第53話「契約締結」―新たな支局構想
契約書というものは、発明品よりも厄介だった。少なくとも、ミア・デラ・フォルトゥナはそう思った。
カステルッチの安全家屋。その二階の大きな机には、何枚もの契約案が広げられている。
技術提供範囲。
共同研究の権利。
軍事転用制限。
秘密保持。
工房と関係者の保護。
強制徴用禁止。
研究成果の帰属。
どの文字も難しい。どの文章も長い。しかも、少し間違えると、自分の自由やコラージョの扱いに関わる。
ミアは頭を抱えた。
「……蒸気核の配管図の方が簡単」
向かいで契約書を読んでいたビアンカが言う。
「それはあなたくらいよ」
Qじいは眼鏡をずらし、書類の端に赤鉛筆で印をつける。
「ここは駄目じゃな。“必要に応じて政府機関が技術試料を一時保管できる”とある。曖昧すぎる」
ギヤ爺も腕を組んで唸る。
「“一時”ほど信用ならん言葉はない。鉱山でも“一時保管”された道具は大抵戻ってこねえ」
フローラが横から冷静に書き込む。
「では、“本人の書面同意なしに移管・保管・複製を禁ずる”へ修正しましょう」
サムは無言で頷いた。
「妥当だ」
ミアは目を丸くする。
「みんな、契約書読めるんだね」
「あなたも読めるようになりなさい」
ビアンカが言う。
「発明品を守るためには、工具だけじゃ足りないのよ」
ミアは少しだけ真面目な顔になった。
「……うん」
コラージョは部屋の隅で静かに待機している。時折、低くゴロゴロ鳴る。ミアはそれを聞いて頷いた。
「コラージョも、“分解禁止は太字にしろ”って」
ギヤ爺が鼻で笑う。
「そいつは大事だな」
フローラは本当にその項目に太い下線を引いた。
「これでどう?」
ミアは満足げに頷く。
「うん。コラージョも納得」
コラージョが少し誇らしげに鳴った。
⸻
数日後。大統領府別館の会議室。
そこには、ウィリアム・マーティン大統領、セルジオ・リメンタニ国防大臣、バーナード局長、サム、フローラ、ビアンカ、Qじい、ギヤ爺、そしてミアが揃っていた。
コラージョも、特別に地下車庫ではなく会議室の端に待機している。
国防大臣は、猫型の蒸気バイクが当然のように会議室にいる光景を見て、低く呟いた。
「……慣れるべきなのか、突っ込むべきなのか分からん」
ミアが胸を張る。
「チームの一員なので」
サムも言う。
「事実です」
大統領は小さく笑った。
「では、チームの一員として同席を認めます」
契約書は、机の中央に置かれていた。ローマン共和国と、ミア・デラ・フォルトゥナ個人との特別技術提携契約。
ミアはペンを持つ前に、もう一度ビアンカを見る。ビアンカは静かに頷いた。
「あなたが決めたことよ」
Qじいも言う。
「内容は確認した。少なくとも、今の時点でお前さんを縛る契約ではない」
ギヤ爺は腕を組んだまま言った。
「妙なことになったら、俺が机をひっくり返してやる」
フローラが即座に言う。
「大統領府の机は高価なので、できればやめてください」
「例えだ」
ミアは少し笑った。そして、契約書へ署名した。
ミア・デラ・フォルトゥナ。
続いて、大統領が署名する。その瞬間、部屋の空気が少し変わった。
国と、ひとりの少女。
本来なら釣り合うはずのない二つが、紙の上で対等に並んだ。
大統領はペンを置く。
「契約は成立しました」
ミアは小さく息を吐いた。コラージョが低く、柔らかく鳴る。
≪自由。守る。進む≫
ミアはそっと車体を撫でた。
「うん。一緒に進もう」
するとミアのブレスレットが光りメッセージが流れた。
『観測完了。結果を保存します。』
クローズモードなので、周りには聞こえない。観測個人対象者の行動・決断に反応した様だった。
ミアは一瞬驚いたが、不思議な安心感を感じる。
⸻
契約成立後、会議室の扉は閉じられた。ここから先は、契約に基づく最初の秘密共有だった。
バーナードが言う。
「では、ミア。話せる範囲で構わない」
ミアは頷き、手首のブレスレットに触れる。
「まず、これです」
淡い青白い光が立ち上がり、オープンモードの空中画面が展開される。
大統領と国防大臣は、同時に沈黙した。空中に浮かぶ幾何学的な画面。
文字。
波形。
図形。
立体表示。
この時代の投影技術では説明できない、静かで精密な光。
「これは……」
リメンタニが低く言う。
「幻灯機ではないな」
Qじいが言う。
「私も最初そこから疑いました」
ミアは続ける。
「これは古代文明の装置です。私がある遺跡で、観測者の代理と名乗る人物から渡されました」
大統領が眉を寄せる。
「観測者の代理?」
「観測者は……世界の技術的な発展や動き、あと私自身の行動や決断を観測対象にしている存在で、私も“観測される側”なんです」
「観測者は、これからこの世界が技術の変換点に入っていくと.....そして私を通じてそれを観測させて欲しいと......
