第116話 まず、最初にあるもの
それぞれチョコレツィカ、デチェバルという名で生きていた頃のクララとドルレットはブラックカカオの別荘で面談をしたことがありましたが、そのときにクララを驚かせたのも、ドルレットの"人の心を温める力"でした。しかしドルレットの中に"今、俺は人に気を遣っている"という意識はありません。ただ自然体で生きているだけだといつも本人は思っているのです。
幼い頃から彼の周りには、「あの子は独裁者ブラックカカオの息子だから、もし機嫌を損ねたりしたら、父親に告げ口されて、収容所に送られ、殺されるかも知れない」と考える人達がたくさんいました。既に述べたように、そういう人達は腫れ物に触るように彼を扱うので、彼は"どうすれば、この人達をもっと楽な気持ちにしてあげられるかな"と考え、少しずつその技術を磨いてきました。それは技術と言えば技術なのですが、その源泉は"もっと楽な気持ちにしてあげたい"という彼の心の優しさなので、ディベートの技術やレトリックとは全く異なるもの、対極にあるものなのです。『まず、心が感じたことが最初にある』。これは、ドルレットの生き方の大原則のようなものです。
彼は幼稚園児だった頃、初めてサッカーボールを蹴りました。"めちゃくちゃ楽しい。蹴っているだけで、めちゃくちゃ楽しい"⋯彼はそう感じ、サッカーに夢中になりました。
"こいつは、俺のことを「独裁者の息子」として見ていない。俺を、ただの俺として見てくれている"⋯ハラランビエと初めて話したときにそう感じた彼は、ハラランビエと親友になりました。
"この人は、「残された独裁者の息子を、どうするか」という課題と向き合う仕事をしているが、クソ親父と俺は全く別の人間なのだと、分かってくれている。それに、仕事を仕事だとは思っていない。肩書とは関係無く、一人の人として俺と向き合おうと、必死に努力している人だ"⋯チョコレツィカと初めて面談をしたとき、彼はそう感じました。
彼がマリウスのジムに通い始めたきっかけは、インターネットの動画サイトでチョコハタケヤマとチョコサカモトのボクシングの試合を観たことでした。人生でこんなに感動したことは無いというくらい感動した彼は、そのとき、"本物同士の試合というのは、技術や力の競争というレベルを超えて、完全に、「ふたつの魂の激突」になるんだ。二人の魂の気高さが、全て、出ている!"と思いました。逆に、片方あるいは両者が卑怯な戦い方をしていた試合は、観ても感動することが出来ませんでした。そのことが分かったとき、彼は"俺も、凄い試合をしてみたい!"と思いました。そして、"長年サッカーをしてきたし、俺の場合はボクシングよりもキックボクシングかムエタイの方がいいよな"と思い、マリウスのジムに入会したのです。




