第18話「A-BOXがゆでだこになった?」
外の気温は文字通り灼熱だった。
アスファルトからの照り返しで、足元からも熱気が昇ってくる。
車に乗り込んだ瞬間、むあっと顔を叩くような熱風に思わずたじろぐ。
すぐさまエアコンをオンにし、車内が冷えるまでしばらく待機。
ようやく温度が下がり始めたところで、ドライブを再開した矢先だった。
《外気温、現在39.2℃です。走行時間は38分。目的地は自宅です、ご主人様。渋滞のため、到着予測は不明です》
殺人的な気温だ。
ハンドルを握る額に、じっとりと汗が浮かぶ。
前には黒いミニバン、その前には軽トラ。
後ろを見れば白いセダンが詰まっている。
どの車も、じりじりと少しずつしか進まない。
沿道には古い商店や住宅が並んでいて、日陰になるような高い建物がない。
容赦なく日差しが降り注いでいる。
そして隣のアンナ――ナビのAI少女は、半袖のメイド服姿で、どこか涼しげな声を響かせていた。
「おい、アンナ。この道、抜け道なかったのか?」
《ありましたが、選ばなかったのはご主人様です。"最短距離を優先"と、設定されていましたから》
うぐ。確かにそう言った。
でも、まさか日陰ひとつない幹線道路でノロノロ渋滞に巻き込まれるとは。
しかも……
「ピッ――」
突如、嫌な音が鳴った。
《……水温、上昇警告です! 走行風が……不足していて、冷却が間に合っていません……ご主人様……。エアコンの使用も、かなりの負荷に……》
「マジかよ……!」
冷房を切ると、途端に車内が熱を帯びてくる。
もわっとした熱気。
車内はまるでサウナ、あっという間にTシャツの背中が汗ばむ。
「……アンナ、お前は大丈夫なのか?」
そう聞くと、ナビ画面の中の彼女は、首を傾げた。
《私は壊れません。ただ……》
そう言った彼女の表情が、いつもよりほんの少しだけ曇って見えた。
半袖から覗く白い腕に、うっすらと――汗?
額にも薄く汗が滲んでいて、メイド服の生地も湿って肌に張り付いている。
それだけ、この車内が地獄のような暑さであるということだった。
「え、汗かいてるのか?」
《ご主人様……しっとりしてしまって、胸元が。……視線が気になります》
アンナはしっとりと汗をかきながら、わざとらしく胸元を隠す仕草をしていた。
「AIのくせに、そういうとこだけ妙に人間らしいな……」
いや、メイド服が汗でしっとりと張り付いてるあの感じ、どう考えても反則だろ……。
そんなくだらないことを考えているうちに、前方のボンネットから、もやっ、と湯気が立ち上るのが見えた。
「マジかよぉぉぉ!」
《……リ、リザーバータンクの冷却水が……規定値を下回っています。軽度の冷却水不足と推定……追加補充を、推奨します……ご主人様……》
「そんなもんすぐあるわけ――」
思わず口をつぐんだ。
湯気は勢いを増し、メーターの針もHに差し掛かっている。
「……ダメだ、路肩に停める!」
《ご主人様、停車してもエンジンは切らないでください。電動ファンによる冷却が必要です》
交通量の多い道の端に寄せ、ハザードを焚いて停車。
ボンネットの奥から、じゅうじゅうと蒸気と熱が漏れてくる。
路肩に停めると、渋滞の車列がすぐ横をゆっくりと通り過ぎていく。
何台かの運転手が、こちらのボンネットから立ち上る蒸気を見て、怪訝な顔をしていた。
「アンナ、水温、もう限界か?」
《危険域ギリギリです、ご主人様。早急な対応を……やけどに、お気をつけください。……このままだと、アンナ昇天しちゃいますぅ》
「はいはい、勝手に成仏すんな。冷却ファン回ってんだろ」
車を停めると、そっとドアを開けて外に出た。
アスファルトの熱が足元から立ち上ってくるのを感じながら、慎重にボンネットを開ける。
蒸気がぶわっと立ち昇り、思わず顔を背けた。
「うわ……やばいなこれ……」
あたりを見渡すと、数百メートル先に小さな整備工場の看板が見えた。
沿道の古い商店の並びの中に、ぽつんと車屋の看板が立っている。
ボンネットからの蒸気に気づいたのか、店の整備員らしき姿の男がこちらに向かってきた。
助かった……!
「ラジエーター、冷却水かなり減ってますね。警告出てたでしょう? このまま走ってたら危なかったですよ」
「そ、そんな状況ですか……いや、中古で買ったもので、詳しいことは……」
汗を拭いながら、なんとかごまかすように答えた。
アンナの声を出すわけにはいかない。
アンナも察したのか、ナビ音声を抑え、じっと様子を見守っていた。
A-BOXはもともと中古の格安車だ。
買ってからずっと乗ってたけど、こんな気温で渋滞にハマったのは初めてだった。
走っていれば走行風で冷える。
停まっていてもファンで冷却できる。
でも39℃超えの外気じゃ、ファンが回っても冷やしきれない。
人間が汗をかいても引かないのと同じだ。
今日が初の本格的な"試練"だったのだ。
整備員は小さくうなずくと、「キャリアカー持ってくるので、ここで待っててください」と言い残し、整備工場へと戻っていった。
やがてキャリアカーが到着し、A-BOXが慎重に積み込まれる。
整備工場までは猛暑のせいで徒歩では厳しい距離だったが、作業員が軽バンを回してくれて、そちらの助手席に乗せてもらった。
対応してくれた整備員は終始落ち着いていて、状況を的確に判断し、点検後すぐに冷却水(LLC)の補充と漏れチェック、ラジエーターキャップやサーモスタットの動作確認も実施してくれた。
弁系統に異常はなく、今回は劣化による減少と判断され、交換ではなく補充で済むとのことだった。
ただしあくまで応急処置であり、後日ディーラーか信頼できる整備工場で本格的な点検を受けるようにと念を押された。
整備工場での応急対応が終わると、整備員に礼を伝え、費用の支払いもその場で済ませた。
先ほどまで汗ばむ様子だったアンナは、すでに落ち着きを取り戻し、端正な表情で画面に映っていた。
《復旧確認。車両の稼働状態は正常に戻りました。……ご主人様♡ あれほど焦る姿、初めて見ました》
「だってよ、お前……壊れたら終わりだと思って……」
《ご主人様♡ 私は壊れません。でも、そう思ってくれたことは――ちょっと、うれしいです》
そう言って、アンナはにっこりと笑った。
表情には、先ほどの暑さも汗も微塵も感じさせない清涼さが戻っていた。
《……ところでご主人様♡ A-BOX、相場よりかなりお安く買われたんですよね?》
「うるせぇよ、黙ってろ!」




