6.巧
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遥は、チョコレート味だけにとどまらなかった。自動販売機のプロテインバーを、全制覇した。柊の財布で。柊は、なにやらぼんやりしていて、気がつくと全部買っていたのでたまげた。そのうえ喉が渇くだろうと、隣の自動販売機から自主的に水を購入し、遥に手渡してさえいた。
大層な額になったわけではないが、想定の五倍はかかった。チョコレートもチーズもバナナも苺もキャラメル味も食べ尽くし、ペットボトルの水も飲み干して、遥は満足そうにしていた。トイレに行きたくならないのかと聞くと、おじさんみたいとか言ってけらけら笑った。その後は、ずっとそんな調子だ。
ほくほくしている遥を伴い、高架下周辺の巡回をした。特に異常は見あたらなかった。ほかの隊士からの応援要請や、別の任務の連絡もないので、今日は平和なほうらしい。もうすぐ昼の時間帯なので、昼食をとってそのあとは、引き続き巡回をおこなう。なにもなければ事務所に戻り、道具を手入れしたら帰宅だ。だが、いつなにが起こるかわからない。気を引き締めていなければならない。
「ねえ、お昼だ。おなかすいたよ」
横から腑抜けた声が聞こえた。ぷらぷらと手を振って歩く遥だ。軽度だが千鳥足である。アルコールは飲ませていないのに。柊は、目もとの痙攣を感じた。しかし遥はかまわない様子だ。
「きみ、いつもお昼どうしてるの? 行きつけのお店とかあるの。もしかしてお弁当つくってる?」
「弁当は、今日はつくってきてない」
「やっぱり、つくるときあるんだね。なんかそういう顔してるもん」
「行きつけとか言えるほどの店もない」
「覚えてもらえないの? 顔面いいのに」
「今日は無計画だった」
「お昼ご飯ノープランね。でも僕おなかすいちゃった」
朝から隠に飛び込んだのが、嘘になりそうなのんきさだ。柊はこめかみを押さえたが、遥は無茶を言っているわけではない。いまは確かに昼休憩の時間だ。少し考えてから横を見やった。
「ラーメン。は、食えるか」
なぜかぎこちなくなったひとことで、遥の周囲に星が飛ぶ。
「えっ? ラーメンめっちゃ食えるよ、鶏白湯がいちばん好きで」
週一回は行く店があるが、そのようなメニューは存在しない。
「あ、でも僕、雑食だから。なんでもおいしく食べられちゃうの」
少し以外に思ったとき、遥は見透かしたような笑みを浮かべた。
「偏食っぽいってよく言われるけどね。きみみたいなほうが意外と、同じものばっかり食べたりするよね」
遥は小さく舌を出す。ナチュラルにそんな仕草をする人間は、いままで見たことがないという気がした。
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駅の横の、ちょっとしたショッピングモールに、中華料理店がある。あまり大きい店ではなく昼時は混雑しているが、回転が速いのであまり待たない。ふたりですぐにカウンター席に通され、ラーメンと餃子を注文した。遥も同じのにすると言い、あとチャーハンとつけ足した。
カウンター席の高い椅子に座り、遥は足をぶらつかせていた。新品らしい白いスニーカーは、どうやら少し厚底だ。足を揺らしつつ首を伸ばして、厨房を覗こうとしている。小柄なので見えにくいようだ。あきらめて、手もとに置いてあるタレの小皿を見始めた。
柊は、てかてかとした中華鍋が勢いよく揺さぶられるのを眺めた。油の弾ける音と香りと、かすかな熱気と雑誌とニュースが強火で掻き回されている。ふわふわとした卵の中に、紫もどきが混じる気がして、ぬめりと臭いがよみがえりかけ、ふいに手の甲がひんやりとする。
「きみはさ、醬油ラーメンが好きなの」
「────え」
