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隠《  》  作者: 相宮祐紀
紫陽花
6/7

6.巧 





** **





 (はるか)は、チョコレート味だけにとどまらなかった。自動販売機のプロテインバーを、全制覇した。(しゅう)の財布で。柊は、なにやらぼんやりしていて、気がつくと全部買っていたのでたまげた。そのうえ喉が渇くだろうと、隣の自動販売機から自主的に水を購入し、遥に手渡してさえいた。

 大層な額になったわけではないが、想定の五倍はかかった。チョコレートもチーズもバナナも苺もキャラメル味も食べ尽くし、ペットボトルの水も飲み干して、遥は満足そうにしていた。トイレに行きたくならないのかと聞くと、おじさんみたいとか言ってけらけら笑った。その後は、ずっとそんな調子だ。

 ほくほくしている遥を伴い、高架下周辺の巡回をした。特に異常は見あたらなかった。ほかの隊士からの応援要請や、別の任務の連絡もないので、今日は平和なほうらしい。もうすぐ昼の時間帯なので、昼食をとってそのあとは、引き続き巡回をおこなう。なにもなければ事務所に戻り、道具を手入れしたら帰宅だ。だが、いつなにが起こるかわからない。気を引き締めていなければならない。

「ねえ、お昼だ。おなかすいたよ」

 横から腑抜けた声が聞こえた。ぷらぷらと手を振って歩く遥だ。軽度だが千鳥足である。アルコールは飲ませていないのに。柊は、目もとの痙攣を感じた。しかし遥はかまわない様子だ。

「きみ、いつもお昼どうしてるの? 行きつけのお店とかあるの。もしかしてお弁当つくってる?」

「弁当は、今日はつくってきてない」

「やっぱり、つくるときあるんだね。なんかそういう顔してるもん」

「行きつけとか言えるほどの店もない」

「覚えてもらえないの? 顔面いいのに」

「今日は無計画だった」

「お昼ご飯ノープランね。でも僕おなかすいちゃった」

 朝から(おに)に飛び込んだのが、嘘になりそうなのんきさだ。柊はこめかみを押さえたが、遥は無茶を言っているわけではない。いまは確かに昼休憩の時間だ。少し考えてから横を見やった。

「ラーメン。は、食えるか」

 なぜかぎこちなくなったひとことで、遥の周囲に星が飛ぶ。

「えっ? ラーメンめっちゃ食えるよ、鶏白湯(とりパイタン)がいちばん好きで」

 週一回は行く店があるが、そのようなメニューは存在しない。

「あ、でも僕、雑食だから。なんでもおいしく食べられちゃうの」

 少し以外に思ったとき、遥は見透かしたような笑みを浮かべた。

「偏食っぽいってよく言われるけどね。きみみたいなほうが意外と、同じものばっかり食べたりするよね」

 遥は小さく舌を出す。ナチュラルにそんな仕草をする人間は、いままで見たことがないという気がした。





** **





 駅の横の、ちょっとしたショッピングモールに、中華料理店がある。あまり大きい店ではなく昼時は混雑しているが、回転が速いのであまり待たない。ふたりですぐにカウンター席に通され、ラーメンと餃子を注文した。遥も同じのにすると言い、あとチャーハンとつけ足した。

 カウンター席の高い椅子に座り、遥は足をぶらつかせていた。新品らしい白いスニーカーは、どうやら少し厚底だ。足を揺らしつつ首を伸ばして、厨房を覗こうとしている。小柄なので見えにくいようだ。あきらめて、手もとに置いてあるタレの小皿を見始めた。

 柊は、てかてかとした中華鍋が勢いよく揺さぶられるのを眺めた。油の弾ける音と香りと、かすかな熱気と雑誌とニュースが強火で掻き回されている。ふわふわとした卵の中に、紫もどきが混じる気がして、ぬめりと臭いがよみがえりかけ、ふいに手の甲がひんやりとする。

