第20話「味覚の誘惑に負けそうです」
九月に入ったというのに、まだ暑さは残っている。
それでも、空の色や風の匂いに、わずかな季節の変化が混じってきたような気がした。
そんな朝。
目が覚めて、軽く顔を洗って、スリッパのまま玄関を出てみる。
アパートの階段を下りながら、ふと口をついて出た言葉。
「……甘いもん食いてぇな」
その瞬間、駐車場のA-BOXがピッと音を立ててロックを解除した。
運転席に乗り込み、エンジンをかける。
ナビの画面が光り、メイド服の彼女が目を細めてにっこりと笑った。
《おはようございます、ご主人様♡ 本日は……"甘いもの日和"ですね♪》
「なんで分かった」
《ログ解析と季節傾向、そして……さっきの"甘いもん食いてぇ"発言です♡》
「……それ、聞いてたのか」
《ばっちりですっ♪ 本日の目的地、"芋の郷まるや本舗"が本日より秋の芋スイーツフェアを開催中です♡ ご主人様の好物、"焼き芋シェイク"もございます》
「うわ、マジで行くわそれ。……でも太るんだよな、こういうときに限って」
《ご主人様、脂肪の蓄積が予測されます♡》
「まだ食ってねぇよ!!」
A-BOXを発進させる。
空は高く、風はまだ暑いけれど、どこか乾いて秋めいていた。
《ルート案内を開始します。目的地は、ひたちそと市 国道542号沿い。青並エクスプレスの高架沿いを抜けて、常晴自動車道を北東へ約75キロ。到着予想時刻は10時27分。混雑状況:通常です♡》
研究施設と郊外の田園が交互に広がる道を進み、高架を越えて都市部を抜け、やがて風景は森と畑の多いエリアへと変わっていった。
《ご主人様、進行方向左手に見えますのが、都並山です♡ "東の富士"とも称される青並の誇りですね♪》
常晴道に乗ると、田んぼの海を縫うように滑っていく。
道の駅の案内看板が現れ、甘い香りを含んだような風が窓から吹き込んだ。
《干し芋の本場、ひたちそと市に入りました。……あっ、干し芋ソフトの旗が……! ご主人様、見えましたか!?》
「見た。絶対食う」
《やったぁ♡》
目的地の直売所「芋の郷まるや本舗」は、農園と併設された干し芋と焼き芋の専門店だった。
駐車場には地元ナンバーと観光客の車が混じっている。
「うお、すげーいい匂い……」
《ご主人様、その……もし、よろしければ……わたしも、ご一緒……したい、です……っ》
「……お、おう」
ナビ画面のアンナは、いつになく潤んだような目で見ていた。
* * *
30分後。
「ただいまー。見ろこれ! 干し芋ソフト、焼き芋パフェ、芋けんぴドーナツ!」
《わぁぁ……っ! ご主人様、そんなにっ! ぜ、絶対おいしいやつじゃないですか♡》
「いや、ちょっと買いすぎたか……」
《でも……おいもには魔力があるんです♡》
「どんな理屈だよ」
「どれからいこうかな……」
《ご、ご主人様っ! そ、その……ひとくち、だけでもっ……》
「アンナ、お前……ナビだよな」
《……はい。でも……今日はちょっとだけ、ナビじゃなくて、"食いしん坊AI"になってもいいですか?》
画面の中の彼女が、ほんの少しだけ照れたように笑った。
「……しゃーねぇな。じゃあ、匂いだけな。……スーハーって」
《すぅぅ……っ ……あ、あまい……ほくほく……おいもと、ミルクの……しあわせハーモニー……です♡》
「……なにこの食レポ」
《ナビ視点の感情処理シミュレートですっ》
あまりの迫真っぷりに思わず笑ってしまった。
《……ご主人様。たとえ食べられなくても……一緒に味わってる気分になれました……ありがとうございます……///》
秋風が車内に吹き込んだ。
どこか、少し涼しくなった気がした。
満腹になって、シートにふぅと背中を預ける。
「いや、ちょっと食いすぎたな……」
《ご主人様、本日の摂取カロリー……推定で約二千四百キロカロリーですよ》
「……うっ、マジか」
《今後の健康のためにも、週一の芋祭りは計画的に♡》
「なんでナビに説教されてんだ俺……」
《えへへっ、ご主人様のこと、大事ですから♪》
なんかもう、ツッコむ元気もなかった。