右横に座る遥が、水の入った冷たいコップを柊の手の甲にあてていた。
「醤油ラーメンがおいしいんでしょ。ここ」
「あ……、まあそうだな。うん」
「餃子も好きなの? 家でも作る? 鶏白湯は食べたことある?」
急な質問攻めだった。意識したことがなかったのだが、席の間隔が狭いらしい。ビスクドールめいた小さな顔が、思いのほかすぐ近くにあった。繊細な睫毛を透かす、丸い瞳がこちらを見ている。柊はすっと背筋を伸ばした。
「鶏白湯はそんなにいいのか」
「きみに質問してるんだけどな」
「なんで」
「なんで? なんでって」
この質問に理由いる? と遥は首を傾けている。
「なんにでも崇高な意義を求める派かな。じゃあ……、一時的だけどバディになったきみと、うまくやってくためってことで。食べ方とか、好きな食べ物とかには、性格が出るって言われてるんだよ。どうだ。これでスーコーか」
「へえ」
「へえって。なんなのさ」
遥が口を曲げたところで、ちょうどラーメンが運ばれてきた。店員のひとにお礼を言うのは、遥も同じらしかった。目の前に現れた、見慣れたどんぶりは大きめだ。透き通ったもやしがたっぷり盛られて、チャーシューは二種類のっている。
「あれ、これって豚と鶏だね。切る厚さも変えてあるんだ。もやしもきれいに茹でてあって、こういう細かいの、僕すきだな」
「そうか」
箸を遥に渡しながら、俺もと言う機会をなんとなくにがした。左の席のひとが帰っていった。すぐに片づけが済ませられ、つぎのお客がやってくる。
「あっ、班長、おつかれさまです!」
はつらつとした声に、はっとして見ると、左横にやってきたのは顕影隊の後輩だった。いちおう柊が班長である、扇港顕影隊二の隊三班のメンバーだ。ひとが少ないので分かれているが、同じ区画を巡回している。
「斎藤。おつかれさま」
柊がこたえると、斎藤佳歩はにこっと笑い、頭をさげてから席についた。高く結んだ黒髪が弾み、モスグリーンのスウェットの肩を流れる。椅子には鞘袋が立てかけてある。
「午前中はどうだった」
「七番の空き地に変なのいました。ゴムボールみたいに弾むんです。それですっごいうるさいんですよ、そんなに強くはなかったですけど。班長はどうでした?」
「奇天烈な奴とやり合ってきた。未登録の高架下で」
「あ、そうでしたよね、どんな?」
「腐った太いホースみたいな。歯が生えてて、べとべとしてた」
「うぅわ、それはキテレツですね……記録よく見ておきます」
表情豊かな斎藤は、ふと首を伸ばし、小さく手を振る。
「岡部、こっち。こっちだよ」
呼ばれて、斎藤の隣まで来たのは同じく班員の岡部啓太だ。三班のメンバーは三人である。岡部は柊を見つけると、ひとなつっこい笑顔を見せた。がたいがよく日に焼けており、蛍光オレンジのTシャツなので店の中でもよく目立つ。隊長の真折薫子もたいてい蛍光色なので、並ぶと照明になりそうだとか内輪でもっぱらの評判である。
この岡部と斎藤のふたりは同時期に顕影隊に入っている。斎藤が柊の前のどんぶりを覗いた。
「ラーメンおいしそうですね、でも唐揚げ食べようと思ったんだよなあ……岡部どうすんの、ニラ玉か? いまなら白飯がついてくる」
「ニラ玉は食うけど、ラーメンもいく。大盛り。あとチャーハンも大盛りかなあ。欲しいんならラーメンちょっとやるけど」
「違うそういうんじゃないの。ちょっと食べたら満足じゃないの。いま、唐揚げで腹を満たすのか、ラーメンで腹を満たすのか、そこに迷ってんだよねわたしは」
「へーそう意味わかんねーな」
仲良くメニューを奪い合うふたりの後輩たちを横目に、柊はラーメンを啜り始めた。あっさりしていてどこかやさしい。落ち着くいつもの味だった。右側でもやしをつつく遥に後輩だと伝えたところ、だろうねわかるよと返される。だってそういう目で見てる、ちょっとお父さんみたいじゃない、とか言われた。