「きみはさ、醬油ラーメンが好きなの」

「────え」

 右横に座る遥が、水の入った冷たいコップを柊の手の甲にあてていた。

「醤油ラーメンがおいしいんでしょ。ここ」

「あ……、まあそうだな。うん」

「餃子も好きなの? 家でも作る? 鶏白湯は食べたことある?」

 急な質問攻めだった。意識したことがなかったのだが、席の間隔が狭いらしい。ビスクドールめいた小さな顔が、思いのほかすぐ近くにあった。繊細な睫毛を透かす、丸い瞳がこちらを見ている。柊はすっと背筋を伸ばした。

「鶏白湯はそんなにいいのか」

「きみに質問してるんだけどな」

「なんで」

「なんで? なんでって」

 この質問に理由いる? と遥は首を傾けている。

「なんにでも崇高な意義を求める派かな。じゃあ……、一時的だけどバディになったきみと、うまくやってくためってことで。食べ方とか、好きな食べ物とかには、性格が出るって言われてるんだよ。どうだ。これでスーコーか」

「へえ」

「へえって。なんなのさ」

 遥が口を曲げたところで、ちょうどラーメンが運ばれてきた。店員のひとにお礼を言うのは、遥も同じらしかった。目の前に現れた、見慣れたどんぶりは大きめだ。透き通ったもやしがたっぷり盛られて、チャーシューは二種類のっている。

「あれ、これって豚と鶏だね。切る厚さも変えてあるんだ。もやしもきれいに茹でてあって、こういう細かいの、僕すきだな」

「そうか」

 箸を遥に渡しながら、俺もと言う機会をなんとなくにがした。左の席のひとが帰っていった。すぐに片づけが済ませられ、つぎのお客がやってくる。

「あっ、班長、おつかれさまです!」

 はつらつとした声に、はっとして見ると、左横にやってきたのは顕影隊(けんえいたい)の後輩だった。いちおう柊が班長である、扇港(おうぎみなと)顕影隊二の隊三班のメンバーだ。ひとが少ないので分かれているが、同じ区画を巡回している。

斎藤(さいとう)。おつかれさま」

 柊がこたえると、斎藤(さいとう)佳歩(かほ)はにこっと笑い、頭をさげてから席についた。高く結んだ黒髪が弾み、モスグリーンのスウェットの肩を流れる。椅子には鞘袋が立てかけてある。

「午前中はどうだった」

「七番の空き地に変なのいました。ゴムボールみたいに弾むんです。それですっごいうるさいんですよ、そんなに強くはなかったですけど。班長はどうでした?」

「奇天烈な奴とやり合ってきた。未登録の高架下で」

「あ、そうでしたよね、どんな?」

「腐った太いホースみたいな。歯が生えてて、べとべとしてた」

「うぅわ、それはキテレツですね……記録よく見ておきます」

 表情豊かな斎藤は、ふと首を伸ばし、小さく手を振る。

岡部(おかべ)、こっち。こっちだよ」

 呼ばれて、斎藤の隣まで来たのは同じく班員の岡部(おかべ)啓太(けいた)だ。三班のメンバーは三人である。岡部は柊を見つけると、ひとなつっこい笑顔を見せた。がたいがよく日に焼けており、蛍光オレンジのTシャツなので店の中でもよく目立つ。隊長の真折(まさき)薫子(かおるこ)もたいてい蛍光色なので、並ぶと照明になりそうだとか内輪でもっぱらの評判である。

 この岡部と斎藤のふたりは同時期に顕影隊に入っている。斎藤が柊の前のどんぶりを覗いた。

「ラーメンおいしそうですね、でも唐揚げ食べようと思ったんだよなあ……岡部どうすんの、ニラ玉か? いまなら白飯がついてくる」

「ニラ玉は食うけど、ラーメンもいく。大盛り。あとチャーハンも大盛りかなあ。欲しいんならラーメンちょっとやるけど」

「違うそういうんじゃないの。ちょっと食べたら満足じゃないの。いま、唐揚げで腹を満たすのか、ラーメンで腹を満たすのか、そこに迷ってんだよねわたしは」

「へーそう意味わかんねーな」

 仲良くメニューを奪い合うふたりの後輩たちを横目に、柊はラーメンを啜り始めた。あっさりしていてどこかやさしい。落ち着くいつもの味だった。右側でもやしをつつく遥に後輩だと伝えたところ、だろうねわかるよと返される。だってそういう目で見てる、ちょっとお父さんみたいじゃない、とか言われた。

