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隠《  》  作者: 相宮祐紀
紫陽花
4/7

4.顕 





** **





「うわ、普通だね」

 件の高架下に近づいた、(はるか)の所感はシンプルだった。確かに、ごく普通ではある。

 電車が走る線路の下だ。ひと通りは少なく薄暗いが、落書きだらけとかいうわけでもなく、危険そうな雰囲気はない。車も通れる幅があり、その道は住宅や店が並んだ太い通りと交差している。

(おに)さん出そうにないけどさ。出るんなら危ないね、ひとが近くて」

 遥はかろやかにそう言って、とことことトンネルに駆け寄っていく。(おに)は、ひとが寄りにくいところに出やすい。ここは比較的ひらけているので、あまり警戒していなかった。番号も振られていない穴場だ。

「んー、いまはなにも吸い込まれてないね。でもなんかちょっと、いそうな感じだ」

 「いそうな感じ」を察知することを、顕影隊(けんえいたい)では「智認(ちにん)」と呼ぶ。(しゅう)も、(おに)の気配を智認していた。

「掃除機みたいにやってるだけだし、移動もしにくいのんびりさんかな」

「たぶん、そんな感じだろうな。ひとが近いから穏便に済ませたい」

「そーだね。でもそれきみが言うこと?」

 遥はふわりと振り向いて、にんまり、悪魔じみた笑みを浮かべる。

「あんなことや、こんなこともするって、真折(まさき)隊長さん言ってたような……」

「口を閉じろ」

「ひぇっ、こわっ」

 聞いていたのだろうか。その話のときは寝ていたはずだ。子どもと言ったのも聞こえていたし、実は起きていたのだろうか。でもそんなことはどうでもよい。柊は鞘袋をおろし、中から刀を取り出した。ぬらりとつやめく黒鞘のそれを、ベルトにつけたホルダーに差す。顕影隊では、刀が受け継がれる。柊が持っているのも古い真剣だ。「暴雨(はやさめ)」という名がついている。これ見よがしに怯える遥へ、柊は真っ直ぐに視線を向けた。ひらりと、遥は両手をあげる。

「へえへえ、わかった。やりますかねぇ」

「頼む」

「あいよ。ちょこっと、待って」

 ちなみに、と遥は言った。

「僕の素敵な顕術(けんじゅつ)は、解かないかぎり解けないからね。範囲はほとんど無制限で、その中にいればどんなひとでも(おに)さん知覚可能です。だけど狭めに調節も可能。どうせ、記憶消えちゃうって言っても一般のひとがびっくりするから、たいてい調節します、りょーかい?」

「ああ了解した」

「うむよろし」

 遥は気楽そうにうなずき、掲げた両手を頭上で組んだ。言う通り、(おに)に関する記憶は徐々に薄れて消えていく。(おに)に食われていなくなったひとの思い出もまた同じこと。毎日思い出していたって、失われるのをとめられない。

 ひゅう、と高く風が鳴る。組み合う両手を音もなくおろし、ほどく。ほそやかな指がばらけて、花ひらくように見えてしまった。ひらいた両手で狐をかたどり、二匹がそっぽを向き合うように両耳を交差させてそれから、二匹の口をひらいてしまえば指の隙間は窓になる。遥はくるりと、トンネルを向く。窓に片目を近づけ、呟く。

「────(あらわし)

 瞬間、光が走る。暗雲を裂く稲妻に似る。影をいっそう濃くする眩さ。あたりを満たし明滅し、高架の下を真白く照らす。柊はおぼえず後退りかけ、暴雨を握って踏みとどまった。やはり、気配が強烈だった。肌を激しく焼くように刺す。こらえながら鯉口を切り、暴雨を抜いて目を凝らす。徐々に、浮かびあがってくる。

 高架下のトンネルの、中いっぱいに詰まった、口だ。いた。やはり、(おに)がいた。久方ぶりにくっきりとらえた。「顕認(けんにん)」。五官の機能いずれかによって、(おに)の姿を捕捉すること。柊はおよそ一か月ぶりに、明確に(おに)を顕認した。

