第118話 今も胸の中に
「ド⋯ドルレットさん、しゅ⋯出自、とおっしゃいましたか?ご自身の出自について、何かお話をされるということでしょうか?⋯つまり、ええと⋯どういうことでしょうか⋯?」
ザルモクシス・アントネスクは、明らかに狼狽した様子で、ドルレットに問いかけました。ドルレットはアントネスクを真っ直ぐ見て「はい、そうです」と言ってから、集まった記者達に顔を向けました。そして、深く息を吸い込んでから、静かに、ゆっくりと吐き出しました。
「私は今、ドルレット・レツィという名前で暮らしていますが、この名前は、変更した後の名前なのです。本名のままで生きていくのは難しいだろうと配慮してくださった行政機関の方々と相談して決めた、新しい名前なのです」
ドルレットの口から発せられたあまりに意外な言葉に、記者会見が行われているバンケットルームは一瞬、静まり返りました。そしてすぐに、ざわめきが起こりました。
「私の元の名前は、デチェバル・ブラックカカオです。私の父は、かつてこの国を支配していた悪名高き独裁者、ブラックカカオなのです」
ドルレットはついに、自分が誰であるか明かしました。どよめきが起こるなどというレベルではなく、記者席全体に、戦慄が走りました。ドルレットが勤務する児童養護施設の中で記者会見のテレビ中継を観ていたシュテファンは、ドルレットの言ったことをしばらくの間、理解出来ませんでした。言葉は耳から入ってきたのですが、あまりにも予想外で衝撃的な内容だったために、脳が受け入れを拒んでいるような感じでした。三十秒ほど経って、少しずつ理解していったシュテファンは、固まって動けなくなりました。周りにいた大勢の子供達の中にも、同じような状態になっている子がたくさんいました。
「じょ⋯冗談を言っているだけよ⋯きっと⋯!ドルレットさん、冗談言うの好きだから!アハ、アハハハ⋯」
施設の女性職員シモナ・シリバシュはそう言って、子供達の動揺を鎮めようとしました。しかしシリバシュ自身、"ドルレットさんの、あの表情⋯冗談を言っているようには見えない⋯"と思っていたため、声は少しふるえていました。
「ま⋯またまた〜!ドルレットさん、悪いご冗談を!アハハハ、アハ⋯」
アントネスクも、シリバシュと同じようなことを言い、シリバシュと同じように、必死に自分を落ち着かせようとしていました。
「いえ、アントネスクさん。冗談ではありません。私は、事実を言っているのです」
ドルレットが駄目押しで放った一言で、いよいよ記者会見の場は凍りつきました。
「ちょ⋯ちょっと待ってくれ!じゃあ、あんたは、人殺しの息子ってことか!?」
記者の中の一人が叫びました。アントネスクは慌てて、「すみません!先ほどの個別質問と同じように、発言される方は、まず所属している報道機関名と、ご自身のお名前をおっしゃってから、ご質問をなさって下さい!」と大きな声で言いました。すると、叫んだ記者は黙り込んで、何もいわなくなりました。アントネスクは、"名乗らずに暴言を吐くことは出来るけど、名乗って暴言を吐くことは出来ないのか。あとでネットで拡散されて、叩かれるのが怖いんだな。まだ世間の風向きがドルレットに味方する方に向くのか、その逆なのか、分からないから。卑怯者め!"と思いました。集まった記者の中には、正義感の強い人も複数いたので、そういう人達はアントネスクと同じことを思いました。しかし逆に、「ブラックカカオの息子が本名を隠して、この大会に出ていたなんて、そんなこと許されるわけないじゃないか」と考えた記者も複数いました。その中の一人であるザムフィール・ツェペシュは、"明確な人権侵害になるような発言を不用意にすると、世間の風向きによっては俺の方が叩かれることになる。うまい言い回しで、ジワジワとドルレットを追い詰めていこう。独裁者の息子がこんな大会に出てヒーロー気取りなんて、ふざけてる。俺が世間の厳しさを教えてやる!"と考え、挙手しました。
「はい、そちらの、グレーのネクタイの方!」
「デタラーメ新聞のザムフィール・ツェペシュです。私は、独裁者の子供は一生日陰で生きていくべきだとは全く思っていません。まず、それははっきりと申し上げておきます。しかし、ブラックカカオは、この国の国民を、恐怖のドン底に突き落とし、数え切れないほどの罪無き人々を殺した犯罪者です。ブラックカカオの名を耳にしただけで、恐怖で失神したり、心臓発作を起こして亡くなるお年寄りがいてもおかしくない。多くの国民は、あの恐怖を早く忘れたいのです。あなたが出てきて、ブラックカカオですと名乗ったら、思い出してしまうでしょう?その点については、どうお考えなのですか?」
ツェペシュは内心、"やった!我ながら、絶妙な質問だ。これなら、明確な人権侵害にはなっていないし、ドルレットは返答に困るはずだ!"と思いました。
ドルレットは卓上のマイクを手に取り、返答を開始しました。
「私の方もはっきりと申し上げておきますが、私は自分の父親、ブラックカカオの全てを嫌悪しています。父親と全く異なる思想を持って生きており、虫も殺せないような性格です。そのことをまず知って頂ければ、失神したり、心臓発作で亡くなられるなどということは起きないと思います。ブラックカカオという言葉を耳にすること自体が人にとって害悪だとおっしゃるなら、ブラックカカオについて解説しているインターネット上の数多の動画、テレビ番組なども全て削除し、放送禁止にしなければいけないという話になりますよ。そんなの、ナンセンスです。なにより私が言いたいのは、"忘れちゃダメですよ"ということです。恐怖の記憶は、みんな早く忘れたいと思う。それは当然のことです。しかし再発防止という観点から考えると、ブラックカカオという最悪な独裁者がいたことや、なぜそのような独裁者が国を支配するようになってしまったのかという問題については、いつまでも議論をしていた方が良いのです。話題にしていた方がいいのです。独裁体制の恐怖を忘れ、自由や平和を当たり前のものだと考えるようになってしまったとき⋯そういうときが、一番危険なのです。これは私がチョコレツィカさんと面談をしていた時期に、彼女が繰り返し話してくださったことです。私はチョコレツィカさんのことを、誰よりも尊敬しています。チョコレツィカさんが教えてくださったことで、私が忘れてしまったことはありません。私は自信を持って、そう言えます。私の胸の中には、いつもチョコレツィカさんのたくさんの言葉が詰まっているんです。そのことを知って頂ければ、私という存在のせいで気絶なさったり、心臓発作を起こしてしまわれる方は現れないと思うのです」
その場にいた誰もが、ツェペシュの狡猾な質問と、ドルレットの誠実な返答が極めて対照的であると感じました。インターネットやテレビで中継を観ていた多くの国民も、同じことを感じました。
「よしっ!!ドルレットの勝ちっ!!」
児童養護施設でそう叫んだのはシュテファンでした。シュテファンの中に、もう動揺や迷いは、ありませんでした。"おれは、これからもドルレットを信じて、ついていく!!"彼は強くそう思い、目を輝かせていました。
自宅でソファに座り、テレビでドルレットが返答する場面を観ていたクララは、涙を流していました。次から次へと涙が溢れてきて、止まりませんでした。遠い昔に自分が伝えた言葉を、ドルレットが、それほどまでに大切にしてくれていたこと⋯クララはそれが嬉しくて、嬉しくて、たまりませんでした。そして今すぐにでも、力いっぱい、ドルレットを⋯デチェバルを⋯抱きしめてあげたいと、心の底から思いました。




