯と、ドアの見た目に負けないくらい味わい深い音をたてて、クララを迎え入れました。クララを歓迎したのはドアだけではありません。カウンターの向こう側に立っていたトシヒコも、クララの顔を見ると、にっこり微笑んで、「よう、教授!今日はなんだか、キラキラしてるね!」と言いました。
「"教授"はやめろよ、トシヒコ!ていうかトシヒコ、鋭いな。ニヤケ顔にならないように気をつけていたのだが⋯バレたか」
「アハハ!その顔を見れば、誰でも分かるさ」
クララはいつも座っているカウンターの"指定席"に座り、「ギムレットを頼む」と言いました。
「ダリアは旅行中だっけ?」
トシヒコが訊きました。
「うん。ゴールデンチョコウィークだからな」
人間の世界の日本ではゴールデンウィークは5月ですが、チョコの国では6月で、毎年必ず12日間以上はあるのです。チョコレツィカは著書『基本的人権と民主主義』の中でアンネ・フランクについて言及し、絶望的な状況の中で"人間の本質は善である"と書き記した彼女の生き様に最大限の敬意を表していました。そこでチョコの国の新政府は、アンネ・フランクの誕生日である6月12日から、チョコレツィカの誕生日である23日までを、ゴールデンチョコウィークとして全日、祝日にすることに決めたのです。
「ゴールデンチョコウィークって⋯クララ、お前とアンネ・フランクの誕生日をお祝いするためのものなんだろ?」
「⋯それを言うなよ。めちゃくちゃ恥ずかしいんだから!アンネ・フランクは偉大な女の子だが、私は家で酒飲んで寝てるだけの女だからな。めちゃくちゃ恥ずかしい⋯」
「ハハハ!この国の国民はみんな尊敬しているさ⋯お前のことを。それより、何か嬉しいことがあったんだろ?何があったのか教えろよ」
「⋯どうせバレるから言うけど、デチェバル⋯ドルレットと、会えることになった」
クララはそう言って、少し恥ずかしそうに視線を逸らしました。
「おお〜!!そいつはめでたい!!今日は、祝い酒だな!!」
「あ、ああ⋯ありがとな、トシヒコ!」
クララは、クイブル・デ・チョーリに初めて足を踏み入れたときと同じ、包み込むような温かさを感じていました。そして心の中で、トシヒコに深く感謝しました。ボロボロになった心を抱えてチョコフィエルに引っ越してきた日から今日まで、なんとか生きてこられたのは、いつ来ても温かい、このお店があったから⋯トシヒコがいたからだと、心から思いました。




