第40話 ♡゙ ✧ 月夜の狐と小魚の干物
月光が、見つめ合う二人に静かに降り注ぐ。
時折吹き抜ける風。木の葉のざわざわ――周囲を満たす。
「聞きたいことがある。」
地面にいる少年を見下ろし、アスタリアが言った。
「ほお?」
「今のは魔法?それとも超能力?」
「さぁね――ボスのそれも、なかなかだな」
「超能力の使い方、教えてあげようか?」
「じゃあ、次は何を奪いに行くんだ?」
「とびきり綺麗な城でも盗みに行こうかな。」
アスタリアは淡々と言った。
(昼間に城を見たから、そっちに寄るのも悪くない。)
「へえ、面白そうな仕事だ」
「何種類か持ってるみたいよね。」
「ボスこそ、何種類も持ってるみたいだけど」
(……情報を引き出しようがない。っていうか、あの人の体にもう一つ何か入った包みがある。あれも金でしょう。)
そう思ってアスタリアが手を伸ばす。
しかし、相手は思いがけず――
「腹減った――三日も何も食ってねぇんだ――」
(ありえない。三日も飯を食っていない人間が、これほど動けるはずがない。
金を探らせるのを阻止したいだけ。見え透いたブラフだ。
熊肉のローストを食べているはずだったのに。こんな遠くまで追いかけさせて。
やはり殴る。)
ぐきゅぅぅぅ
そのとき、空気の中、少年の腹の虫が盛大に間抜けな音を響かせた。
「…………」
アスタリアは黙り込んだ。
頭の中で、まるでローディング――
プログラムを選択中……
男なら――殴る。
女なら――観察。
エラー:……分類不能。
暫定的に「観察」を維持。
「食べ物持ってないか?」
「水もないし、あぁ、魚の干物とか食いたいな――」
(???何でこの人、私が小魚の干物を持っているって知ってる?さっき近づいた時に嗅ぎ取ったの?)
狐じゃないし、なんで干し小魚なんだ。
……いや、狐か。
縛られて丸まっているのを見ると、どこか紫を帯びた深藍の狐みたいだ。
綺麗な髪色だ。
骨格も精緻で、月光に照らされたその顔は整っており――極めて中性的な美少女のようにも見える。
私と同じくらいの背丈だが、全身がしなやかな細い筋肉で覆われている。
でも、女の子だとしたら、体脂肪率が低すぎる。
確かに、まともな食事をとっているようには見えない……
「何でこんなことしてるのよ。まともな仕事を探せばいいじゃない。」
「ボスに雇ってもらうのは?」
「断る。」
少年は微かにうつむき――
ぐきゅぅぅぅぐぅぅ
その様子は、まるでモフモフの大きな尻尾を持つ縮こまった紫を帯びた深藍の狐のようだった。
――そんなわけがない。狡賢い狐の演技だ。腹の音まで操っている可能性もある。
アスタリアは無表情のまま携帯していた「旅の糧」――小魚の干物が入った布袋を取り出した。
「……ほら、小魚よ。もう二度と悪さはしないこと。」
(私の干し小魚はかなり辛い。空腹の胃にこの刺激は賢明じゃないけど……)
「喉が渇いた」
「…………」
(手持ちの水は、この一瓶なんだけど。)
「ほら、水。」
「動けねぇ……食わせてくれねぇか?」
「一発殴って、目を覚まさせてやろうか?」
「腹減りすぎて、意識飛びそうだ……」
アスタリアは無視した。
(街に戻って、食事処に何か残っていないか確認するしかないね。)
「その金袋、私は忘れたわけじゃない。仕事紹介所にでも行け。まともな仕事が見つかったら、更生資金として残してあげる。私は行く。」
(もし反撃の挙に出るなら、次は完膚なきまでに叩き潰す。あの金は全額没収。――そして以後、エンカウントするたびにボコボコにしてやる。)
「ボス、オレを連れて行かないの?」
「私のルールに従えない手下は要らない。」
アスタリアは冷たく突き放した。
アスタリアは金属線を回収し、小魚の干物と水、双刀を少年に残し、少年が立ち去るのを見届けるつもりだった。
少年に反撃の気配はなく、するりと木の枝の上へと飛び上がり、振り返り、
「ボス」
「なに。」
(食べる前なのに、随分と元気だな。)
「――ボスこそ、オレの手の中から逃げられないよ」
その顔には、もはや哀れな狐の面影はない。不敵な笑みだけが残っていた。
「…………」
そして、アスタリアの反応を見届けた少年は、闇の中へと消えた。
(酒場が閉まる前に金を返しに行くんだ。この時間ではもう飯にはありつけないかもしれない。)
体を動かしすぎたアスタリアは、魔法の乗り物を走らせて町へと戻った。
✧ ✧ ✧
町の中心、その円形の噴水の傍らに、見覚えのある影が。
「サーベル騎士?」
「アスタリアさん?……こんな所で?」
「酒場でひったくりがあったんですって?」
「そうです。この辺りの治安を担当していて、その件で調査していました。」
アスタリアは預かっていた金袋を差し出した。
「取り戻してきました。金額が合っているかどうか分かりませんけど。あとはサーベル騎士にお任せします。」
「……!感謝します。」
サーベルの内心が、僅かに揺れ動いた。
――ルーカス様に連れられてきた者とはいえ、見るからに体は鍛えているが、まだ若すぎると思っていた。これほどの手腕があるとは。流石に見込まれているだけのことはあるか……
「じゃあ、私は行くね。」
「分かりました。」
(まずは、食事処が開いているか確認……)
三軒連なった入り口を見上げたアスタリアの表情が、一瞬で固まった。
そこには無慈悲に「閉店」の札が。
……絶望。
(この時間では、酒場しかない。)
「……もしよければ、私の詰め所に来ませんか?そこでオスのイノシシを焼いてあります。」
酒場での用件を終え、戻ってきたサーベルがアスタリアに近づいて声をかけた。
(焼いたイノシシ?……またオス?凄い感じがする。)
食欲よりも、好奇心が「上書き」を仕掛けてきた。
「行ってみます。」
✧ ✧ ✧
別の場所。月明かりの下、重力を無視するかのように見渡す限り果てしない高山の木々、その高い枝に軽やかにしゃがみ込む少年は、夜風に吹かれながら、一尾の干し小魚を口に放り込んだ。
「甘い」
周囲の街、城、山脈、農地、そして隣国の黄土までが、夜の闇の中で果てしなく広がっていた。
ふわふわに毛羽立ったワシミミズクのようなベリルは、遠くの林の中から、大きく丸いオレンジ色の瞳を光らせ、静かに情報を傍受していた。
――「甘い」(ナイーブ)と、ベリルは評した。




