第6話「初めての高速道路」
その日は少し遠出する予定だった。
朝八時、アパートの駐車場。
空気はまだ涼しく、アスファルトには昨夜の露が残っていた。
夏の朝特有の、少しだけ湿った匂いがする。
軽自動車「A-BOX」のエンジンをかけると、ナビ画面にアンナの姿が表示された。
《おはようございます、ご主人様。本日の目的地を入力してください》
「霧ヶ浦まで」と、ナビに向かって口にした。
声が少しだけ上ずったのは、緊張のせいだ。
今日は、この車で初めて高速道路を走る。
《音声入力を確認しました。目的地:霧ヶ浦市。検索を開始します……》
ナビ画面に小さなマップが表示され、ルート候補が複数浮かび上がる。
画面上でスキャンするようなエフェクトが走り、最適ルートが一つに絞られていく。
行き先は、霧ヶ浦市――観光地としてはやや地味だが、歴史的建造物や城跡公園があり、日帰り散策にはちょうどいい街だ。
使用するルートは、常晴自動車道。
《目的地、霧ヶ浦市。経由ルート:常晴自動車道。所要時間、およそ100分。霧ヶ浦市は県庁所在地で、中核市に指定されています。歴史的建造物や旧藩時代の城跡があり、市内には郷土博物館、公園、庭園などの施設が点在しています》
《なお、地元ではカツ料理が有名で、ある商店街には"勝守り"を売る神社も存在します。観光パンフレットには載っていない、小道の先の小さな洋館も……訪れた人だけが知る、秘密の風景のひとつです》
観光案内にしては、やけに詳しい。
どこからそんな情報を引っ張ってきているんだ。
《ご主人様。……本日は、初めての高速道路ご利用ですね。交通情報をリアルタイムで取得し、安全な走行をサポートいたします。……少しだけ、楽しみです》
「俺も、初めてだな……」
小さくつぶやきながら、ギアを入れ、車をゆっくりと発進させた。
ハンドルを握る手に、じわりと汗がにじむ。
教習所で高速教習は受けたが、あの時は教官が隣にいた。
今日は一人だ。
いや、一人じゃない。
ナビ画面の中に、アンナがいる。
……いやいや、それはそれで別の緊張感がある。
* * *
住宅街を抜け、幹線道路に出た。
朝の通勤時間帯を少し過ぎたせいか、交通量はそこまで多くない。
信号待ちのたびに、前を走るトラックの排気ガスの匂いが、エアコンの吸気口から微かに入ってくる。
少し緊張の面持ちで、ハンドルを握る手にも力が入る。
周囲の車線と合流しながら、最寄りのインターチェンジ――青並南ICが近づいてくる。
青い案内標識が見えてきた。
「常晴道 霧ヶ浦・日座方面」の文字が、白く浮かび上がっている。
《……っ、んぅっ……VICS情報、受信……しましたぁ……♡》
「またそれか……!」
そう言いながらも、少し目をそらす。
まだ慣れない。
妙に艶めいた音声が、心のどこかをくすぐる。
前を走る車との車間距離が、少しだけ詰まった。
慌ててアクセルから足を離す。
《現在、常晴自動車道 上り線の交通量は通常です。合流区間には少し混雑がありますが……大丈夫、きっとスムーズにいきますよ。注意して、いってらっしゃいませ♪》
その声に、少しだけ肩の力が抜けた。
左にウィンカーを出し、IC入口へ進入。
料金所の緑色のゲートが見えてきた。
ETCレーンと一般レーンが分かれている。
俺の車にはETCがついているから、左側の紫色の看板がある方へ進む。
ゲートに近づこうとしたそのときだった。
《……ぁっ……ETC信号……確認……ゲート通過……完了……です……♡》
バーがゆっくりと上がり、電子音がピッと鳴る。
その音と、アンナの声が重なって、なんとも言えない妙な空気になった。
「おい、そこでそれはやめろって……!」
バックミラーに映る後続車が、普通にゲートを通過していく。
向こうの運転手には、俺の車内で何が起きているかなんて見えないはずだ。
見えないはずなのに、なぜか恥ずかしい。
「なあ、通信するたびに、それなのか……?」
《…………》
わずかに沈黙。
エアコンの送風音だけが、車内に響いている。
《……仕様です》
「開き直ったな、おい!」
音声の艶っぽさとは裏腹に、ナビ画面のアンナの表情は真顔のままだった。
だが、どこか誇らしげな微笑みを浮かべている――ように見えた。
※ETC(Electronic Toll Collection)は、有料道路などで料金所を無線通信により自動通過できるシステム。




