第56話 ⚔✧
アスタリアは望楼の兵士を片付けた後、すぐさまルーカスの部屋へと戻り、窓から大樽を運び出した。
(まさか、可愛いと思ってテンガロンハットと一緒に連れてきたこの樽が、こんなところで大活躍するなんてね……自分でも驚いた。)
アスタリアは大樽をウィンストン伯爵の部屋の窓の外にある城壁の縁へと運び、樽の上に飛び乗ると、城壁のレンガの隙間に短剣を突き立てる。さらに跳び上がり、その短剣を足がかりにもう一本を突き立てた。
昨日サーベルからもらった廃棄寸前の短剣で、光を熱エネルギーへと変換し、刀身を強化しながら接触部分を高温にしてわずかに溶かし、固定するのだ。
城壁の外壁と、部屋の窓の下の壁面にも同様に、何本か短剣を打ち込んでおいた。
この一連の作業はすべて、これからの行動で魔法を使うことを隠すためのカモフラージュだ。
そして、金属線を大樽に結びつけ、反対側の端を伯爵の部屋の中へと投げ入れた。
窓から顔を出したサーベルが即座に樽を引き上げる。
サーベルは子どもたちを一人ずつ樽に乗せてスルスルと下ろし、下でアスタリアがしっかりと受け止める。そうしてすべての子どもたちが、窓の外の芝生へと無事に降り立った。
残るは最後の一歩だけ。
アスタリアは短剣を踏み台にして跳び上がり、窓によじ登る。息をつく間もなく言った。
「サーベル、私が抱き抱えて下ろしてあげる。」
「え、この鎧、かなりの重さがあるんだけど……」
「じゃあ、抱えるね。」
その答えを待つことなく、そのままサーベルを姫抱きすると、窓枠をすり抜け、短剣を足場にして軽やかに着地した。
サーベルは一瞬、思わず呆気に取られた。
「よし、次は子どもたちを城壁の外に運ぶだけだ。」
アスタリアは両手を広げ、拳を握り締めながら小声で言った。
一方その頃、ウィンストン伯爵は城門にたどり着き、望楼に人影がないことに気づくと、すぐさま門番に命じて門を開けさせ、何者が来ようとも、二度と開けるなと言い渡した。同時に、警報の角笛を鳴らさせた。
プォォォォォーッ――! 城中に鳴り響く。一定の律動が、大気を凝縮させるほどの緊迫感を生み出していく。
角笛の音を聞いたアスタリアとサーベルは、事態が思わしくないことを悟った。
アスタリアは戦うことを恐れてはいなかった。
ここまで、動きはずっと迅速そのもので、その働きぶりに確かな手応えを得ていた。
むしろ、静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。
一刻を争う緊迫の中、アスタリアは子どもを抱えた確かな足取りで大樽の上へ跳び上がる。あらかじめ壁に突き立てておいた短剣を足場にして鋭く跳躍し、落ち着いて子どもたちを一人、また一人と高い城壁の外へと運び出していった。
城の壁の外、ゆるやかな崖下にはまばらな木々と開けた空間が広がっていた。
ヨナは大きな馬車とともに途中で待機しており、狼煙を確認するとすぐに駆けつける予定だった。アスタリアの手際が良すぎたため、ヨナの到着にはまだほんの少し時間がかかりそうだった。
その間、ベリルは子どもたちの側で守りについていた。
まさにその時。自室へ駆け込んだウィンストン伯爵が窓から身を乗り出し――アスタリアとサーベルの姿を、完全に捕捉した。
同時に、城壁内を駆け回って敵を捜していた騎士たちも、その動きを見咎めた。上下から突き刺さる、視線の集中砲火だった。
「奴らを捕らえろォッ!」
「急げ! 他の騎士も全員ここへ呼び寄せろ、奴らを捕縛するんだ!」
伯爵から二連の怒号が響き渡る。
