第50話 ☃✧
アスタリアは平穏な口調で言葉を続けた。
「ジェニーの件については、領主が徴税するんだから、あなたたちが団結して、納めた税を正しく使わせるよう圧力をかければいいのよ。」
周囲の村人たちの間で、低い声の議論が広がり始める。
その時、バーバラの隣にいたもう一人の女が、村人を代表するように口を開いた。
「簡単に言うけど、領主には兵がいるのよ。それにみんな他にもやることがあるの」
アスタリアは鷹のように見下ろして言い放った。
「だから、一番言い返してこない、与し易いレベッカを狙うわけ?」
バーバラの隣にいた女は口をつぐみ、代わってバーバラが逃げ道を失った鼠のように声を上げた。
「そ、それに、領主様が来てくれるのを待てばいいじゃない――」
「来ない」
再び、リリーの声。凪ぎきった空気。
レベッカは目を丸くして驚いている。
――普段は無愛想で口数も少ないリリーが、いま、確かに立ち向かったのだ。
「来ないって……どういう意味よ!」
バーバラが噛みつくが、リリーは能面のような無表情のまま、沈黙する。
アスタリアがリリーの意図を汲み取り、代弁するように告げた。
「人々が『誰かが来てくれる』っていう幻想に縋りたくなる気持ちは分かる。でも現実は、期待に応えるためなんかに存在してない。そういう意味だ。」
バーバラは気まずそうに黙り込み、また何か言い訳を口にしようと唇を動かした。
が、アスタリアは先手を打つ。
「さっきのあなたの表情、子供が親戚の葡萄園にいるって最初から知ってた顔だったよ。
昨日いなくなって、報告したのは今日の昼。
それは昼休みで、あなたの情で正論を封じる茶番の絶好の時だから?
そのため、わざと私たちを騙したんじゃないですか。」
「わ、私は……! 私はジェニーのためにやってあげたのよ!」
「ご、ごめんなさい……皆さんに、ご迷惑をおかけして……」ジェニーが慌てて口を挟む。
アスタリアはジェニーには目もくれず、真っ直ぐにバーバラを射抜く。
「口では立派なことを言う人ほど、えてして何もしていない。――そういうものよね。時間がないって言うなら、人にあれこれ言う時間を、問題解決のために努力すればいいんじゃない?」
レベッカは少し背筋が寒くなった。(フラマリスのエリートって……戦うのも、立ち回るのも、こんなに手際がいいものなの……)
「それに、私、馬なんて持ってないし――」
苦し紛れのバーバラの叫びに、またしてもリリーが即座に被せた。
「私にも、馬はない」
バーバラは面食らって突っ立っていた。
アスタリアの意識はリリーにある。(あれ?じゃあリリーの馬ってどこから来たの。借り物?)
一方、レベッカは心の中で驚いた。(……リリー、完全にアスタリアと歩調を合わせてる?)
そして補足する。
「リリーの馬は、巡回のとき私が貸してるの。私が乗ってるのは、同僚のヴィオラの馬。
……とにかく、新しい失踪がないなら、それでいい。私も、がんばり続けるから」
レベッカの口から出た言葉は「私たち」ではなく、「私」だった。
しばしの静けさの後、周囲を取り囲んでいた村人たちの間で、声を潜めた会話が交わされ始め、異なる意見や温度感が入り混じった。
「あ、あらそう。……もうお昼だし、夫にご飯を作らなきゃ」バーバラはそう言い捨てて、引きつった笑いを残して、逃げるように家へ帰っていった。
「本当にすみません……皆さんがその件で忙しく動いているのも分かっています。本当にありがとうございます。私も帰ります。」ジェニーは頭を下げてそう言った。
「ジェニー、約束する。私は必ず真相まで追い続ける。」
「……はい。ありがとうございます」ジェニーは翳りを帯びた表情のまま立ち去った。
空気が少し和らいだ後、誰かがぽつりと提案した。
「私たちのゴルドン地域をこれからどうするか、話し合ったほうがいいんじゃないか」
村人の一人が考え込むように口を開いた。
「でも、領主って時々は対応するし、時々は何もしないでしょう?だから結局、期待しちゃうんだよ」
「そういう状況だからこそ、人は一番決断を鈍らせる。」
アスタリアは淡々と答えた。
「さっき言っていた、領主に兵がいるとか、抗議するとかって話だけど……」
年配の村人が遠慮がちに言葉を挟む。
アスタリアは視線を外しながら独り言のように続ける。
「抗議って、他の問題は解決できるかもしれないけど、今の問題には必ずしも通用しない。
そして、もっと質の悪いケースもあるし。いい手札とは言えないと思う。」
「何ですって?」村人たちが少し身を乗り出した。
「やると言いながら、実際には何もしない。消極的な欺瞞。」
(実は、数日前のレベッカの言葉には、領主がそう考えていることが示されていた。
よく考えてみれば――そういう場合、私もここには来なかったかもしれない。今のところ大した役にも立ってないけど……)
「…………」
村人たちは、黙り込んだ。
誰かがぽつりと言った。「一体、いつになったら終わるのかしら……日が暮れるたびに生きた心地がしなくて、子供から目が離せない……」
アスタリアは声を拾うと、弾かれたように発言者を見つけ出し、視線を合わせて言葉を返した。
「私がいるから、もう子どもが行方不明になることはない。」
「あ、あ……はい、あ、ありがとう……」
村人たちは、その思いがけない素早い反応にちょっと面食らい、これまでの話を反芻するように静かに考え込んだ。そして、小声の議論が交わされる。
アスタリアはレベッカとリリーを振り返り、レベッカを見て言った。「一件落着?」
「うん……ありがとね、アスタリア」レベッカはまだ余韻に揺れていた。
――流石にフラマリスのエリート……。レベルが違いすぎる……。同僚のヴィオラも、なかなかの人物だけど……。
「そういえば、リリーって給料もらってないの?」
アスタリアは尋ねた。
「正式な役職に就いているのは私とヴィオラだけなの。
リリーは子供の失踪事件のあと、自分から手伝いに来てくれるようになったの。
他の村でも少数の人が自警団的に見回りをしてるんだけど。リリーだけは時間が比較的あるから、深く関わってくれてるの」
「そうなんだ。」
「ありがとね、リリー。」アスタリアは微かに笑みを浮かべた。
「何てことない」紫の髪のリリーは、いつも通りの声で答えた。
「何かあったらまた連絡してね、アスタリア」レベッカの声が届いた。そして、二人はそのまま立ち去った。
「はい。」
アスタリアは気息を緩め、二人が立ち去る背中を見送った。




