第122話 真価
言葉を紡ぎ出すことが出来ずにいるドルレットを見て、ディニクは再び話し始めました。
「私はさっきVIPという言葉をつい使ってしまったが、本当は、そういう言葉はあまり好きじゃないんだ。"とても重要な人"という意味だが、この世界に、重要じゃない人なんて、いないだろう?一人ひとり、みんなが大切にされるべきだし、誰かに生き方を強制されるようなことがあってはならない。チョコレツィカさんをどのような形で招待するかも、君が自由に決めるべきだ。ただ、私はチョコレツィカさんのことも君のことも尊敬しているから、私に出来ることがあるなら協力したいと思っているんだ。選択肢を増やしてあげることが出来るなら、そうしたい。最終的には選択肢の中からチョコレツィカさんが、自由に決めればいいと思う」
「⋯本当に、ありがとうございます。何とお礼を申し上げればよいか、分かりませんが⋯本当に感謝しています」
ドルレットがようやく言葉を絞り出すと、ディニクは少しおどけた笑みを浮かべながら、「でも⋯チョコレツィカさんは、特別観覧席のようなものは、あまり好きじゃなさそうな気がするよね」と言いました。ドルレットは少し驚いた顔をしました。
「そうなんですよ!ディニクさん、こんな言い方をしては失礼ですが⋯よくお分かりですね!すごい!」
「ハッハッハッ!いや、私も彼女の著書『基本的人権と民主主義』を読んだからね。あれを読めば、特等席で観戦するよりも、土の上に蓙を敷いて、民衆と肩を組みながら胡座をかいて観戦する方が好きな人だろうな、とすぐ分かるよ」
「アハハハ!まさに!おっしゃる通りです。それがチョコレツィカさんという人です」
「あの本は不思議な本でね。素晴らしい学術書でありながら、同時に、情緒的なところもあって⋯読み終えると、まるで抒情詩の詩集を読み終えたような気持ちになるんだ。感情というのは主観的なものだから、あの手の書物においては排除されているのかな、と初めは思っていた。しかし何度読んでみても、やはり、どこか情緒的なんだよ」
「それは自然なことだと思いますよ。例えばチョコレツィカさんが書いた憲法草案は人間の世界の日本という国の憲法を参考にしたものですが、日本国憲法の前文を読んでみると、あれはもう、明らかに熱を帯びています。ひとつの情熱的な宣言ですよ。チョコレツィカさんの著書も、それと同じだと思います。彼女は基本的人権が保障された平和な暮らしの中でのんびりと、基本的人権について教師に教わったわけではありません。保障されていない状況の下で、レジスタンスとして活動していた両親を奪われ、壮絶な孤独と、自分もいつ殺されるか分からない恐怖に苛まれる日々を彼女は過ごしました。そして彼女の両親がそうであったのと同じように、人権を希求する想いが大きな情熱へと育っていったのです。彼女にとって人権への渇望は、フィクションではありません。それは彼女の中で完全に実体験と結び付いているんです。両親の優しい笑顔が、ある日突然、目の前から消えた体験。逮捕、連行されないように他人の家で他人の子供になりすまして暮らした体験。お母さんやお父さんに会いたくて毎日、泣き明かした体験。全て、実体験なんです。だから彼女が書いた本は、完全に客観的な視点だけで書かれているわけではないとます。底を流れているのは、自分と同じ思いをする子供達が出てこない未来を作っていかねばならないという、チョコレツィカさんの凄まじい情熱なんです」
ドルレットの言葉を聴き終えて、今度はディニクが言葉を失いました。ディニクは、ドルレットとチョコレツィカの間には、自分の想像をはるかに超える、強い絆があるのだと察しました。"私は、巨万の富を築き上げてきた。そうすれば、何もかも手に入るだろうと思っていた。しかし、私は誰かと、こんなに強い絆で結ばれたことがあるだろうか?私はそういう絆を、手に入れたことがあるだろうか?そもそも絆というものは、「手に入れる」ものなのだろうか?違う気がする⋯それはきっと、あの、ハートや星の折り紙が貼り付けられた可愛らしい段ボール箱と同じ。あの温かくて、楽しい手紙と同じ。あの千羽鶴と同じ⋯。「手に入れる」という言葉が似合わないものなんだ。本当に価値があるものとは、そういうものなんだ⋯"ディニクは、そう思いました。




