第102話 天然
「E-623、623⋯あ!ここの列だ!」
5番ゲートからチョコ浜アリーナの中に入ったクララは、それぞれの座席の列の両端の床に取り付けられたプレートを見ながら、自分達の座席を探していました。そして、小さなフットライトで照らされている、『E620〜E640』と記されたプレートを見つけました。
「すみません、失礼します⋯」
既に着座していたE-620〜622の3人の男性客に向かって小さな声でそう言って、クララは彼らの脚と前列の席の背もたれの間の狭い隙間を進んでいきました。ダリアとアドリアンも同じように「失礼します⋯」と言いながら後に続きました。
「思ったより、いい席だね!ここなら、ドルレット君の表情まで、しっかり見れるよ、多分」
ダリアがそう言うと、クララは頷きました。
「そうだね。私、格闘技を生で観るの初めてなんだけど⋯凄いね!リングって、あんな感じなんだ⋯。あの上に立って戦うなんて、私だったら絶対無理!!緊張し過ぎて気絶しちゃう!」
クララの言葉を聞いたアドリアンは、彼女の耳元で、小さな声でこう言いました。
「でもクララさん、革命のとき、30万人の聴衆を前にして演説してましたよね?あれに比べたら2万人なんて、余裕じゃないですか?」
「⋯いや!あれとこれとは、全然違うでしょ!だって格闘技は上半身、裸だよ!?まず、それが無理!シャワー浴びたあと、パンツだけ穿いて2万人の前に出るようなもんでしょ。恥ずかしくて絶対、無理!」
「⋯ぷぷっ!!」
アドリアンは声を出さないよう口に手を当てて爆笑していました。
「な、何を言ってるんですか、クララさん!格闘技だって、女子選手の場合はちゃんとスポーツブラを着けますよ!上半身裸でやるわけないでしょっ!!」
「えっ!!そうなの!?知らなかった!!」
アドリアンはクララの天然っぷりがツボにはまってしまい、しばらく笑いを止めることが出来ませんでした。
やがて場内の照明が落とされ、いよいよチョコ-1 グランプリの準決勝が始まりました。まずはウエルター級、スーパーウエルター級、ミドル級の準決勝がそれぞれ2試合ずつ行われ、それぞれの階級の決勝に進む選手が次々に決まっていきました。初めて生で観る格闘技の試合の迫力に、クララは圧倒されていました。
「いや〜、凄かったね!!めちゃくちゃ興奮しちゃった。次はいよいよ、ドルレットが出場するスーパーミドル級か!」
「いえ、クララさん。その前に、ビリー・アイリッシュセッターさんが歌を歌ってくれるみたいですよ」
ゲートから中に入る際に、チケット確認の係員から手渡された簡易的なパンフレットを見ながら、アドリアンが言いました。
「えっ。そうなの?てことは、犬も来てるってこと?あの人、いつも犬と一緒に歌ってるよね?」
「え、ええ⋯。多分、来てると思いますよ⋯」
2人が推測した通り、ビリー・アイリッシュセッターは5匹の犬を連れて現れました。しかし犬種はアイリッシュ・セッターではなく、5匹ともオールド・イングリッシュ・シープドッグでした。
「あれっ!アイリッシュ・セッターじゃない!!」
アドリアンが目を丸くしてそう言うと、クララも、
「なんでオールド・イングリッシュ・シープドッグやねんっ!!可愛いけどっ!!」
と突っ込みを入れました。
リングに上げられて多少、困惑している5匹のオールド・イングリッシュ・シープドッグに囲まれながら、ビリー・アイリッシュセッターは名曲『TV番組』を熱唱しました。
「めっちゃいい曲でしたね!!クララさん!」
アドリアンが横でそう言ったのでクララは「うん」と答えましたが、心の中では"い、いよいよデチェバルが出てくるのか⋯!私が緊張しても仕方ないのだが、緊張してしまう⋯!"と思っていたので、生返事のようになってしまいました。




