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真冬のひまわり  作者: 大柑子


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02. ひまわりの咲く部屋



 行きの電車で清々しい顔をしていた自分の顔は、見る影もなかった。出勤時よりさらに疲れて見える。


 平日昼間のガランとした電車内は、朝日に包まれて輝いていた。


 走行音だけ聞こえる空間は、非現実的で夢を見ているのかと錯覚させる。


 幸治は隣を見た。

 

 金色のストレートロングの髪にキラキラと日の光を反射させながら、幸治が買い与えたチュッパチャップスを子どものように舐めている少女。


 日向華と名乗ったその子は、電車に乗り込むと同時におもむろに経緯を話し始めた。



『オフィーリアって知ってる?』


『名前聞いたことくらいは……有名な絵画のことかな』


『ウチの壁、ひまわり畑描いてて天井は青空なんだ』


『オフィーリアの話はどこへ行ったんだ』


『あとはコウジが真ん中で凍死してくれたら作品が完成するの』


『言ってる意味が何一つ分からない……』



 幸治は座席に沈み込んで深いため息を吐いた。


 今朝は四時起きだった。


 忘れ物確認は気が済むまでした。


 現地は複数回下見済み。


 脳内シミュレーションは百回以上。


 完璧だったはずなのだ。それなのに。



「失敗の可能性を限りなく潰したはずだったんだけどな……」



 何度もため息が漏れる。日向華が顔を上げて幸治を覗き込んだ。


 吊り気味の大きな目が視界に広がる。



「コウジ泣いてるの?」


「泣いてません」



 日向華がチュッパチャップスをおもむろに取り出し、幸治の方に向ける。



「飴あげよっか?」


「一度口に入れたものを人に渡そうとするな」



 うっかり「汚い」と言いかけて、飲み込んだ。


 この子は実年齢よりも行動や言動が幼い気がする。



「優しさだよ」


「衛生観念を覚えて」



 日向華は納得していない顔で再び飴を舐め始めた。


 なんだか気が遠くなってくる。先ほどまでは人生を終わらせる気でいたのに、今はそんな気持ちまで削がれてしまっているのを不思議に思った。




 ⸻




 アパートに着いたのは夕方だった。


 家に向かう途中、周りに目移りしてはその場から居なくなる日向華を回収しては帰路に戻すのを繰り返した。


 いっそ置いていって雑木林に戻ろうかと、何度思ったかわからない。



 「ここ」



 日向華が建物を見上げながら言った。


 古びた二階建てのアパートで、外観はどこにでもある賃貸住宅に見える。



「……普通のアパートだ」


「家だもん」



 錆びついたスチールの階段を上り、203号室の前で日向華が立ち止まる。


 幸治は思い出したように口を開いた。



「そういえばひなかさんって未成年じゃないよね」


「うんお酒飲めるよ。なんで?」



 酒が飲めるかは聞いてないなと幸治は思いながら、説明をする。



「一人暮らしで未成年の女の子の部屋に上がり込むのは、世間体的にちょっと……」


「18も20も変わんないじゃん」


「そうなんだけども……」



 鍵など取り出す素振りも見せず、日向華はそのままドアノブを回した。



「……鍵かけてないのか?」


「かけない」


「……なんで」


「盗られるものないから」



 一人暮らしさせていいのか?と段々不安になってくる。


 酒が飲めると言っていたから、20歳は超えているのだろう。それなのにこの常識の無さは一体何故なのか。



「どーぞ」


「お邪魔します……」



 鉄扉を抜け、廊下を進んだ先でドアを潜る。視線を足元から上げた瞬間、幸治は息を呑んだ。


 視界いっぱいに広がる、ひまわり畑。


 よく晴れたサファイアブルーの空がコントラストになって、より花々が際立って見えた。



 ⸻美しい。



 瑞々しい葉が揺れ、夏の光が降り注いでいるようだった。


 秋の夕暮れの薄暗い部屋にいるはずなのに、ここだけ別世界だ。



「……すごい」



 思わず言葉が漏れる。


 日向華はふふんと鼻を鳴らして、得意気に胸を張った。



「でしょ?」


「……でもここ賃貸だろう」


「そうだけど、だから何?」


「原状回復とか知らないのかな」



 原状回復の意味がわからなかったのか、日向華はその場に置いてあった筆を取り、壁に塗り始める。


 部屋の中央にはブルーシートが敷かれており、その周囲だけがまだ未完成だった。



「ここ」



 日向華がおもむろにブルーシートを指差す。



「寝て」


「急だな」


「早く」



 人の話を聞かないよな……とぶつぶつ言いながら、幸治は指さされた場所に寝転がる。


 天井は真夏の快晴を思わせるような青一色だった。


 入道雲なんかがあっても良さそうなのにと素人目線で思う。


 視界の端にひまわりの黄色がチラチラと映り込んで、まるでひまわり畑の真ん中で寝ているような気分になった。



「……凍死って、今日の気温じゃ厳しいと思うけど」



 寝そべりながら、首だけ日向華の方に向ける。


 日向華は興味なさそうに壁に続きを描きながら平然と言った。



「まだ死なないよ。完成してないから」


「え」


「まだお花描かなきゃ」



 部屋に沈黙が訪れ、ザリッザリッと壁に絵の具を乗せる音が響いた。


 何を言っているのか理解するのに数秒かかった。



「いやだって、ウチで死んでって」


「うん」



 何か言いたいのに、うまく言葉が出てこない。



「完成したらね」



 思わず大きな声で「なんだそれ!」と言いかけて、堪えた。


 自分の計画を辞めさせておいて、まさかこんな曖昧なことを言われるとは思ってもみなかった。



「いやあのさ、俺は今日死ぬつもりでいたんだよ」


「だめだよ」



 寝そべりながら、幸治は頭を抱える。あまりの話の通じなさに涙が出てしまいそうだ。


 「ダメってなんだよ……」と掠れた声が出る。


 背を向けていた日向華がこちらに身体を向ける。目が合った。力強い瞳に射抜かれ、動けなくなる。



「この部屋すごいって言ったでしょ?


 完成させるために手伝って」



 しばらくの間、日向華と見つめ合う。


 幸治はゆっくり目を瞑り、手のひらで顔を覆った。


 腹の底から、深くて長いため息をつく。



「……いつ完成するの?」


「わかんない。納得できたら」


「プロですね……」



 今日死ぬつもりだった。覚悟もしていた。半年以上前から準備をしたのに。


 どうやらとことん運がないらしいと、幸治は己の身の上を嘆いた。




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