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真冬のひまわり  作者: 大柑子


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01. 死ぬ予定だった日

自殺描写があります。



 楽天的か心配性かと言われたら、多分、神経質なほど心配性だと思う。


 坂上幸治は洗面台の前で丁寧に髭を剃りながら、鏡の中の自分を見つめていた。


 初めてやることに対して必要以上に準備をしてしまうのは昔からだった。忘れ物はないか、手順に抜けはないか、不測の事態に対応できるか。頭の中で何度も確認し、不安を一つ潰せば次の不安が顔を出す。


 スーツに袖を通しながら、ふと苦笑する。


 自分に厳しすぎる。昔、誰かにそう言われたことがあった。


 最早これは気質だから、きっと直らないのだろうとどこかで諦めている。


 鍵を手に取り、カバンに入れる。ついでに荷物の再確認をした。昨日から数えて、もう8回目だ。


 忘れ物がないことを確認して家を出る。


 人の流れに沿って、前の人にぶつからないように駅に流れ込んでいく。改札にSuicaをタッチし、電車へ乗り込む。


 遅延があっても絶対に遅刻しない時間に家を出るのは、もはや習慣というより強迫観念に近かった。


 揺れる車内でつり革を握りながら、幸治は窓の外へ視線を向ける。


 流れていく街並みは見慣れたものだったが、今日だけは少し違って見えた。



『次は、戸田。戸田。お出口は右側です。The next station is Toda.』



 車内アナウンスが流れる。


 スマートフォンはわざと置いてきた。


 今頃、上司から何十件と着信が入っていることだろう。


 通勤時に初めて会社とは逆方向の電車に乗った。


 それだけのことなのに、肩に食い込んでいた何かが少しだけ軽くなった気がした。


 窓ガラスに映る自分の顔は、不思議なくらい穏やかだった。



 ⸻もう、頑張らなくていい。



 そう思うと、胸の奥に長年溜まっていた泥のような疲労が静かに沈殿していくのを感じた。







 向かった先は、人気のない雑木林だった。


 秋の空気は冷たく澄み切っていて、葉を落とした木々の間から白い光が差し込んでいる。


 鳥の鳴き声が遠くで聞こえた。


 幸治はカバンから折りたたみ式の踏み台を取り出し、木の根元へ置いた。


 ロープを幹に回し、何度も結び目を確認する。


 ロープを引っ張る。もう一度引っ張る。輪の大きさを調整する。頭が入るか確かめる。


 失敗したくなかった。


 人生のほとんどを失敗し続けてきたのだから、最後くらいは上手く終わりたかった。


 踏み台へ上がる。


 ロープを首に掛ける。


 深く息を吸う。


 肺の奥まで冷たい空気が入り込んだ。


 そしてゆっくり目を閉じる。



 ⸻ようやく終わる。



 とても長かった。長く苦しい人生だった。


 ふと目の前が暗くなったような気がして、目を開けた瞬間に視界いっぱいに少女が映った。


 背中から光を受けて金色の髪がキラキラと靡く。


 逆光だからか、顔がよく見えない。


 幸治はぼんやり思った。



 ⸻ああ。


 天使だ。



 次の瞬間だった。



 ドンッ!!



 遠慮も容赦もない勢いで突き飛ばされ、幸治の身体は踏み台から転げ落ちた。


 勢いよく背中から地面へぶつかり、肺の空気が一気に押し出される。



「ぐっ……!」



 乾いた土の匂いが鼻をついた。


 手のひらに鈍い痛みが走る。


 何が起きたのか理解できないまま身を起こそうとすると、目の前にしゃがみ込んだ少女と目が合った。



「おじさん死ぬの?」



 大きな瞳だった。


 驚くほど真っ直ぐで、悪意も遠慮もない。


 ただ純粋な疑問を口にしているだけの顔だった。



「いたた……は?」


「おじさん死ぬの?」


「え、いや、何……?」



 少女は答えなかった。


 鈍く痛みが走って、幸治は手のひらを見る。


 擦りむいた所から血が滲んでいた。



「うわっ血出てる」



 幸治はげんなりした。


 せっかくの最後なのに怪我をした。なんだか締まらないなと、最後の最後まで自分を憐んでしまう。



「おじさん死ぬの?」


「いや君誰……なんでそんな思い切り突き飛ばしたの……?」


「死んじゃいそうだったから」



 は、と息が漏れた。酷くガッカリしている自分に気がつく。



「……助けたのか。迎えに来たと思ったのに」



 少女は不思議そうな顔でしばらく幸治の顔を見つめた。


 そしてふと、思い出したように言う。



「日向華」


「え?」


「私の名前」


「……君、友達いる?話が噛み合ってないんだけど……」



 日向華がむっとした表情になる。感情の読めない顔をしていたのに、機嫌を損ねた時はわかりやすいようだ。



「失礼だね。いるよ。


……たぶん」


「たぶんって」



 ふはっと笑みが溢れる。しばらくして、自然と笑えた自分に驚いた。


 こんな風に笑ったのはいつぶりだろう。


 日向華は不思議そうに幸治を見ていた。なぜ笑われているのか理解できないらしい。



「なんで笑ってるの?」


「いや……ふふ」



ひとしきり笑って、幸治はふうと息を吐いた。



「……悪いけど、ひなか?さん。


 僕のことは放っておいてくれないかな」


「おじさんの名前は?」


「話聞いてた?」



 どうやら自分は、この子がツボらしい。訳の分からない返答しかされないのに、おかしくてたまらない。


 最後にこんなに楽しい気分になったのはいつだろう。思い出せない。


 日向華は苛立ったように声を上げた。



「名前」


「坂上です」


「名前だってば」


「ああ、幸治です」


「コウジ」



 日向華は満足そうに頷くと、何の前触れもなく言った。



「コウジ、死ぬんでしょ?」


「まぁ……」


「ならウチで死んでよ」



 動きが止まる。一瞬言葉の意味が理解できず、森のざわざわとした喧騒がやけに大きく聞こえた。



「……どういうこと?」


「作品が完成するから」


「もっと分からなくなった」


「来て」


「いやだから説明を」


「来て」


「聞いて?」


「来て」


「……」



 腕を掴まれ、グイグイと引っ張られる。


 幸治は仕方なく側に置いていたカバンに折りたたみ椅子を入れて、彼女の後ろをついて行った。


 なぜいつも自分の計画はうまくいかないのだと、肩を落としながら。



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