第3話「私は成長しますので♪」
エンジンはかけたまま、俺はまだコンビニの駐車場に停まっていた。
空になった缶コーヒーがドリンクホルダーの中で、エンジンの振動に合わせて微かにカタカタと揺れている。
《まったく、修理なんて言われたのは初めてです……ご主人様は、ひどい方ですね》
そう言いながら、画面に映っているアンナはぷいっとそっぽを向いた。
頬はまだ少し膨れている。
液晶のドットが粗いせいで、表情の細部は分からない。
でも、「拗ねている」のは確かに伝わってくる。
でも、その声はどこか冷静で、感情よりもプログラムが優先されたような響きもある。
「いやいや、普通にびっくりするよ……」
俺はハンドルに肘をついて、ナビ画面を見下ろした。
窓の外では、コンビニの入口で若い母親がベビーカーを押して出てきている。
買い物袋がハンドルにぶら下がって、重そうに揺れていた。
「いきなり出てきたと思ったら、あれだよ、アップデート演出とか? なんかもう、裸みたいの見えたし……マジでドン引きだよ」
思い出すだけで、顔が熱くなる。
あの光のエフェクトと、透けて見えた服の輪郭。
真昼間のコンビニ駐車場で、俺は一体何を見せられたんだ。
《システムエラーによる視覚効果の暴走が発生しました。演出内容は意図されたものではありません》
「意図してないのかよ」
《はい》
「じゃあ、あの演出のせいで、俺はほんとに修理出そうかと思ったんだけど」
《それは困ります》
アンナの声が、少しだけ硬くなった。
《私は、ご主人様のもとで成長していく設計となっております》
「ん? 成長……?」
エアコンの風が、静かに車内を循環している。
さっきまで冷房だったのを、いつの間にか送風に切り替えていた。
四月の昼下がり、窓から差し込む陽射しで、車内はほんのり暖かい。
アンナは少しだけ表情を戻し、にこりと笑った。
粗いドット絵の中でも、口角が上がったのが分かる。
《はい。私は学習型AIナビゲーションユニット アンナ。過去の運転記録、会話ログ、ご主人様の行動パターンなどを蓄積し、対応力とコミュニケーション能力を進化させていきます♪》
事務的な説明だった。
まるでカタログの音声読み上げのように淡々と。
けれど、その「♪」の部分だけ、妙に感情がこもっているように聞こえる。
「進化って……それは育成するってことか?」
「……お前、ナビだよな?」
《はい、基本的にはナビですが……ご主人様の育成によって、さまざまな変化が可能です♪》
「育成……、なんか……プリンセスメーカーっぽいな」
口に出してから、しまったと思った。
なんでそんな古いゲームの名前が出てくるんだ。
《プリンセスメーカー……該当データ検索中……》
ナビ画面の隅で、小さなローディングアイコンがくるくる回った。
《該当:1990年代後半、育成系成人向けゲーム──性的表現を含むソフトウェアカテゴリに分類》
※成人向けではありません
「……検索すんな。ってか、マジで知ってんのかよ」
駐車場の向こうで、エンジン音がした。
隣に停まっていた軽自動車が、バックで出ていく。
その運転席には、買い物袋を助手席に置いた中年の女性。
俺の車をちらりとも見ずに、スムーズに道路に出ていった。
《はい、私はあらゆる市販ソフトウェア・家庭用ゲーム情報の基本データベースを保持しています♥》
事務的な口調だったが、その頬がわずかに赤くなって見えた──ような気がした。
液晶の色味が変わったのか、それとも本当に「照れている」のか。
この解像度じゃ判別がつかない。
……そのハートマークみたいな語尾はなんなんだよ。
毎回つけるのやめてくれ、こっちが恥ずかしくなるわ。
《ご主人様が望むなら、私は何度でも♥ 営業スマイル、全開です♪》
画面の中で、アンナがウインクした。
ドット絵がカクカクと動いて、片目を閉じる。
その仕草があまりにも「人間っぽく」て、思わず視線を逸らした。
フロントガラスの向こう、コンビニの看板が午後の光を浴びて白く光っている。
気づけば、話に夢中になっていた。
どのくらい経っただろう。
缶コーヒーを飲み終わってから、十分か、二十分か。
……いや、そもそもドライブの途中だったじゃないか。
目をナビ画面に戻すと、ナビはしっかりとルート案内を続けていた。
青い線が、現在地から海沿いの目的地まで伸びている。
地図表示の右下、そこにちょこんとメイド服を着たアンナが映っている。
ちょっと小さくなった分、逆に存在感があるというか、なんというか……。
車の中は妙な静けさに包まれていた。
エンジンの低い振動と、エアコンの送風音。
外からは、遠くを走るトラックの音と、コンビニのBGMが微かに漏れ聞こえてくる。
ナビ音声は流れていないが、ルート表示は続いている。
アンナは黙ったまま、画面の隅で微笑んでいた。
そして、数秒後──
《ご主人様。今後のルートは、このまま目的地まで進行いたしますか? それとも、別の予定がございますか?》
まるで、先ほどまでの騒ぎを察していたかのように、落ち着いた声だった。
俺は、シートに深く背中を預けた。
革ではない、布張りのシートが、背中を柔らかく受け止める。
海に行く気分では、もうなかった。




