第101話 到着
ダリアとアドリアンは待ち合わせの時刻の5分前に、自宅の最寄り駅の改札前に着きました。アドリアンも、母親のダリアやクララと一緒にチョコ-1 グランプリの準決勝をチョコ浜アリーナで観戦することになっていたのです。
「あっ!クララさんだ!」
2分ほど経ったとき、こっちに向かって歩いてくるクララの姿をアドリアンは見つけました。ダリアのこともアドリアンのことも大好きなクララは、2人と出かけるのが嬉しくて仕方ないという感じの笑顔で、自分を見つけたアドリアンに向かって小さく手を振りました。
「お待たせ〜!わたし、遅刻はしてないよね!?」
「うん!全然してない!まだ3分前!」
ダリアがそう答えると、受験生のアドリアンが、
「クララさん!おはようございますっ!さっそくですが⋯生命や自由が脅かされるおそれがある場合、難民や難民申請者を国に強制送還してはいけないという、国際難民法および国際慣習法上の基本原則は?」
と、いきなり問題を出しました。
「ノン・ルフールマン原則!⋯ていうかポマード龍太郎、駅の改札前でいきなり問題かよっ!⋯よし⋯じゃあ、こっちもいくぞ!外務省の命令に背いてビザを発給し、6千人のユダヤ人を救った日本の外交官は?」
「杉原千畝!」
「おお!正解!」
「やった〜!クララさんの本に書いてありましたからね!ちゃんと覚えていますよ!!」
「ちょっと、あなた達!会っていきなり問題出し合うの、やめてよ!」
ダリアはそう言って笑いました。
「アハハ!すまんな!ダリア!⋯そのシャツ、似合ってるぞ」
クララが、ダリアの着ていたライトグレーのレーヨンのシャツを見ながら言いました。
「ありがとう!クララもそのワイドパンツ、めっちゃ格好いいよ!」
「えっ!?そうか?褒められるの慣れてないから、照れるな⋯アハハハ!」
「周りの人達はみんな内心、"格好いい⋯!"と思ってたんだけど、あなたは大臣だったから、気安くそんなこと言えなかっただけよ、絶対!クララって仲良くなると、かなりお茶目な一面もあるって分かってくるんだけど、仕事のときはそんな一面は出さないでしょ?近寄り難いほどのオーラを発しているクララに、ビビりまくってオドオド、アタフタしている部下の姿が目に浮かぶわっ!」
ダリアがそう言うとクララは、
「おい、やめろよっ!そんな、存在自体がパワハラみたいな奴、むしろ仕事の邪魔になるだけだろ!みんなをオドオド、アタフタさせるんだから!」
と答えました。ダリアは「確かに!!」と言って大爆笑しました。
3人が到着したとき、チョコ浜アリーナの周りには既に大勢の人達が集まっていました。しかしシリバシュが子供たちを連れて行ったパブリックビューイングのように先着順に席を取っていくわけではないので、焦る必要はありませんでした。
パブリックビューイングが行われる市民会館のホールは最大収容者数1500人ですが、チョコ浜アリーナは2万人です。初めて訪れたクララは、建物の大きさに圧倒されていました。
「デチェバル、こんな凄いところで試合するのか⋯!普通なら死ぬほど緊張するのだろうが、あいつの場合は"全然、緊張しませんでしたよ!"とか平然と言いそうなんだよな⋯」
「じゃあ、私達も入場の列に並ぶとしますか!」
建物の近くで行列を作っている人達を眺めながらダリアが言いました。
「えーと⋯我々のチケットは番号がE-623からE-625だから⋯5番ゲートに並べばいいんだな」
クララの言葉を聞いたダリアとアドリアンは、歩きながら「5番、5番⋯」とつぶやいて、5番ゲートを探しました。最初に見つけたのは10番ゲートで、右側の離れたところに11番ゲートという表示があり、左側には9番と表示が出ていました。なので、3人は左に歩き始めました。8、7、6番のゲート前を通過し、ついに彼女達は、5番ゲートの列の最後尾に並ぶことが出来ました。
実はそのとき、11番ゲートにはオティリア、コドリナ、マリオアラ、レオンテ、ルミニツァの5人が並んでいました。チョコクラージュが大統領官邸ブラックハウスを爆破して革命が起きたあと、チョコレツィカつまりクララの精神が崩壊寸前のところまでいってしまったきっかけは、爆破によって父親を失ったオティリアが毎日、泣いていると知らされたことでした。裏で大勢の人達を殺している極悪非道な政治家であっても、娘にとっては世界で一人の優しいパパなんだ⋯クララもチョコクラージュも、そのことは最初から分かっていました。分かっているが、大勢の人達が殺され続ける日々に終止符を打つにはそれしかない⋯そう考えていたのです。
チョコクラージュは、クララに宛てた手紙にこう記していました。
『チョコレツィカ、冷静に考えてみて欲しい。ブラックカカオの独裁が続けば、五人の子供達は、悪徳にまみれているのにその自覚すら無い、最低な男たちの「愛情」によって育まれることになる。その愛情は、数え切れないほどの、引き裂かれた家族の悲しみ、苦しみの上に成り立っている愛情だ。彼らがにっこり優しく微笑んで子供たちにプレゼントを渡すとき、彼らの靴の下には他の家の子供たちがいる。他の家のお母さんや、お父さんがいる。彼らは、他の子供たちや、他のお母さん、お父さんを土足で踏みつけているんだ。そんな奴らからプレゼントを貰って無邪気に喜んでいる子供たちは、とても可哀想だと僕は思う。五人の子供たちが、もし人生の中で、そういう悪徳にまみれた、詐欺的な愛情としか出会えなかったとしたら、可哀想だと思う。
チョコレツィカ。五人の子供たちは、父親の死を乗り越えなければいけないんだ。乗り越えて、詐欺ではない、本当の愛に出会わなければいけない。国民の中には、ブラックカカオや閣僚の子供たちに対して、敵意を持っている人達がたくさんいる。五人の子供たちがひどい目に遭うところを見たいと思っている人達も、たくさんいる。僕の仕事は、ブラックカカオと閣僚たちをあの世へ送ることだ。僕はそれを必ずやり遂げる。チョコレツィカ、君はレジスタンスのメンバーだった者達と協力して、五人の子供たちを守ってくれ。』
クララは5人の子供達を守りたいと強く思っていました。デチェバルつまりドルレットとレオンテは心を開いて接してくれた。どれだけ感謝しても感謝し切れない⋯だがオティリア、コドリナ、マリオアラの3人はどうだろうか⋯私のことを悪魔のように思っているかも知れない⋯。いつか、いつか彼女達のために、何かをしたい。もし、その機会をもらえるのなら、どんなことだってやってみせる⋯クララはいつもそう思って生きてきたのです。
クララが5人の子供達のことを考えない日、心配しない日など、一日たりともありませんでした。革命が起きる前から、常にクララは5人の子供達について考え、悩み、なんとかして幸せにしなければいけないと考えていました。人が、ある人について「幸せにしなければいけない」などと考えることは、もしかしたら傲慢で、おこがましいこと、間違ったことなのかも知れません。しかしクララは「たとえ傲慢だとしても、間違っているとしても⋯どうしても私は、あの5人を幸せにしたいんだ!」と思っていました。しかし彼女は同時に「チョコクラージュは私を守るためにやったのだから、本質的には私がやったのと同じこと」と思っていましたし、「やろうとしなければ良かった」と思ってはいなかったので、彼女の苦悩は極めて複雑で、解決が困難だったのです。




