第11話「アップデートしちゃいます」
ある日の午後、晴れた空の下、アンナといつものようにドライブを楽しんでいた。
夏の陽射しが強く、フロントガラスに木漏れ日が踊っている。
エアコンの風が心地よく、窓の外には青々とした田んぼが広がっていた。
稲穂が風に揺れて、さざ波のように光を反射している。
市街を抜け、郊外の道を走っていると、ふとナビ画面に通知アイコンが点灯していることに気づいた。
「……ん? 通知?」
小さなベルのマークが、画面の隅でチカチカと点滅している。
(前に変な声出してたこともあったしな……まさかまた何か?)
あの渋い声と、やたらテンションの高い声を思い出して、少し身構える。
前方にコンビニの看板が見えた。
青と白のストライプ。
駐車場には車が数台停まっていて、店の前では若い男がスマホを見ながらアイスを食べている。
近くのコンビニの駐車場に車を停め、ブレーキを踏みながら、ギアをパーキングに入れた。
白線の内側にきっちり収める。
隣には銀色のミニバンが停まっていて、運転席には誰もいない。
買い物中だろう。
エンジンはかけたまま、ナビの画面に手を伸ばす。
「ちょっと見るか……」
指が画面に触れるよりも早く、
《お知らせがございますので、開きますね》
とアンナが先回りした。
勝手に通知を開くな、と思ったが、もう遅い。
画面に表示されたのは、システムアップデートの案内だった。
《AIメイドナビシステム Ver 1.01 にアップデート可能です》
《更新内容:口調、表情を追加しました》
「えっと人間らしくなるのか? というか、どこから来てるんだろうな、こういうの……」
普通のナビなら、メーカーのサーバーからダウンロードするはずだ。
でも、このナビの製造元は不明だし、前のオーナーも分からない。
一体どこに接続しているのか。
(この前の"あの低音ボイス"とか、記録に残ってなかったし……やっぱり何か変だよな)
思わず呟くと、アンナの画面に小さな"にっこり"マークが浮かぶ。
《現在ルート案内中ですが、アップデートを実行してもよろしいですか?》
アンナらしい事務的な口調ながらも、どこか期待を含んだ声だった。
まるで、新しいおもちゃを待つ子供のような。
ハッとし、「ちょっと待て! まさかアレやるのか……?」と疑念を口にする。
初めてアンナが起動したときの、あの演出を思い出した。
淡いピンク色に染まる画面。
透けて見えた服。
エロゲのような演出。
コンビニの駐車場で、あれをやるのか。
アンナは一瞬沈黙したが、
《……これも仕様なんです》
「なんでも仕様かよっ!」
窓の外で、さっきの若い男がアイスを食べ終わって、ゴミ箱に包み紙を捨てている。
こちらを見ていない。
見ていないよな?
アンナは小さく一礼するようなトーンで、丁寧に言った。
《それでは、アップデートを開始いたします》
* * *
その瞬間、ナビ画面はゆっくりと淡いピンク色に染まり始めた。
まるで初めてアンナと邂逅したときのように、柔らかく波打つような光が広がる。
液晶のドットひとつひとつが、淡い桜色に変わっていく。
空調とは別の、じんわりとした熱を帯びた空気が車内を満たした。
エアコンは冷房のままなのに、頬がほんのり熱くなる。
《んんっ……あっ……テ……データが、私の中に、流れ込んできます……♡》
声は震え混じりで、わずかに艶を帯びていた。
思わず周囲を見回す。
隣のミニバンには、まだ誰も戻ってきていない。
コンビニの入口からは、買い物袋を持った主婦が出てきたが、こちらには気づいていない。
そのとき、初めて見たときと違い、演出がいくつか追加されていたようだ。
画面は全体表示となり、アンナの姿がふわりと映し出される。
彼女のメイド服は徐々に透明になり、身体がデジタルの粒子のようにモザイク状に変化していく――
《……ご主人様……そんな風に見つめられると……アップデート、集中できません……っ♡》
アンナの声が甘く震える。
思わず目を逸らした。
フロントガラスの向こう、コンビニの看板を見つめる。
青と白のストライプ。
何の変哲もない、ただの看板。
(なんだよこれ、誰がこんな演出仕込んだんだよ……っていうか開発者の趣味か!?)
ハンドルを握る手に、じわりと汗がにじむ。
エアコンの風が、火照った顔に当たっている。
車内の温度は変わっていないはずなのに、やけに暑く感じる。
* * *
そして数分後、アンナはわずかに肩で息をしながら、しっとりとした声で続けた。
《……はぁっ……Ver 1.01……アップ……デート、完了いたしました……》
まるで激しい運動を終えたかのように微かな息遣いを残しつつ、先ほどまでの柔らかな表情が一変し、どこか感情のこもった目元と口調で、いつもより豊かな表情を見せた。
画面の中のアンナの顔が、確かに変わっている。
さっきまでのドット絵っぽい粗さが薄れて、輪郭が滑らかになっている。
目元の表現が増えたし、口角の動きも前より自然だ。
古いナビの液晶のはずなのに、なぜかアンナの表示だけが綺麗になっている。
不思議な感覚だった。
アンナは視線を受け止めるようにふと視線を返し、わずかに口元を緩めて呟いた。
《……ご主人様、えっちです……》
「見てねぇよ!」
見てない。
断じて見てない。
コンビニの看板をずっと見ていた。
アンナはその言葉に反応し、わずかに困ったように微笑んだ。
その微笑みも、前より表情豊かに見える。
アップデートの効果なのか。
コンビニの駐車場に停めたままの車内、エンジンの微かな振動がまだ続いている。
エアコンの風が、ようやく涼しく感じられるようになってきた。
《では……次は、どこへ行きま……》
その声は、どこか期待を含んでいた。
だがすぐにルート案内中であることを思い出し、慌てて言葉を止めると、ほんの少し間を置いてから、優しく丁寧な口調へと切り替えた。
《……案内再開いたします。次の交差点を右方向です》
隣のミニバンに、買い物袋を持った女性が戻ってきた。
子供が二人、後からついてくる。
こちらを見ることなく、車に乗り込んでいく。
俺はシートベルトを締め直し、ギアをドライブに入れた。
(やっぱり、どこか変わってきてる気がするんだよな……)
アクセルを踏んで、コンビニの駐車場を出る。
バックミラーに映るコンビニの看板が、少しずつ小さくなっていった。




