4.顕
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「うわ、普通だね」
件の高架下に近づいた、遥の所感はシンプルだった。確かに、ごく普通ではある。
電車が走る線路の下だ。ひと通りは少なく薄暗いが、落書きだらけとかいうわけでもなく、危険そうな雰囲気はない。車も通れる幅があり、その道は住宅や店が並んだ太い通りと交差している。
「隠さん出そうにないけどさ。出るんなら危ないね、ひとが近くて」
遥はかろやかにそう言って、とことことトンネルに駆け寄っていく。隠は、ひとが寄りにくいところに出やすい。ここは比較的ひらけているので、あまり警戒していなかった。番号も振られていない穴場だ。
「んー、いまはなにも吸い込まれてないね。でもなんかちょっと、いそうな感じだ」
「いそうな感じ」を察知することを、顕影隊では「智認」と呼ぶ。柊も、隠の気配を智認していた。
「掃除機みたいにやってるだけだし、移動もしにくいのんびりさんかな」
「たぶん、そんな感じだろうな。ひとが近いから穏便に済ませたい」
「そーだね。でもそれきみが言うこと?」
遥はふわりと振り向いて、にんまり、悪魔じみた笑みを浮かべる。
「あんなことや、こんなこともするって、真折隊長さん言ってたような……」
「口を閉じろ」
「ひぇっ、こわっ」
聞いていたのだろうか。その話のときは寝ていたはずだ。子どもと言ったのも聞こえていたし、実は起きていたのだろうか。でもそんなことはどうでもよい。柊は鞘袋をおろし、中から刀を取り出した。ぬらりとつやめく黒鞘のそれを、ベルトにつけたホルダーに差す。顕影隊では、刀が受け継がれる。柊が持っているのも古い真剣だ。「暴雨」という名がついている。これ見よがしに怯える遥へ、柊は真っ直ぐに視線を向けた。ひらりと、遥は両手をあげる。
「へえへえ、わかった。やりますかねぇ」
「頼む」
「あいよ。ちょこっと、待って」
ちなみに、と遥は言った。
「僕の素敵な顕術は、解かないかぎり解けないからね。範囲はほとんど無制限で、その中にいればどんなひとでも隠さん知覚可能です。だけど狭めに調節も可能。どうせ、記憶消えちゃうって言っても一般のひとがびっくりするから、たいてい調節します、りょーかい?」
「ああ了解した」
「うむよろし」
遥は気楽そうにうなずき、掲げた両手を頭上で組んだ。言う通り、隠に関する記憶は徐々に薄れて消えていく。隠に食われていなくなったひとの思い出もまた同じこと。毎日思い出していたって、失われるのをとめられない。
ひゅう、と高く風が鳴る。組み合う両手を音もなくおろし、ほどく。ほそやかな指がばらけて、花ひらくように見えてしまった。ひらいた両手で狐をかたどり、二匹がそっぽを向き合うように両耳を交差させてそれから、二匹の口をひらいてしまえば指の隙間は窓になる。遥はくるりと、トンネルを向く。窓に片目を近づけ、呟く。
「────顕」
瞬間、光が走る。暗雲を裂く稲妻に似る。影をいっそう濃くする眩さ。あたりを満たし明滅し、高架の下を真白く照らす。柊はおぼえず後退りかけ、暴雨を握って踏みとどまった。やはり、気配が強烈だった。肌を激しく焼くように刺す。こらえながら鯉口を切り、暴雨を抜いて目を凝らす。徐々に、浮かびあがってくる。
高架下のトンネルの、中いっぱいに詰まった、口だ。いた。やはり、隠がいた。久方ぶりにくっきりとらえた。「顕認」。五官の機能いずれかによって、隠の姿を捕捉すること。柊はおよそ一か月ぶりに、明確に隠を顕認した。
絵の具を混ぜて作ろうとして、失敗した紫という色味。形は丸く、ホース状であり、前後にゆっくり伸縮している。両側とも閉じていないらしく、トンネルの向こうを見通せた。問題なく通過もできるのだろう。だが、いつ閉じるかわからないだろう。そして、ホースには歯があった。ぎざぎざとして黄ばんでおり、縁にびっしり生えている。ぬちゃりと、妙な音がして、歯を包むように口が閉ざされ、途端、臭いが押し寄せてきた。甘いものが腐れ落ちた臭いだ。
「おっえぇえっ、くっさ、きっしょおぉお!」
甲高い悲鳴が炸裂し、目の前で遥が飛びあがる。非常な勢いで後退ってくる。柊はその背中を受けとめ、立たせてから前に進み出た。
「ありがとう。あとは俺がやるから離れろ」
隠は、顕術を使ったひとのほうへ向かっていくことが多い。隠を注視したまま告げると、遥は地団駄踏んで喚いた。
「あたりまえだろ! こんなの無理すぎ! だけどあんまり離れたらさあ隠さんわかんなくなっちゃうだろきみ!」
「最大限離れててくれ」
勝手なことを口走ったとき、ひゅう、と高く風が鳴る。腐った臭いが肺まで届く。背後で遥が、げえぇとえずいた。柊は切っ先を下へ向けたまま、ゆっくりと口へ歩み寄る。
歩みにあわせるようにして、ゆるゆると口がひらき始める。ぬるんだ細い空気が動き、髪が口に向かってなびく。空気が流れ込んでいくのだ。だんだん流れが強くなり、ぐるぐる綺麗な螺旋を描き、口の中へ吸い込まれていく。柊は螺旋に押されて進む。まるで、誘い込まれる虫だ。もうすぐ口が全開になる。隠怒の三、といったところか。
「これなら隠怒の三ぐらいかな……ちょっと? なにやってんのきみ────うっえぇマジ無理マジゲロる!」
隠怒の三。遥の見立てと、柊の見立ては一致した。
隠は二十五種に分類される。喜怒哀楽、不のそれぞれに、一から五までの等級がある。数字が小さいほど等級が高く、高いほうがうまく隠れる。そのくせ、術で顕したとき、より強く感覚を刺激する。三なら中ほどといったところだ。柊は相手をじっと見据えた。
もうすぐ、口が全開になる。うしろで騒ぐ人物のおかげで、こちらも全開の状態である。その人物は、離れていかない。少しも動きだす様子がない。
「おい、遥。離れててくれ」
振り向いて叫んだ瞬間、がばり、一気に口がひらいた。同時にホースが急激に伸び、頭上に深い影が差す。振り仰げばすぐ真上、ぱっくりと裂けた口がある。加えて下から風が突きあげ、未確認飛行物体の中へ吸われていく奴みたいになりそう。逆らえないので仕方ない。そして遥は動いていない。
「嘘っ? 待って嘘でしょあいつ……?」
人格さえも疑っているらしき、裏返った悲鳴が微かに聞こえる。上から降る口に意識を集める。腐臭に向かって地面を蹴って、ほんの一瞬の浮遊の直後、暴雨とともに着地した。
羽虫が一気に飛び立つような、耳障り過ぎる高音が襲う。あたりは暗く湿ってぬめる。柊は、口の中にいた。頭に、背中に、足もとに、ずるずると滑るぬるい感触。とけた飴入り吐瀉物みたいだ。別になんということもない。
暴雨は、下顎に突き立っている。ありとあらゆる口内の肉が、ごぼごぼと鳴って波打ち始める。押し潰そうと迫ってくるので、抜いた刃で切り裂いた。震えて、縮んで伸びる肉塊が全方面から襲い来る。両足が巻かれ捕らわれるものの、力は弱いし両手は自由。支障は皆無。順調。
「消えろ」




