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第38話 ⚔

「やったぜ、トンズラだ!」


 その時だった。夜の町を包む静寂を切り裂くように、二人の女が酒場から飛び出してきた。


「待て、この野郎ッ! 盗人め、逃がさんぞ!」


 怒り心頭の店主が大包丁を振り回しながら追いかけるが、二人は待っていた馬に飛び乗り、闇の中へ走り去った。


 酒場から少し離れた場所に、一つの影があった。ディープブルーに紫の混じった短髪の少年が軽やかに身を翻し、柵を飛び越えて暗がりへと消えた。



 ✧  ✧ ✧



 その頃、アスタリアもまた到着していた。気になる店を探して、のんびりと周囲を物色しながら歩みを進めていた。


(このあたりに熊の肉、売ってるかな……)


 少し離れた場所から騒ぎの余韻が届く。


――馬で駆け去る女たち、影のように消えた少年の背中、そして肩で息をする店主。


 アスタリアは瞬時に判断し、一気に加速して柵を飛び越え、暗がりへと突っ込んだ。

 しかし、周囲は闇に包まれ、すでに三人の姿は見当たらない。


(ガーネット、頼む。)


 空には土星のような環を持つこの世界特有の、遠い月がある。白金色の翼を広げたガーネットが、月とその環を背に、世界を俯瞰するように滑空している。



 一方、片隅では、先の小太りの男が不満げに壁から顔を出して小さくぼやいていた。


「この時間に若い女がいるのに……しかも5人も。

……って、さっき……まるで見えない手に操られたみたいに、あの大男が何もできずに倒れちまったぜ」



 ✧  ✧ ✧



 国境近く、まばらな木々が生える場所で、馬上の二人が立ち止まった。


「おい、もう俺たちについてくるな。あんた何もしてねえだろ」


「文句言うなら次から連れてかねえぞ」


 短髪の少年は反論せず、 無言のままだった。ただ、周囲の空気の流れが変わった。



 そこに、この場の空気を切り裂くような、凛とした、しかしどこか傲慢な声が響いた。


「これから私がお前たちの新しい首領だ。その金、すべて没収する。仕事を探――」


(どこで仕事を探せばいいんだ?この辺りの経済の基盤は何だ?鉱山もないし……?)


 アスタリアは一瞬詰まった。でも構わずに続ける。


「真っ当な仕事を探せ!」


 二人が驚いて振り返る。


 アスタリアはポニーテールを空気の流れになびかせながら、悠然と姿を現した。


(本当は高いところから見下ろしたかったけど、ここは暗いし、それじゃ覇気が伝わりにくい。)


「は? あんた誰だよ」


 馬上の一人が口を歪めて言った。


 アスタリアと向き合った少年は、一瞬じっと見つめ、不敵に口角を上げた。初めて口を開いた。


「ボス、金は全部こいつらが持ってるよ」


(え?なにこの子、こんなにおとなしい?)


「てめえ、俺たちを裏切ったのか?」


「オレがさっき認めたばかりの新しい親分だ」


 少年は平然と言い放つ。


「……チッ!」


「なら、お前ら二人はどうする?」


 アスタリアが問う。


「レイ、あいつら構うな、行くぞーーッ!」


 馬上の二人が手綱を強く引いた瞬間、

 アスタリアは二人の隙間へ跳躍し疾風のように突撃した。


 踏み切った勢いを殺さず空中で身体を鋭く捻り、その旋回を乗せた一撃を叩き込む。

 すぐさま、落馬した二人を流れるような体捌きで組み伏せた。一人の手首を掴んで旋回し、関節が悲鳴を上げる間もなくもう一人の腕を捻り上げる。


 抗う力を削がれた二人を、容赦なく地面に押さえつけた。

 一瞬で、駆け抜けた。


「痛ててて……ッ!」

「痛っ、痛てえ……!」


 アスタリアは地面に倒れて呻いている女たちの間から金袋を探り出そうと手を伸ばした刹那――

 少年の影が目にも留まらぬ速さで、視界を掠めていった。


「すごいね、ボス」


(っ……!)



 同時に、不自然なほど強い突風が吹き荒れ、アスタリアの長い髪が乱れ舞い、視界を覆い尽くす。


 音もなく横に滑り込んできた少年が、袋をすっと掠め取る。

 いたずらっぽい態度で――


「バイバイ、ボス」


 人間離れした速度で闇へと駆け抜けた。



 普段ならどんな速い標的でも捉えられる。だが、あの動きは異常だ。

 アスタリアは驚きつつ、即座に追うことを決めた。


 乱れた髪を掻き上げ、誰もいない暗闇を睨みつけた。


(やられた。

ムカつく。絶対に追い詰める。)


 地面で悶える女に視線を投げる。


(まだ二人いるじゃないか。しかも馬が二頭ある。)


「その人、普段どこで活動してる?」


 沈黙。


 アスタリアはもう一度、静かに繰り返した。


「その人普段どこで活動してる?」


 女たちは呆然としていたが、二度目の問いに絞り出すような声で答えた。


「最近知り合ったばかりで……この辺りの町をうろついてた」


(情報量、ゼロ。なら、なぜあの人と組む?)


「そいつと、なぜ一緒にいた?」


「あいつ、足が速くて、囮にするつもりだったんだ……逃げようとしてた」


 アスタリアは小さく溜息をついた。


「真っ当な仕事を探せ。従うなら、馬を一頭くれてやる。特に、店主に害を与えるようなことは、絶対に許さない。」


 アスタリアは眼光を鋭くして相手を見据えた。有無を言わせない、静かな圧力。


「……わ、わかった……」


 もう一人は震えながら頷いた。



 ガーネットの報告によると、少年は馬を使わず、山林の隠しルートで国境を越えていた。すでにエスダロス領内に入っている。


 アスタリアは一頭の鹿毛の馬を解放し、予備の革紐でポニーテールを結い直すと、林地の奥、エスダロス領内へと出発した。


(でも、いろいろと合点がいかない。あの少年、少し変だ。さっき私の革紐が一瞬で切れた。馬もいないのに、あの移動速度。それにあの風……。)



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