後輩自体が少ないし、境遇が似ているので、ふたりのことは気にかけているつもりだ。斎藤は昔から顕影隊士を輩出している家の出身で、そこは共通点ではない。だが斎藤は中学生のとき、母親を隠に奪われている。岡部のほうは、柊と同じ一般家庭の出身だ。隠の被害に遭ってはいないが、家の中に居場所がなく、顕影隊の事務所にたどり着いた。
「あっ、柊さん……」
ようやく注文を終えたらしい岡部が、斎藤ごしに覗き込んでくる。どうやら岡部は柊ではなく、横の遥を見ているらしい。紹介しようと思ったとき、斎藤が岡部の背中を叩いた。著しくよい音が響いた。
「痛っ、おまえ、いってぇな……」
顔をしかめる岡部を無視し、斎藤が身を乗り出してくる。
「え、あの、もしかして……、もしかして御衣遥さんですか……?」
柊は背中をのけぞらせて避けた。斎藤に迫られた遥は、大きな目をきょとりとさせている。箸でつまんでいたチャーシューが、もやしの上にぽとりと落ちた。
「……あ、うん。そうだけど……」
「うわぁっ、あっ……、ほんものだ……!」
斎藤は両手で口を覆って、なぜか感激の声を漏らした。いままで見たことないほどに、目がきらきらと輝いている。完全に憧れのまなざしである。岡部も身を乗り出してきて、マジかよとか呟いている。柊はなにがなんだかわからず、ふたりと遥を見比べた。
「遥、そんなに有名なのか」
「遥そんなに有名ですよ……!」
即座にこたえたのは斎藤だ。
「だって、めちゃくちゃきれいだし、全国いろんなところに行って、補給してくれるんですよ?」
「ああ……」
「でも、それだけじゃないんです。『影』をいっぱい持ってるだけじゃなくて、顕術がすごく巧みなんです、すごい努力されてるんです、じゃないと、超絶多い『影』なんて操れるわけないですからね、ほんとにすごいひとなんですよ、年もほとんど変わらないのに……」
「こいつ大ファンなんですよ……」
勘弁してやってくださいというふうに、岡部が横からつけ加えた。そうですごめんなさい大ファンなんです、と斎藤はこくこくうなずいている。
そういえば遥は自分でも、僕って結構有名だとか、そういうことを言っていた。柊は遥のほうを見た。目が合うと、遥はにやりと笑った。勝ち誇った笑顔に見えた。椅子からぴょこんと飛びおりて、斎藤のほうへ歩み寄る。斎藤は椅子からずり落ちた。
「斎藤さん。よかったら握手する?」
「へっ?」
「サインしようか? 紙とか持ってる?」
「いやっ、紙……っ、色紙買ってきますっ?」
「いいよ、ここの紙ナプキンもらってもいいし、きみの手でもいいんだし。あ、いまじゃなくてもだいじょうぶだよ。僕しばらくはここにいるから。きみたちの先輩のバディなんだよ」
「────え? え、班長の?」
こちらを見あげた斎藤は、ほぼ泣きそうになっていた。
「なに、それ、あれ……、そっか……、だから班長と一緒にいるのか……、あ、じゃあ、じゃあ班長、そんなに『影』足りてなかったんですか……? ずっとめちゃくちゃしてたのに……?」
「マジかよやべぇ。このひとやべぇ……」
そのあとはかなり混乱したが、ほかの客に迷惑なのでいろいろ外でやれと命じた。遥と同じものを注文した斎藤は、サインの約束を取りつけていた。本当に泣きそうになっているので、岡部が若干引いていた。
先に席を立つことになったため、後輩ふたりが店を出るときは、もうお会計は済んでいますよと言われるように取り計らう。支払いをしているあいだ、遥がずっとにやけているので、どうしてくれようと思ったもののとりあえず捨て置くことにした。斎藤のひとことが、目の上あたりをちらついていた。すごい努力されてるんです。当人は店を出てからも、にやにや、ふわふわしていたのだが。




