5.紫
隠は、顕されることを求める。知覚もされずに隠れているが、暴き出されたいものなのだ。望み通りにしてやれば、満足するのか消え失せる。満足というより観念だろうか。だが隠の気分など知らないし、そもそも気分などあるかも知らない。
ともかく顕術で顕せば、半分は勝ったようなもの。ただし、顕術では討伐できない。範囲内では隠を顕認でき、また範囲内のひとたちが隠の害を受けにくくなるが、隠を消滅させることはできない。顕したあとにやるべきは、「影」をまとわせた刀剣による、いわゆる物理攻撃である。内からのほうが早く済む。隠れることも隠すこともできない、内に直接触れるので。
直接触れて、浸食する。そのためにやるべきことというのは、相手の隠の大きさにもよるが、こちらから内へ飛び込むことだ。内から、暴いてめちゃくちゃにする。真折薫子の言っていた、「あんなことやこんなこと」とはおそらくこれのことだろう。ひと月前も、等級一を相手にやった。そのあとごろから、隠をとらえづらくなってしまった。あのときも、いまも不可抗力だ。不可抗力だ。仕方なかった。
足を捕らえた、力が弱まる。立っている場所が壊れ始める。パズルの世界が崩れるように、ぼろぼろばらばら瓦解していく。消え去っていく足もとに、地面のアスファルトが見えた。その上に立つ遥の姿も、だんだんはっきり見えてくる。こちらを見あげて唖然としている。やはり、移動していない。
目が合った、と思った瞬間、ふっと足場がなくなった。遥の前に着地して、すぐにうしろを振り向くと、高架下に詰まった隠はほとんどすべて消えかけていた。やがて、伸び縮みする紫もどきも、ぎざぎざの黄ばみも見えなくなった。甘ったるい腐臭も失せて、空気のぬめりも徐々にほどける。全身にまとわりついた、べちゃべちゃとしたいろいろも、あっさり風にさらわれていく。
隠れていても、そこにいる。暴き出されると消え失せる。消滅。欠片ものこさない。いっそこちらがむなしいくらいに、最後のひとひらがきらめいている。見つめて、柊はそっと呟く。
「紫陽花」
暴雨を振って納める。なにも付着していないので本当は振る必要もないが、なんとなくいつもそうしてしまう。隠退治にしか興味ないのに────ふいに自分の矛盾を感じた。かちんと、暴雨が納まったとき、死んだ隠みたく霧散した。そしてその場は静まり返る。
だれかが、だれかを呼ぶ声が、ずっと遠くで響くのを聞く。ごとん、がたんと頭上が揺らぎ、砂嵐に似た電車が去った。柊は首だけ振り向いた。
「終わった」
短く告げると、みたいだね、と返事があった。さっきまで、げえげえと騒ぎ立てていたのに、低く落ち着いた声だった。指がぱちんと鳴らされる。顕術を解いたらしかった。
柊は少し戸惑いながら、遥のほうへ身体を向けた。どうして少しも離れなかった。そうたずねようとして、出たのは別の問いだった。
「異常は」
「ないでしょ。見てただけだよ?」
遥は、ひょいと肩をすくめる。
「自分の心配したらどうなの。まあ、なんともなさそうではあるけど」
平坦な調子で言った。隠を顕したときと同じく、指を組み合わせ、ほどいては組む。隙間から柊を覗き見る。ちかりと、小さく光が散った。
「ふうむ。今回はなんともないね」
隠の害は食われることだけではない。隠の持つ「隠影」に触れることも、人間にとって害になる。「隠影」は隠の内側に多く、触れると「影」が減ってしまう。「影」が減りすぎると、ひとは消える。
そして「影」の減少は、顕術を使わなければわからない。本人すら気づきにくいので危険だ。隠への攻撃を素手でせず、刀剣を使うことになっているのも負担を減らすためである。
柊もすぐに顕術を使った。そして遥に歩み寄り、訝しげに眉を寄せる彼に、脈をとらせろと要請する。返事がないので手首を掴むと、はっとするほど細かった。細いだけでなく骨ばっており、折れるか透けるかしそうなくらいだ。思いがけないほど動揺しながら、なんとか鼓動を探り当てる。「影」が減ったとき特有の、微細な揺らぎは感じられない。だいじょうぶだ。離れようとしたとき、するりと手から手首が抜けた。
「なんなのきみ。なにすんのさ急に」
呆れたような声だった。
「僕が顕術使ったんだから、きみは使わなくてもわかるだろ。こんな近くにいるんだし」
「あ……」
「あ、じゃないだろ。解くね」
遥はぱちんと指を鳴らした。
「きみってずいぶん勝手なんだな。こんな、心配みたいなことして。僕の『影』なんて腐るほど湧くって、もう何回も言ったでしょ。『隠影』に触って減っちゃったって、あっという間に復活するんだ、だれかさんとかと違ってね」
「なに──」
「でもほんと、すぐ終わったね……もう気色わるすぎて、テンション乱高下だけど」
遥は大きく伸びをした。勢いがよかったので、広すぎる袖がずり落ちて、細い腕が露わになった。
「……わわ」
いそいそと袖を戻し、指の先まで覆ってしまう。柊はなんとなく視線をそらした。
「影」の力がとんでもない。離れなかった。細すぎた。なんなの。勝手だ。きみってさ。頭の中が震えている。
「顕認できた。ありがたかった」
脈絡もなく伝えると、だろうね、と素っ気ない言葉が返った。そうかと思えばつぎの瞬間、ぐいっと距離が詰められる。
「ねえいま。いいもの見つけちゃった。ほら、あれ。あれ見てよ」
弾んだ声で指差したのは、空っぽのトンネルの向こう側だった。
「自販機。僕、目がいいんだよね。ねえ、ありがたかったんならさ、奢ってよチョコ。あのチョコ奢って」
思いきり目を細めて見ると、プロテインバーの自販機である。チョコレート味もあるらしい。確かに「チョコ」だが、少し違う気がする。それでも遥はご機嫌だった。おねだりするのがチョコレートって、かわいすぎない? かわいすぎ、とさえずるように言っている。見あげてくる目はきらきらしており、よく磨かれているのだと思った。
「さっきの記録が終わってからな」
「やった、マジメくんの奢りだ!」
喜んでいるのか、よくわからない。柊は小さくため息をついて、ジャケットの内ポケットから携帯端末を取りだした。私物ではなく任務用のものだ。
「あ、ねえ、きみってたぶんさ。自分の私物の携帯とかは、仕事中持たない派なんだろ」
そんな派閥は知らなかったが、いつの間にか所属していたらしい。なぜかまた言い当てられてしまった。




