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第41話 ✧❀

「詰め所はこちらです。どうぞ。」


「はい。」


 サーベルの凛とした背中に続き、アスタリアは池を囲む石造りの建築物へと向かった。


 外観は新しく、無骨な造りの堅牢な二階建てで、その上には三階ほどの物見櫓がそびえている。

 城壁と建物に囲まれた中庭に入った瞬間、香ばしい肉の匂いがふわりと鼻をくすぐった。

 そこは小さな城のようだった。


 中庭の中央には一本の木が枝を広げ、その木陰に石造りのテーブルと椅子がいくつか並んでいる。



(そういえば、サーベルがあんな大量に焼くわけないよね。)


 その予想は、次の瞬間、あっさり裏切られた。


「……一頭、丸焼きにしたの?」


 視線の先、厨房の奥に巨大な半円形の暖炉が見えた。

 丁寧に処理された――巨大なイノシシが一頭、後ろ脚を縛られたまま逆さに吊るされている。

 火はすでに落ちているが、残った熾火の熱で肉汁がじわじわとにじみ出している。


「そうです。アスタリアさん、こちらへどうぞ。お掛けになってお待ちください。」


「はい。」


 サーベルが厨房へと入っていく。異様に鋭い刀を手にした瞬間——所作が変わった。イノシシから肉が次々と削ぎ落とされていく。


 昼間とは違い、鎧は身につけておらず、簡素な亜麻色のシャツ姿だった。それでも、その動作の随所に騎士としての経験と実力がにじみ出ていた。


 サーベルは手を止めずに口を開いた。


「少し驚かせてしまいましたか。オスのイノシシは力も強く凶暴だから、住民の代わりに私が仕留めているのです。」



 その時、鈴の音のような澄んだ声が響いた。


「死体の処理、終わりましたよー」


 リズムを取るように体を弾ませながら、中庭の奥の門からヨナが歩いてきた。

 次の瞬間、アスタリアの姿に気づいたヨナの動きが、ほんの一拍、止まった。


 それから何事もなかったかのようにふわりと笑い、ひらひらと手を振りながら近づいてきた。


「あ、サーベルが誰かを連れてくるなんて珍しいから。私も混ぜてほしいなー、なんて」


(今、聞き間違いじゃない……処理、死体、って言ったよね?)


「そうだ。ちょうどアスタリアさんと会ったのでね。イノシシの肉を振る舞おうと思って招待したんだ。先ほど、アスタリアさんが酒場の主人から奪われた金袋を取り返してくれたんだ。」


「なかなかやりますね、アスタリアさん」


 ゆったりとした服とズボンを着たヨナは、隣のテーブルに腰を下ろし、なぜかくすくすと笑い始めた。


「ヨナさん。」


(テーブルに座りたいけど……

 気になるのは、さっきの『死体の処理』だ。多分イノシシのことだ。)


 椅子に腰を下ろしたアスタリアは尋ねた。


「騎士も狩りをするんですか?

それと……さっきの『死体』って、イノシシの死体のことですよね?」


 ヨナが薄く笑って答えた。


「そうだよ。オスのイノシシを仕留めるには正確な盾さばきと突進の見極めが必要だし、一歩間違えれば命に関わる。サーベルは本当に強い騎士なんだから」


 サーベルが付け加えた。


「巡回任務中の騎士は、森周辺の警備のついでに、農地を荒らす獣を見つければ討っている。

 個人で狩りをして、それを収入源にする者もいる。

 盾を斜めに合わせて突進をいなし、そのまま牙を押さえ込み、急所を突くだけだ。」


 アスタリアの脳裏に、ちびキャラ化したサーベルの映像が浮かんだ。


 そのサーベルが騎士甲冑に身を包み、山道をぱたぱたと駆け上がる。

 盾を構えたまま——ドンッ!一撃でイノシシを仕留めた。

 両手でぐわっとそれを頭上に掲げ、とことこ山を駆け下りていく――。


(……なんかかわいい。)



「まあ、私もイノシシの『死体』を処理しますけど……さっき言ったのは、生身の人間二人の方です」


(ん?)


 ヨナの発言に、アスタリアの胸の奥がわくわくと弾んだ。


「さっき、酔っ払い男二人が女の子を覗き見してた常習犯の男を弄んでいて。そこに二本の刃を持った強盗が現れて、三人の金袋を奪っちゃったんです」


(一人覗き見犯、二人酔っ払い、三人分の金袋……?)


 ヨナが不意に口を閉じた。



 アスタリアはヨナをじっと見つめた。


「で?」


「覗き見男は無傷で逃げましたけど、酔っ払い二人は強盗にボコボコにされちゃって。死んではいなかったので、イノシシの死体を運ぶ荷車に乗せて、裏の林に放り込んでおきました」


 その頃、偵察に飛んでいたルビーが見下ろした先では、藁を敷いた荷車の中に、男二人が横たわっていた。


(あの二刀の強盗、もしかして……)


「もし死んでいたら私の出番だったんですけどね。私、専門は『死体の解析と処理』なんで。まあ、生きていても私の仕事に変わりはないんですけど」


 サーベルが歩み寄り、切り分けたイノシシ肉の皿をアスタリアの手元に置いた。


「どうぞ。ヨナは、死体や現場の痕跡から証拠を見つけ出すのが得意でね。」


(法医学者みたいな人だな。)


「ありがとうございます。

お仕事、大変なんですね。」


 サーベルは頷き、中庭の大きな台へと向かった。


 台の上には、本物の大イノシシが横たわっていた。体中には針のような剛毛がびっしりと生え、重たげな死体だった。

 サーベルの刃が振り下ろされた。

 ——ドンッ!

 肉を断つ鈍い音が響き、解体が始まった。



 アスタリアは皿に目を落とした。

 肉は食べやすいよう小さく切り分けられていた。皮付きで脂身は少なく、深い琥珀色をしていた。


 一切れ口に運ぶ。


(……!?)


 驚くほど柔らかい。

 噛み締めた瞬間、木の実のような香ばしさと、濃厚な旨味が溢れ出す。

 皮はほんのりと焦げて、かりかりと歯ごたえがある。


 どうやらこの世界のイノシシは、あの剛毛の下の皮が、焼くとパリッとした食感になるらしい。


「木の実みたいなコクがあって、すごく美味しい。意外と柔らかいね。

 そうだ、これだけの量、食べきれるのかな?」


「どんぐりや根っこをたくさん食べて育ってるからだよ。他の地域のイノシシだと、食べてるものが違うから、またちょっと違った風味になる。弱火で長時間をかけて仕上げてるから、驚くほど柔らかくなる」


 ヨナが楽しげに言った。


 サーベルが静かに続けた。


「時々村人に売ったり、お酒や他の品物と交換したりするんだ。イノシシの肉はお酒と一緒に焼くと、ちょっと独特な風味が出るんだ。」


「前にオスの熊の肉を食べたことがありますけど、今日はオスのイノシシなんですね。」


「雄だけを狩る分には、獲りすぎることはないです。」


 そう言いながら——

 すっと、サーベルの刃が手慣れた手つきで雄のイノシシの下腹部にある急所を切り落とす。

 見ることもなく放ると、くず桶に収まった。


(狩猟技術を身につければ、一生食べるには困らなさそう……一生安泰ルート?私にもできる?)


「そうなんですね。

 明日からはルーカス様とお仕事なんですね。」


 サーベルの刀が——止まった。

 場の空気が、わずかに途切れる。


 サーベルが、何かを言いかけた。




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