 後輩自体が少ないし、境遇が似ているので、ふたりのことは気にかけているつもりだ。斎藤は昔から顕影隊士を輩出している家の出身で、そこは共通点ではない。だが斎藤は中学生のとき、母親を(おに)に奪われている。岡部のほうは、柊と同じ一般家庭の出身だ。(おに)の被害に遭ってはいないが、家の中に居場所がなく、顕影隊の事務所にたどり着いた。

「あっ、柊さん……」

 ようやく注文を終えたらしい岡部が、斎藤ごしに覗き込んでくる。どうやら岡部は柊ではなく、横の遥を見ているらしい。紹介しようと思ったとき、斎藤が岡部の背中を叩いた。著しくよい音が響いた。

「痛っ、おまえ、いってぇな……」

 顔をしかめる岡部を無視し、斎藤が身を乗り出してくる。

「え、あの、もしかして……、もしかして御衣(みけし)(はるか)さんですか……?」

 柊は背中をのけぞらせて避けた。斎藤に迫られた遥は、大きな目をきょとりとさせている。箸でつまんでいたチャーシューが、もやしの上にぽとりと落ちた。

「……あ、うん。そうだけど……」

「うわぁっ、あっ……、ほんものだ……!」

 斎藤は両手で口を覆って、なぜか感激の声を漏らした。いままで見たことないほどに、目がきらきらと輝いている。完全に憧れのまなざしである。岡部も身を乗り出してきて、マジかよとか呟いている。柊はなにがなんだかわからず、ふたりと遥を見比べた。

「遥、そんなに有名なのか」

「遥そんなに有名ですよ……!」

 即座にこたえたのは斎藤だ。

「だって、めちゃくちゃきれいだし、全国いろんなところに行って、補給してくれるんですよ?」

「ああ……」

「でも、それだけじゃないんです。『(かげ)』をいっぱい持ってるだけじゃなくて、顕術(けんじゅつ)がすごく巧みなんです、すごい努力されてるんです、じゃないと、超絶多い『影』なんて操れるわけないですからね、ほんとにすごいひとなんですよ、年もほとんど変わらないのに……」

「こいつ大ファンなんですよ……」

 勘弁してやってくださいというふうに、岡部が横からつけ加えた。そうですごめんなさい大ファンなんです、と斎藤はこくこくうなずいている。

 そういえば遥は自分でも、僕って結構有名だとか、そういうことを言っていた。柊は遥のほうを見た。目が合うと、遥はにやりと笑った。勝ち誇った笑顔に見えた。椅子からぴょこんと飛びおりて、斎藤のほうへ歩み寄る。斎藤は椅子からずり落ちた。

「斎藤さん。よかったら握手する?」

「へっ?」

「サインしようか? 紙とか持ってる?」

「いやっ、紙……っ、色紙買ってきますっ?」

「いいよ、ここの紙ナプキンもらってもいいし、きみの手でもいいんだし。あ、いまじゃなくてもだいじょうぶだよ。僕しばらくはここにいるから。きみたちの先輩のバディなんだよ」

「────え? え、班長の?」

 こちらを見あげた斎藤は、ほぼ泣きそうになっていた。

「なに、それ、あれ……、そっか……、だから班長と一緒にいるのか……、あ、じゃあ、じゃあ班長、そんなに『影』足りてなかったんですか……? ずっとめちゃくちゃしてたのに……?」

「マジかよやべぇ。このひとやべぇ……」

 そのあとはかなり混乱したが、ほかの客に迷惑なのでいろいろ外でやれと命じた。遥と同じものを注文した斎藤は、サインの約束を取りつけていた。本当に泣きそうになっているので、岡部が若干引いていた。

 先に席を立つことになったため、後輩ふたりが店を出るときは、もうお会計は済んでいますよと言われるように取り計らう。支払いをしているあいだ、遥がずっとにやけているので、どうしてくれようと思ったもののとりあえず捨て置くことにした。斎藤のひとことが、目の上あたりをちらついていた。すごい努力されてるんです。当人は店を出てからも、にやにや、ふわふわしていたのだが。

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