 絵の具を混ぜて作ろうとして、失敗した紫という色味。形は丸く、ホース状であり、前後にゆっくり伸縮している。両側とも閉じていないらしく、トンネルの向こうを見通せた。問題なく通過もできるのだろう。だが、いつ閉じるかわからないだろう。そして、ホースには歯があった。ぎざぎざとして黄ばんでおり、縁にびっしり生えている。ぬちゃりと、妙な音がして、歯を包むように口が閉ざされ、途端、臭いが押し寄せてきた。甘いものが腐れ落ちた臭いだ。

「おっえぇえっ、くっさ、きっしょおぉお!」

 甲高い悲鳴が炸裂し、目の前で遥が飛びあがる。非常な勢いで後退ってくる。柊はその背中を受けとめ、立たせてから前に進み出た。

「ありがとう。あとは俺がやるから離れろ」

 (おに)は、顕術を使ったひとのほうへ向かっていくことが多い。(おに)を注視したまま告げると、遥は地団駄踏んで喚いた。

「あたりまえだろ! こんなの無理すぎ! だけどあんまり離れたらさあ(おに)さんわかんなくなっちゃうだろきみ!」

「最大限離れててくれ」

 勝手なことを口走ったとき、ひゅう、と高く風が鳴る。腐った臭いが肺まで届く。背後で遥が、げえぇとえずいた。柊は切っ先を下へ向けたまま、ゆっくりと口へ歩み寄る。

 歩みにあわせるようにして、ゆるゆると口がひらき始める。ぬるんだ細い空気が動き、髪が口に向かってなびく。空気が流れ込んでいくのだ。だんだん流れが強くなり、ぐるぐる綺麗な螺旋を描き、口の中へ吸い込まれていく。柊は螺旋に押されて進む。まるで、誘い込まれる虫だ。もうすぐ口が全開になる。隠怒(おんぬ)の三、といったところか。

「これなら隠怒の三ぐらいかな……ちょっと? なにやってんのきみ────うっえぇマジ無理マジゲロる!」

 隠怒の三。遥の見立てと、柊の見立ては一致した。

 (おに)は二十五種に分類される。喜怒哀楽、不のそれぞれに、一から五までの等級がある。数字が小さいほど等級が高く、高いほうがうまく隠れる。そのくせ、術で(あらわ)したとき、より強く感覚を刺激する。三なら中ほどといったところだ。柊は相手をじっと見据えた。

 もうすぐ、口が全開になる。うしろで騒ぐ人物のおかげで、こちらも全開の状態である。その人物は、離れていかない。少しも動きだす様子がない。

「おい、遥。離れててくれ」

 振り向いて叫んだ瞬間、がばり、一気に口がひらいた。同時にホースが急激に伸び、頭上に深い影が差す。振り仰げばすぐ真上、ぱっくりと裂けた口がある。加えて下から風が突きあげ、未確認飛行物体の中へ吸われていく奴みたいになりそう。逆らえないので仕方ない。そして遥は動いていない。

「嘘っ? 待って嘘でしょあいつ……?」

 人格さえも疑っているらしき、裏返った悲鳴が微かに聞こえる。上から降る口に意識を集める。腐臭に向かって地面を蹴って、ほんの一瞬の浮遊の直後、暴雨とともに着地した。

 羽虫が一気に飛び立つような、耳障り過ぎる高音が襲う。あたりは暗く湿ってぬめる。柊は、口の中にいた。頭に、背中に、足もとに、ずるずると滑るぬるい感触。とけた飴入り吐瀉物みたいだ。別になんということもない。

 暴雨は、下顎に突き立っている。ありとあらゆる口内の肉が、ごぼごぼと鳴って波打ち始める。押し潰そうと迫ってくるので、抜いた刃で切り裂いた。震えて、縮んで伸びる肉塊が全方面から襲い来る。両足が巻かれ捕らわれるものの、力は弱いし両手は自由。支障は皆無。順調。

「消えろ」

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