それを条件に古代文明の技術供与を受けました」
「でも、その人が何者なのかは……まだ言えません」
ミアは少しだけ目を伏せた。
「そこだけは、まだ秘密にさせてください」
バーナードが補足する。
「彼女は、我々にもその点だけは明かしていません」
リメンタニは腕を組む。
「それを認めたのか」
「契約は、彼女の秘密を奪うためのものではありません」
バーナードは淡々と言った。
大統領はミアを見る。
「続けてください」
「このブレスレットには、分析機能と観測機能があります。目の前の物質を調べたり、蒸気石由来の大規模なエネルギー反応を拾ったりできます」
画面が切り替わると、観測ノードの概念図が表示された。
「それと、世界各地にある観測ノードと繋がっています。ブレスレット単体ではなく、ネットワークを通じて反応を拾う仕組みです」
大統領は小さく息を呑む。
「世界規模の観測網……」
「はい。ただし、万能ではありません。距離や反応の種類、ノードの状態に左右されます。今回の輸送船事故では、事故そのものを予測したわけではなく、残留エネルギー反応を拾っただけです」
ミアは慎重に説明した。
「私は未来が見えるわけじゃありません」
リメンタニが静かに言う。
「それでも、軍事的には恐るべき能力だ」
「だから、勝手に使われたくないんです」
ミアはまっすぐ答えた。その声には、契約を結んだばかりの者としての覚悟があった。
⸻
次にミアは、机の上に小さな板状部品を置いた。
「これが量子AIプロセッサーです」
大統領はそれを覗き込む。
「これが、コラージョ君や飛行艇改造案に使われるものですか?」
「はい。私は以前、十枚受け取りました。そのうち一枚は特別製で、コラージョに使っています」
コラージョが小さく鳴る。
ミアは車体を撫でた。
「コラージョは普通のバイクじゃありません。蒸気核と小型蒸気リアクターを併用していて、自走、自立、戦闘補助、共振制御ができます。あと、私のブレスレットと感覚的にリンクできます」
リメンタニが眉をひそめる。
「感覚的に?」
「猫族の喉鳴らし音と、ブレスレットのアップデートで、コラージョの感情や警戒反応がかなり分かるようになりました」
大統領はコラージョを見た。
「彼は、こちらの話を理解しているのですか」
ミアは少し笑う。
「理解しています」
コラージョが低く鳴る。
≪見てる。偉い人。静か≫
ミアは少し困った顔をした。
「今は……“見てる、偉い人、静か”みたいな感じです」
リメンタニが思わず言った。
「本当に会話しているのか」
ビアンカが静かに答える。
「私たちも最初は驚きました。でも、今はもうチームの一員です」
サムも言う。
「作戦行動上も有効です」
大統領はしばらくコラージョを見つめ、それから静かに頷いた。
「分かりました。少なくとも、物として扱うべきではないことは理解しました」
コラージョが満足げに鳴る。ミアは少し嬉しそうに笑った。
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ミアは、スチームパック、小型蒸気リアクター、メモリニウム合金、コラージョの視覚センサーについても説明した。
ただし、言わなかったこともある。
コラージョの量子AI プロセッサーに陽電子頭脳が搭載され、古代に実在した猫族の少年コラージョの人格が入っていること。
観測者の代理が、古代文明アーカイブAI管理者であること。
観測者が介入する人工ブラックホール機関に関する最重要観測項目。
それらは、まだ胸の奥にしまった。大統領も国防大臣も、それを察したようだったが、追及はしなかった。
契約したばかりの相手を、初日から追い詰めるべきではない。それを二人とも理解していた。
説明が終わると、リメンタニは深く息を吐いた。
「……これは、確かに個人と国家の契約が必要になるわけだ」
大統領も頷く。
「想像以上でした」
ミアは少し緊張した顔で訊く。
「怖いですか?」
大統領は正直に答えた。
「怖いです」
ミアの耳が伏せる。だが、大統領は続けた。
「しかし、怖いから奪うのではなく、怖いからこそ信頼する道を選ぶべきだと思います」
ミアはゆっくり顔を上げた。
「……ありがとうございます」