「「「あ、はい!」」」
甲冑の群れが城内を奔走し、戦闘の知らせが巡る。それはまさに、大嵐を前にした静けさのようでもあった。
「サーベル、私たち、戦うことになりそうだね。」
その頃はまだ四人の子どもを運んでいる最中だった。
アスタリアはそう言うと、二人目の子どもをひょいと抱え上げ、大樽の上に飛び乗った。
「そうだね。」
サーベルの顔にも、怯えの底色は一切なかった。
むしろ静かに兜の面頬をガシャンと下ろし、片手で腰の長剣を抜き放つ。
――「私たち」、か。
胸の奥に、じんわりと温かいものがこみ上げてきた。
「心配しないで。すぐに片をつける。」
サーベルは子どもたちを背で庇い、押し寄せる敵に向かって剣を構えた。
騎士たちが唯一の攻撃対象であるサーベルに向かって、一斉に襲いかかっていた。
キンッ!ガァンッ!サーベルは淀みなく、一人また一人と相手を打ち破っていく。
それは、幾重もの選抜を勝ち抜いて王家騎士団に入った実力だ。
しかし、騎士たちは波のように押し寄せてくる。目の前には、まだ運び終えていない子どもたちが残っている。
その時、ルビーから伯爵が部屋を出たという報告が届く。
アスタリアは型破りな一手に出た!
スキル『口撃』発動――!
「全員、今は実戦訓練だ!攻撃開始は三分後とする!準備しろ!」
騎士たちは、まさかの砲撃のような『口撃』を食らい、「えっ、三分後?実戦訓練……?」と、一斉に固まって動きを止めた。
その隙に、アスタリアは何事もなかったかのように作業を続けていた。壁伝いに下り、最後に残った二人の子どもを抱き上げた。
城壁の外へと最後の二人を下ろしたアスタリアは、あえて光魔法を発動させた。
全身を神々しい金色の光に包み、しゃがみ込んで子どもたちと目線を合わせると、優しく力強く告げた。
その言葉は――
「すぐにお姉ちゃんたちが家に帰してあげるからね。もう何も恐れることはないよ。……あなたたちを傷つけるものは、もう何もないから。」
言い終えるや否や、すぐさま城壁の上へと跳び戻る。
直後、遠くから馬車の音が響き、ヨナの声が届いた。
「あとのことは、任せてよ――!」
その頃、伯爵は階段を駆け下り、城の外――アスタリアとサーベルのいる場所へ。
同じ頃、ルーカスは城門に到着したが、門がもう開かないことに気づいた。すぐさま馬を走らせ、ウィンストン伯爵の部屋がある城壁の外へと向かった。城壁へと跳び上がり、人の流れが向かう方向へと駆け出した。
その視界に飛び込んできたのは――
アスタリアは城壁の上に、背筋を伸ばして仁王立ちになり、大きく息を吸い込むと、朗々と通る声を張り上げた。
「実戦訓練、開始!」
アスタリアは下で攻めかかる騎士の群れをビシッと指差し、言い放つ。
「そこの君たち!大人数で一気に群がるんじゃない!」
言うが早いか、ガンッ!――背後からサーベルに斬りかかろうとしていた騎士の頭に、短剣の柄がクリーンヒットした。
シュバッ!と手首のスナップでワイヤー付きの短剣を手元へ回収した。
騎士たちは、城壁の上から突然教官ヅラでダメ出しをしてきた謎の少女の登場にポカンとし、顔を見合わせる。――この人、一体何者なんだ?
「私はお前たちの新し――」
『ルーカス発見、3時方向、約50メートル、城壁の上!』
(えっ?)新しく着任した特別教官――ピピーのエラー音が脳内で鳴り響いた。
ルビーの念話声を耳にした瞬間、息が乱れた。――上司が私の後ろに?
……えと、上司が近くにいるなら、教官なんて勝手に名乗っちゃダメだよね!




