第111話 7枚のチケット
市民会館で行われたパブリックビューイングでドルレットの試合を観戦していた、シュテファンを含む施設の子供達。ダリア、アドリアンとともに現地で観戦していたクララ。同じく現地で観戦していたオティリア、レオンテ、コドリナ、マリオアラ、ルミニツァ、ハラランビエ。それぞれがドルレットの試合から様々なことを感じ取っていましたが、共通していたのは、"前に進む力をもらえた"ということでした。
誰にとっても、生きていくのは大変なことです。大変なので、つい我儘になってしまうことは、きっと誰にでも、あります。自己中心的になってしまうことも、あるでしょう。そして、それは自分だけでなく、周りの人達も同じなので、他人の顔を見るのが嫌になってしまったり、人生そのものが嫌になるときも、あるでしょう。そういうときに悩みを人に打ち明けると、こう言われることがあります。"人は、一人では生きていけないのよ"⋯そう、一人では生きていけない⋯舗装された道を歩くことが出来るのは、誰かが舗装してくれたから。裸足で歩かずに済むのは、誰かが靴を作ってくれたから。酸素を吸えるのは、植物が光合成をしてくれたから⋯。そして植物の方も、太陽や、私たちを必要としているのです。シュテファンやクララ、オティリア達は、ドルレットからそういう、生きる力をもらいました。もちろん、ドルレットも彼らに同じものをもらって、それによって、今まで生きて来られたのです。
ドルレットは準決勝が始まる前、オティリア達に「試合が終わったら、また控え室に遊びに来なよ」と言っていました。たとえ負けてしまったとしても、笑顔でオティリア達と話す自信がドルレットにはあったのです。"正々堂々と戦って、全力でぶつかって負けたのなら、おれはスッキリした気持ちで、あいつらとまた話せる"⋯彼はそう思っていました。しかし彼は勝ちました。再び控え室を訪れたオティリア達は、弾けるような笑顔でした。そしてドルレットも、同じでした。市民会館ではシュテファンや、大勢の子供達が笑顔になっていました。そのときシュテファンは、こう思っていました。
"おれは最初からドルレットのことが好きだったわけじゃない。いろんなことがあって、好きになって、応援するようになった。一番大きな出来事はドルレットが山に、おれを助けに来てくれたことだけど⋯聞いた話によると、おれはあのとき、真っ暗闇の中で雨に濡れて、死にそうになっていたそうだ。おれはあのとき、とにかく寂しくて、寂しくて⋯山に行けば、死んだお父さんとお母さんに会えると思って⋯行ったんだ。山の中で死んじゃってもいいと、おれは思ってた。それどころか、そうなることを望んでいたのかも知れない。死ねば天国でお父さんやお母さん、モニカに会えるかも知れないし⋯と、思っていたんだ。あのときは、おれにとって本当の温かさを持っている人は、その3人だけだった。⋯でも、今は違う。おれは今、ドルレットにも、そういう温かさを感じてる⋯シリバシュさんの温かさにも、気づくことが出来た。おれはもう、山に向かったときとは、違う。寂しさの渦の中には、いない!"
準決勝を終えたあと、ドルレットは2日間、有給休暇を取って身体を完全に休ませました。大きな怪我などは無かったのですが、マリウスと相談して、これまで戦い続けてきて溜まっている心身の疲れを取るために、2日間は休むことにしたのです。
その休養2日目の夜、ドルレットの携帯電話に、チョコ-1 グランプリ運営委員会の番号から電話がかかってきました。
「夜分に恐れ入ります!ドルレットさん!わたしです、ブリンコベアヌです」
「ああ、ブリンコベアヌさん。どうしました?」
「ビッグニュースですよ!あなたはきっと、おおいに喜ぶでしょう!!」
「え?一体、何ですか?」
「チョコ-1 グランプリのスポンサーであるヤスミン・ディニクさんのことは知っていますよね?」
「ええ、もちろん。大富豪の方ですよね」
「そうです。その大富豪のヤスミン・ディニクさんが、決勝に進出した二人⋯つまりあなたとドルフさんのことですが、二人がともに児童養護施設と深い縁を持っていることを知って、"それなら、ドルフ君が育てられた施設と、ドルレット君が働いている施設の子供達全員を、決勝戦に招待しようじゃないか!もちろん、職員の方々も一緒に!"とおっしゃったんですよ!」
「え〜っ!!本当ですか!?」
「本当です!!」
この物語を読んでおられる読者の皆さんは、"え!?ブリンコベアヌの言ってることだし、どうせガセネタでしょ?ドルレット、後でガセネタだったと知って、がっかりするんだろうなあ。可哀想に"と、お思いになったかも知れません。しかし!驚くべきことに、今回、ブリンコベアヌがもたらした情報は、正確な情報だったのです!ブリンコベアヌが間違っていないことを言うなんて、奇跡としか言いようがありません。語り手である私も、びっくりです。
「めちゃくちゃ嬉しいです!!今すぐ、ヤスミン・ディニクさんに直接お礼を言いたいくらいですよ!!」
「ハハハ!お気持ちは分かりますが、ドルレットさんは計量の日にディニクさんに会えると思います。そのときまで、どうか我慢なさって下さい。ハハハ!」
「分かりました!ありがとうございます!」
児童養護施設の子供達が観戦する席はヤスミン・ディニクに用意してもらえることになったので、ドルレットは"オティリア達のチケットは、おれが何とかしよう"と考えました。つまり自分がお金を出して用意しようと思ったのですが、オティリアやコドリナ達にそれをそのまま伝えたら、必ず遠慮をして拒まれるだろうと考えました。そこでドルレットはオティリアに、チョコラインで、このようなメッセージを送りました。
「チョコ-1 グランプリのスポンサーであるヤスミン・ディニクさんが、"お友達に配りなさい。決勝戦進出の特典みたいなものだよ"と言って、7枚チケットをくれたんだ。そのうち5枚をみんなにあげるから、今回はチケット買わなくていいよ!」
もちろんそれは"優しい嘘"だったのですが、オティリア達は素直に信じて、喜びました。
ドルレットは、準決勝の3日後からは児童養護施設での勤務と、ジムでのトレーニングを再開しました。6月にレツィカドームで行われる決勝戦に向け、1週間は普段通りの走り込みやミット打ち、スパーリングを行いましたが、その後は減量のための食事制限を始め、トレーニングの量は減らしていきました。決勝戦の前日に行われる計量の2日前からは水も出来るだけ飲まないようにし、計量前日は水を口に含むだけで飲み込まずに吐き出して、計量に備えました。
計量の日は、もうひとつ、ドルレットにとって重要なイベントが予定されていました。それは、記者会見です。
ドルレットはその記者会見で、自分が独裁者ブラックカカオの実の息子、デチェバルであることを公表するつもりでいました。そして、チョコレツィカのことを心の底から尊敬していること、どうしてももう一度会いたいと思っていることを、記者会見の映像をどこかで観ているかも知れないチョコレツィカに、伝えようと考えていたのです。彼は、7枚チケットを用意するつもりでいました。1枚目は、オティリアのために。2枚目は、コドリナのために。3枚目は、マリオアラのために。4枚目は、レオンテのために。5枚目は、ルミニツァのために。6枚目は、ハラランビエのために。そして7枚目は⋯チョコレツィカのために。




