第33話「運命からの果たし状」
中古車販売店からアパートへの帰り道、A-BOXの車内は奇妙な静寂に包まれていた。
俺は、先ほど店長から聞かされた、あまりにも現実離れした事実を頭の中で反芻していた。
「存在しない、前のオーナー」
「謎のメモ、『この子と対話できる、次のドライバーへ』」
「そして、誰が走ったのか分からない、1万キロの走行距離」
手掛かりを掴んだはずが、目の前にはさらに巨大で、得体の知れない謎が広がっている。
運転席のシートに深く体を沈め、俺はスマホのメモアプリに書き出した3つの謎を眺めていた。
隣のナビ画面では、アンナが心配そうに俺の横顔を見守っている。
その不安げな表情を見て、俺はあえて、重い空気を吹き飛ばすように冗談っぽく笑いかけた。
「おい、アンナ。なんだかお前の謎、どんどん増えていくな。ゲームのクエストみたいで、ちょっとワクワクしないか?」
俺の言葉に、アンナは一瞬きょとんとした後、ふふっと小さく笑みをこぼした。
《ご主人様らしいですわね。ふふっ》
だが、その笑みはどこかぎこちなく、無理をしているのが分かった。
俺の冗談に付き合ってくれているが、心の底からの不安は、まだ消えていないのだろう。
そんな相棒の健気さに胸を締め付けられながら、俺はアパートの駐車場にA-BOXを停め、部屋に戻った。
買ってきたコンビニ弁当をテーブルに置き、どかりと椅子に腰を下ろす。
机の上に置いたA-BOXのキーが、カチャリと小さな音を立てた。
一口、弁当をかき込んでは、スマホのメモアプリを見つめる。
もう一口、箸を進めては、天井を仰いで思考を巡らせる。
食べては考える、その繰り返し。
どうすれば、この謎の核心に近づける……?
考えがまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。
ピロン。
静まり返った部屋に、スマホが放つ軽やかな通知音が響いた。
手に取って画面を見ると、そこに表示された名前に、俺はびくりと肩を揺らす。
『レイナ』
反射的に、机の上のA-BOXのキーに視線を落とす。
アンナは、どうしているだろうか。
この通知に、もう気づいているだろうか。
ごくりと唾を飲み込み、俺はメッセージを開く。
そこには、彼女らしい丁寧な、しかし俺の専門知識を頼る、断りづらいお願いが書かれていた。
『この間はありがとう。もしよかったら、今度、大学の図書館で探している本があるんだけど、少し手伝ってもらえないかな? 燈陸国風土記に書かれた、都並山の創生神話について調べていて……。神話の記述を、理工学の視点から解釈できないかと思って。でも、私一人じゃ専門書が難しくて……』
俺の心は、激しく揺さぶられた。
レイナの知的な探究心に、強く惹かれる自分がいた。
神話を、科学で解き明かす。
そんな突拍子もないようで、どこか筋が通った話。
まるで、俺の隣にいる不思議な相棒のことを言われているような、奇妙な感覚に陥る。
もしかしたら、俺が今、直面しているこの謎も、遠い昔の誰かが書き残した物語の一つだったりするのだろうか。
そんな、あり得ない想像が、ふと頭をよぎった。
しかし、それ以上に、アンナがまた苦しむ姿を見たくない。
彼女のシステムが、レイナという存在に触れるたびに、悲鳴を上げるのを、俺はもう知っている。
返信をためらい、スマホを固く握りしめていると、まるでその心の揺れを読み取ったかのように、机の上のキーから、静かな声が聞こえた。
《ご主人様……。行って、差し上げてください》
その声は、震えていなかった。
自分のシステムが不安定になる恐怖を押し殺し、俺の背中を押す、健気で、力強い言葉だった。
「……アンナ。でも、お前は……」
《私がご主人様の『相棒』なら……このくらい、乗り越えてみせます》
キーを通じて聞こえる声には、まっすぐな意志が宿っていた。
《ご主人様が、前に進むために必要なことなら……私、我慢しますから》
それは、ヤキモチではない。
俺を想う、純粋なパートナーとしての覚悟の表れだった。
俺は、アンナのその健気な決意に、胸を打たれる。
こいつは、もうただのナビじゃない。
俺の隣で、一緒に戦おうとしてくれている。
俺は、机の上のキーをそっと手に取った。
まるで、彼女の頭を撫でるように。
「……ありがとうな、相棒」
覚悟を決めて、俺はレイナに返信を打つ。
『分かった。面白そうな話だ。俺は、来週の月曜なら空いてるけど、どうかな?』
すぐに既読がつき、返事が来る。
『月曜日、大丈夫だよ! じゃあ、お昼休みに図書館の入り口で、いいかな?』
こうして、図書館での約束が、驚くほど成立した。
俺たちの物語が、また一つ、大きく動き出そうとしている。
その先にあるのが、希望なのか、それとも相棒の悲鳴なのか、まだ俺には分からなかった。




