第60話 ☃☆
城の大広間に、伯爵の声だけが響いた。
「二人だけで、お話ししたいのですが。」
「いいだろう。」
ルーカスは落ち着いた声で答えた。
ウィンストン伯爵は小さく頷き、息子を含めた使用人たちを人払いした。
城の使用人たちが次々と大広間から退出していく。
しかし、家令だけはピクリとも動かず、その場に留まっていた。
(私も席を外した方がいいのかな……)
そう思っていたその時、ふとルーカスと視線が絡んだ。どこか優しさを帯びているような気がした。
(私を見てる。残ってもいい、ってこと?それに、彼の後ろに立ってろってこと?)
しんと静まり返った大広間に残ったのは、たったの四人。
ウィンストン伯爵は、ルーカスが何を聞きたいか、すでに察していたのだろう。ルーカスが口を開くより先に、まるで魂が抜けたかのように、勝手に語り始めた。
「私は……もっと早く気づくべきだったな。あなたたちがここへ来たのは、私を捕らえるためだったのだと。だが、今更見苦しい言い訳をするつもりもない。」
ウィンストン伯爵は、焦点の合わないうつろな目で、虚空を見つめている。
「10年前、妻が先立ってからというもの……死と、己の肉体が老いさらばえていくことへの恐怖が、異常なほどに膨れ上がってしまったのだ。」
目の前のウィンストン伯爵は壮健だった。かつては、それ以上に血気盛んで頑強な男だったのだろう。そんな印象を受けた。
(というか、夫人はそもそも死んでいないのでは……)
「見る影もなく背が曲がり、今にも朽ち果てそうな死に損ないどもの姿を見るたび、胸の内はたまらない嫌悪感に満ちていた。いつか、自分もあのように成り果てるのかと考えただけで……どうしても、耐えられなかったのだ。」
「それで私は、不老長寿の秘法を追い求め、そして、一冊の古書を手に入れた。そこには、子どもたちを中心の周囲に配置し、その中心に横たわる者が子どもの精気を吸えば……肉体の衰えを遅らせることができると記されていた……」
「その古書をあなたに渡したのは、誰だ?誰があなたの代わりに子どもたちを攫った?」
ルーカスが静かに問う。
アスタリアは、地下室で見つけたあの本のことを思い出していた。布袋に包んで、ルビーに運ばせ、城壁の外の木にぶら下げておいたのだった――証拠になるかもしれないと思って。
ウィンストン伯爵はしばし沈黙したあと、口を開いた。
「エスダロスの闇商人と面識があった。私の悩みを聞きつけた奴が、エスダロスの交易結社からその本を手に入れ、私のもとへ持ってきたのだ……この旅人集団は、エスダロスの貴族の間である程度名を知られている。エスダロス領内で子どもを攫う件についても、あの闇商人の入れ知恵だ。人を手配して子どもを攫わせたのは奴で、私はただ、金を払っただけだ。」
「闇商人の名は? どうすれば見つかる。」
「体調が優れない。そろそろ下がらせてもらえないだろうか……」
「――と言うより、この後どう報告するかは、すべて私次第だろうな。」
「………………ジャスティンという男だ。いつも向こうから接触してきた。
ほかに、聞いておくことはあるか?」
ウィンストン伯爵の受け答えは、意外なほど素直だった。
「別件はまた改めて訊く。今はこれで十分だ。」
ルーカスの様子は、どこか肩の力が抜けているようにも見えた。
(もう終わり?こういう逮捕のあと、普通どう処分するんだろう。刑が軽すぎたらまずいんじゃ……)
その時、ウィンストン伯爵は先ほどまでの殊勝な態度をかなぐり捨て、どこか張り詰めた空気を緩めるように、柔らかな口調と落ち着いた表情のまま、話の矛先を変えた。
「女王陛下にこの老いぼれをどう処分するか、決めてもらうがいい。私はその沙汰に従うまでだ……
ところで、この領地の後継者問題だが……このまま息子に任せていただきたい。」
ウィンストン伯爵はさらに言葉を重ねた。
「ここは辺境の要衝だ。軍事経験のない者では、近隣の住民も、隣国も抑えられん。この領地の管理も、騎士や兵たちの統率もできまい。私は長年かけて、息子に軍事の才を叩き込んできた。
かつて私自身も、軍事の才があったからこそ……
それに、王室関係者とも、非常に懇意にしている。」
ルーカスは冷然とした様子で裁決を下した。
「すでに証言は取れている。ご子息と執事も関与していたとな。今日ご子息は、私の馬を驚かせ、私を足止めするためにお前に協力した。さらに、家令に命じて私の随行者の暗殺を図らせた。特にこれについては、到底許すわけにはいかない。」
(え?私の暗殺?いつの話?初耳なんだけど!ああ――もったいない!拳一発で『解決』してあげられたのに、捕まえて拷問でもしておけば。ルビーと一緒に夜に壁際で体育座りして張り込む必要もなかった!)
「それで、他に誰を頼るというのだ。私も、家令も、息子も、ここでは中心を担ってきた者だ。この地を狙っている貴族は多いが、問題は、ここが辺境の重要地であることで――」
その時、大扉がゆっくりと開き、隙間から光が差し込んだ。
「――私がいれば、十分です」
キィ……ギシ……と、かすかな金属のきしみ音を立てながら、車椅子に乗った人物が入ってくる。その人物は、数日前、アスタリアが治療を施したあの老婦人だった。目の前にいる彼女は、あの時とはまるで違っていた。病が癒え、もはや老婦人の姿ではなかった。
車椅子を押しているのは、山のように大柄な女性、厨房長のナターシャだった。
そしてその隣には、厩舎で見かけたあの厩舎長が立っていた。アフロヘアに、黒い肌、凛と引き締まった体つき。
「この領地は、私が管理いたします。かつてあなたの後ろで、ここを実質的に管理していたのは私でしょう?税収、経済、帳簿、軍備――そのすべてを、私は誰よりも知り尽くしております」
老婦人はこれまでの雰囲気を払い、揺るぎない低音で返した。
実際に目にしたことはなくとも、かつて彼女が意気盛んに活躍していた姿が、まるで目に浮かぶようだった。
「だがお前に、軍の訓練も、兵を率いて戦うこともできまい!そんな車椅子に乗った身だぞ……待て、お前の病は?それに十年も経ったのだぞ。今やこの城の新参者たちは、お前の顔を知る者などおらん!」
伯爵は岩のように冷たい声で応じた。
「私の病は、治りました。あなたも忘れてはいないはずです。リカが何年、この城で軍務を担い、家令を務めていたか。すぐに私の右腕として動いてくれるでしょう」
厩舎長が、こくりと頷いた。彼女こそが、リカ。かつて軍務と家令を担っていた人物だったのだ。
――つまりこういうことだった。
伯爵夫人はかつて、伯爵を補佐して領地を切り盛りしていた。
病を得てからは、伯爵が老いと醜さを恐れるあまり、彼女を人目につかない、日の当たらない場所へ閉じ込めた。対外的には「亡くなった」ことにしていたのだ。
かつて軍務を担い、家令を務めていたリカもまた、厩舎へと左遷された。代わりに新しい、忠実な執事が据えられた。
息子は父の側についた。
アスタリアはふぅーっと、長く深い息を吐き出した。
「こちらで、すでに王家とは話をつけてあります。この領地は私が預かる」
夫人は遠慮することなく言った。
伯爵は言葉を発さなかった。だが、その場の空気と、彼の瞳に宿る凶光から、その場にいた誰もが同じことを読み取っていた――
「私の最大の過ちは、お前を殺しておかなかったことだ。」




