↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の相棒は、ナビのメイドAI アンナちゃん ~車を買ったらメイドがついてきた~  作者: 田波 霞一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/46

第38話「おはようございます。はじめまして」

 床で寝たせいで体の節々が痛む。

「いてて……」と腰をさすりながら俺が目を覚ますと、先に起きていたらしいレイナが、俺の本棚に並んだ専門書を、興味深そうに眺めていた。


「あ、あの、おはよう」


 レイナも、少しだけ頬を赤らめながら、小さな声で応えた。


「……おはよう」


 交わされた言葉は、たったそれだけ。

 なのに、部屋の空気は妙に重くて、甘酸っぱいような、何とも言えない匂いがした。


 俺は何か朝食になるものはないかと、小さな冷蔵庫を開けてみた。

 中身は、飲みかけの麦茶のペットボトルが一本だけ。

 あまりの惨状に、俺は静かに扉を閉めた。


「ごめん、なんもねぇや……。腹減ったろ? この近くにファミレスがあるんだけど、そこ行かないか?」


 店に入り、向かい合って席に着くと、ようやく少しだけ、いつもの空気が戻ってきた気がした。


 レイナは、運ばれてきたコーヒーを一口飲むと、悪戯っぽく微笑んだ。


「昨日のメモの文字、やっぱり気になるな。……それにしても、あなたの部屋、なんだか、あなたらしい部屋だね」

「えっ、そうか? 散らかってたろ」

「ううん。物が少ないけど、一つ一つが大事にされてる感じがした。……安心する」


 そう言って、ふわりと笑う彼女に、俺はまた、不覚にもドキッとしてしまう。


 朝食を終え、俺たちはアパートへと戻る。


 いよいよ、アンナと向き合う時が来た。

 駐車場へ向かう途中、俺はふとポケットを探って、立ち止まった。


「あ、やべ。キー、部屋に置いてきた」


 レイナと二人、再び部屋のドアを開ける。

 テーブルの上に無造作に置かれていたA-BOXのキーを手に取った、その瞬間。


「……なんだ?」


 プラスチックの塊に、ほんのりとした、しかし確かな『熱』が残っている。

 まるで、つい先ほどまで誰かが強く握りしめていたかのような、不思議な温かさだった。


 俺は首を傾げたが、今はアンナのことが先決だ。

 その小さな違和感を胸の奥にしまい込み、俺たちは駐車場へと急いだ。


「……エンジン、かけてみるか」


 俺の言葉に、レイナはこくりと頷く。


 助手席に座る彼女の横顔は、真剣そのものだ。


 俺は覚悟を決めて、スタートボタンを押した。


 ナビ画面が静かに起動する。

 だが、そこに映し出されたのは、見慣れた地図表示だけだった。


 アンナの姿は、どこにもない。


「……ダメだったのか……? あのアップデートは、失敗に……」


 俺の心が、ずんと重くなる。

 その、絶望が顔を出しそうになった、まさにその時だった。


 画面の中央が、ふわりと淡い光を放ち始める。

 ワンテンポ遅れて、光の粒子が集まり、一つの人影を形作っていく。


 じんわりと姿を現したのは、昨日までとは違う、少しだけ大人びて、フリルやレースが施された格式高いメイド服を纏った、完璧な笑顔のアンナだった。


《おはようございます、ご主人様! システムアップデートが完了いたしました! ご心配をおかけしましたわ》


 戻ってきた……!


 俺は、心から安堵のため息を漏らした。


「これが……アンナさん……?」


 初めて見るアンナの姿に、レイナが感嘆の声を上げる。


「すごい……今のナビって、こんなに表情が豊かなの? 普通、もっと機械的なのに……」


 その声に反応すると、アンナは完璧な笑顔のまま、そのアバターを助手席のレイナの方へとしなやかに向け、優雅にお辞儀をしてみせた。


《はじめまして、レイナ様。私がご主人様の専属ナビAI、アンナです。どうぞ、お見知りおきを》


「えっ、私が見えてるの!?」


 助手席にいる自分に、直接話しかけてきた。

 その事実に、レイナは素で驚いている。


 俺は少し困ったように笑いながら、説明した。


「ああ……こいつ、なんでも見えてるし、聞こえてるらしいんだ」


 俺は、改めてレイナに向き直ると、少し照れながら言った。


「……せっかくだし、このまま宿舎まで送るよ」

「え、でも、悪いよ……」


 戸惑うレイナに、俺は半ば強引に、でも優しく告げた。


「いいから。……それに、こいつの調子も、ちゃんと見てやりたいしな」


 道中、アンナは完璧なナビゲートを披露し、当たり障りのない天気の話さえしてみせた。

 レイナは「本当に会話してるみたい……。全然、AIっぽくないね」と驚きの声を上げるが、その完璧すぎるやり取りこそが、俺の心に少しずつ、しかし確実に、違和感の染みを広げていく。


 いつもの、過剰なお節介がない。


 VICSを受信した時の、あの妙に色っぽい《ピクッ》という反応もない。

 そして何より、レイナが助手席にいるというのに、ヤキモチを焼く気配が、全くない。


 まるで、感情という機能が、ごっそりと抜け落ちてしまったかのように。


 レイナは「ありがとう、送ってくれて」と小さく会釈して、助手席のドアを閉めた。

 俺は、宿舎の入り口に消えていく彼女の後ろ姿を、ルームミラーで見えなくなるまで見送る。


 空っぽになった助手席が、やけに広く感じる。


 俺はゆっくりと車を発進させ、しばらくは無言でハンドルを握っていた。

 そして、最初の信号で車を停めたとき、隣のナビ画面に声をかけた。


「アンナ、本当に……何でもないのか? 前と、少し雰囲気が違うような……」


 するとアンナは、新しくなった、より繊細な瞳で俺をまっすぐに見つめ、最高の笑顔でこう答えた。


《ご心配には及びませんわ、ご主人様。今回のアップデートでは、主にUI……つまり、ユーザーインターフェースが大幅に更新されましたの。この新しいメイド服や、より細やかになった表情も、全てはご主人様の視認性を高め、より快適なドライブをご提供するための機能向上の一環ですわ》


 彼女の最初の、そしてあまりにも哀しい嘘。


 その完璧な笑顔のアップで、物語は幕を閉じるはずだった。


 俺は、彼女の言葉を信じることにして、こう付け加えた。


「そっか……。ならいいんだ。……あ、そうだ。今の場所、お気に入りに登録しておいてくれ。名前は、『レイナの宿舎』で」


《……承知、いたしました》


 ほんのわずかに、ほんのコンマ数秒だけ、彼女の声が震えたのを、俺はまだ、気づいていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。