第37話 ❄✧
二人は、フラマリスとエスダロスの国境に位置する静かな辺境の町にたどり着いた。
石畳の道が続き、遠くからまばらな人のざわめきが届く。
その先、町の中心部には浅い水盤の円形噴水がある小広場が広がっていた。
並外れて逞しい漆黒の駿馬に跨った、黒褐色の短髪の女騎士が、威風堂々と出迎えた。
彼女は、ルーカスとは異なり、急所を護る軽装鎧に長剣を佩いた、完全な実戦仕様の出で立ちだった。それが実に様になっていた。
その微かな癖毛は、頭皮の輪郭をなぞるような短さに整えられていた。筋肉の躍動と均整の取れたその体躯は、黒豹のような、どこか残酷さすら感じさせる優雅さを纏っていた。
「ルーカス様、お待ちしておりました。」
女騎士は軽くアスタリアへ視線を向けると、続けた。
「私はサーブル。国境の治安を担う王立騎士だ。こちらは従騎士のヨナ。同僚のロビンは、数日後に合流する予定だ。」
サーブルの傍らに立つヨナは、オレンジがかったブラウンの短髪に、そばかすの散った顔立ちの女だった。その目は凛としている。
「サーブル、こちらは私の随行者、アスタリアだ。領主の城に宿を取る予定だ。だが今は、君の執務室で情報を確認させてもらえるか。」
「長旅でお疲れでしょう。本日はひとまず領主の城でゆっくりお休みください。明朝、平服にてエスダロス側の国境の町を視察する際に、手元の資料をすべてご覧に入れます。」
「わかった。」
ルーカスが口元だけで微かに笑った。その目は、なにかを探るような光を帯びていた。
領主の城はいくぶん年季の入った石造りで、小高い場所に周辺の平原を支配するようにそびえていた。
とはいえ、この辺りに本格的な高地はない。城の実態は、ただの丘の上に建っているに過ぎなかった。
城の三つの側面は切り立った断崖を成し、外界との唯一の接点をなす緩やかな斜面が正門へと続いていた。
さらに遠方、城を囲むようにして、木立がそこここに広がっているのが見えた。
アスタリアとルーカスは馬に跨り、ゆっくりと開かれていく城門をくぐって、城へと足を踏み入れた。
正面には、家臣たちが一分の隙もなく居並び、入り口から一本の道が整然と伸びていた。
その一本道の最奥、二人が馬を止めた先に、一人の男が立っていた。
灰色がかった髪に精悍な面差しをした、引き締まった体つきの男だ。深い灰色の装いは品が良く、決して大げさではない。整えられた髭を蓄えていた。
背後には、成人した息子が控えていた。髪は亜麻色だった。
男は静かに、二人を見据えて口を開いた。
「王家騎士団副団長、ルーカス様。よくぞお越しくださいました。」
「ウィンストン伯爵、お久しぶりです。」
ルーカスは続けた。
「ただの国境定期視察です。毎度のことですよ。」
「遠慮なさらず、ゆっくりしていってください。準備は整っております。」
「ありがとう。それと、私の随行者に、隣の部屋を。同じ待遇でお願いします。」
そのやり取りに、アスタリアは内心で「おっ」と呟いた。
(ルーカスって、相当な高位にいるらしい。あんなに若いのに。よっぽど腕が立ちそうね。)
アスタリアの部屋は、城の隅っこにあった。
机とベッド、そして洗面所。それから、遠くまで見渡せる窓。
これはむしろ好都合だ。目立たないし、誰にも気づかれずに抜け出して戻ってこれそう。
夕食を終えたアスタリアは体を伸ばしながら、頭の中はもう、夜のこっそり冒険でいっぱいになっていた——
他人の領地にいるのは、やっぱりちょっと窮屈だ。
ルーカスの視察の件だけど、地元の騎士も協力してくれるみたいだし、私はただの随行者。
自分がやるのは、ルーカスの傍に控えて、あとはやり取りや雑用、馬の世話とか。
あと、ルーカスの地位をそれとなく見せつける……とか?
窓の外を見やる。魔法でひょいと跳べば城壁や断崖なんて越えられる。なんでもないことだ。
駆け出して、雄熊のローストを食べて、体を動かしてくる?だって、十日も馬に揺られてたんだし。
✧ ✧ ✧
その時、夜の町。
酒場から少し離れた、人混みから外れた隅。
酔っ払いの大柄な男と、禿げた小柄な男が、ひとりの髪のふさふさとした小太りの男を取り囲んでいた。
小太りの男は、暗がりの厩の二重の柵に背中を押し付けられている。
「酔ってるだろ。俺は女じゃない。どけ!」
「だが俺はな、おまえみたいな、ふわふわした感じが好きなんだよォ」
小柄な男が、下品な笑いを浮かべながら、ぽっちゃりした男の胸元にぐいぐいと身体を擦り寄せる。
「こんな時間に外歩いてる女――ヒック、見当たらなかったしなぁ」
大柄な男も負けじと、反対側から逃げ場を塞ぐようにその巨躯をねじ込んだ。
挟み撃ちにされた男の身体は、二人の肉壁と背後の硬い木柵の間にみしりと埋もれていく。
――ぎらり。闇から突き出された二振りの短刀が、二人の首元で交差し、空気が一瞬で凍りついた。
闇の中に、誰かの気配があった。
「金を出せ」
声は二人の背後、奥の暗がりから降ってきた。
その氷の触感に、二人の体は、一瞬で素面に戻った。おずおずと懐を探り始めた。
「あ、あー酔いすぎて、金落としちまったみてえだ」大柄な男が言うや否や、チャリンと硬質な音が地に響いた。
大柄な男の目に、誰も気づかぬほど微かな凶光が宿った――相手が拾いに屈む隙を狙うつもりだ。
一方の小柄な男も、ちゃっかり横目で様子を窺いながら、もたもたと金を探すふりをしている。
「オレに直接探らせるなら、それなりの痛みを覚悟してもらうよ?」
電光石火——大柄な男は糸の切れた人形のように、ただの肉の塊となって崩れ落ちた。
「ち、血だ、血だらけだ——ッ!」
小柄な男は、自分の額から流れて手にべっとりと付いた血を見るなり、そのまま白目を剥いて意識を失った。
「ひっ……だ、出します! すぐに出します!」
小太りの男は震える手で財布の中身を差し出した。
「行け」
短く命じると、小太りの男は泣きそうな声で何か呟き、肉を揺らして逃げていった。
「も、もう二度と夜の酒場になんて近づくもんかぁ——」
その気配の主が、闇に沈んでいた二重の柵から光の下に飛び降り、倒れた二人の男から手際よく金を巻き上げた。
淡い光に照らし出されたのは、ディープブルーに紫が混じった短髪の少年だった。細身の体に軽装の衣服をまとい、腰には二振りの短刀を下げていた。
その表情と空気は、世界を嘲るような不敵さと危険の匂いを漂わせていた。