⸻
その後、バーナードは新しい構想を発表した。
「大統領の指示で、今回の契約成立に伴い、国家保安情報局はネオ・ジェノバに非公式支局を開設する事となった」
ミアは目を丸くする。
「ネオ・ジェノバに?」
「表向きは海兵隊基地内の技術連絡室になる。実際には、国家保安情報局ネオ・ジェノバ支局。そこに特命課と特殊装備開発部を置く」
サムが初めて少しだけ眉を動かした。バーナードは続ける。
「支局長兼特命課長、サム・ウエストレイク」
サムは無言で頷く。
「特命課主任、フローラ・ダルトン」
フローラが少し驚いた顔をしたが、すぐに姿勢を正す。
「了解しました」
「特殊装備開発部長、ハルフォード・クエンティン」
Qじいが腕を組む。
「私は正式に巻き込まれたわけだな」
バーナードが言う
「半分は自分からから巻き込まれていただろう」
「…否定できん」
バーナードはさらに続けた。
「特別契約職員として、特命課主任、ビアンカ・アンドリーニ」
ビアンカが息を呑む。
「私が主任?」
「サムが強く推薦した」
ビアンカはサムを見る。サムは平然としていた。
「適任だ」
それだけだった。ビアンカは少しだけ目を伏せる。
「……了解しました」
「同じく特別契約職員。特命課員兼特殊装備開発部主任技師、ミア・デラ・フォルトゥナ」
ミアはぱちぱちと瞬きをする。
「私、課員で主任技師?」
「そうだ」
「偉いの?」
フローラが笑う。
「たぶん、面倒な立場よ」
「ええ……」
「そして、特命課員兼特殊装備開発部主任技師、ハンス・モレンカンプ」
ギヤ爺が眉をひそめる。
「俺もか」
「君の現場経験と機械技術は必要だ」
「週五で出ろとか言うなよ」
バーナードは少しだけ笑った。
「ミア、ビアンカ、ハンスは週二、三日の出勤で構わない。それ以外は自由。ただし、特命事案が発生した場合は別だ」
ミアの耳がぴんと立つ。
「じゃあ、工房は続けられる?」
「続けられる」
「ビアンカも?」
「もちろん」
「ジジイも?」
ギヤ爺が渋い顔で言う。
「俺は元々自由だ」
バーナードは続けた。
「支局は極秘に、ネオ・ジェノバの海兵隊基地内に併設される。完成は半年後を見込んでいる」
ビアンカが少しだけ遠い目をした。
「海兵隊基地……」
ミアがそっと見る。ビアンカは小さく笑った。
「大丈夫。少し懐かしいだけ」
バーナードは資料をめくる。
「最初の主要任務は、例の飛行艇改造計画だ。ティルトローター化、反重力リフター制御、量子AIプロセッサーを用いたエンジン制御及びアビオニクス支援。これはネオ・ジェノバ支局の特殊装備開発部で進める」
Qじいの目が光った。
「いよいよか」
ミアも思わず身を乗り出す。
「本当にやるの?」
「承認は通す」
リメンタニ国防大臣が言った。
「ただし、軍としても監督はする。危険な玩具では済まん」
「玩具じゃないです。飛行艇です」
「君の発明は、玩具の顔をして兵器級の性能を持つから困る」
ミアは少し口を尖らせた。
「否定しきれない」
ビアンカが小さく笑った。
⸻
会議の最後に、大統領が言った。
「ミアさん、ビアンカさん、ハンスさん。あなた方には一旦ネオ・ジェノバへ戻っていただくことになります」
ミアは少しほっとした顔をする。
「工房に帰れるんですね」
「はい。ただし、その前に」
大統領は微笑む。
「今夜、大統領府で晩餐会を開きます。今回の件に尽力した皆さんを招待したい」
ミアは固まった。
「晩餐会?」
ギヤ爺も固まった。
「俺もか?」
「もちろんです」
フローラがにこやかに言う。
「ハンスさん、スーツがまた役に立ちますね」
「まさかまた禁酒か?」
「晩餐会なので、適量なら」
ギヤ爺の目が少しだけ輝いた。ミアはビアンカを見る。
「晩餐会って、何着ればいいの?」
「まず、食べ方で失敗しないようにするところからね」
「え、そこから?」
Qじいがぼそりと言う。
「ミア、工具を持っていくなよ」
「持っていかないよ!」
少し間を置いて、ミアは訊いた。
「……小さいの一本くらいなら?」
「駄目」
ビアンカ、サム、フローラが同時に言った。コラージョが低く笑うように鳴った。
ミアは頬を膨らませる。
「コラージョまで笑わないで」
会議室に、久しぶりに穏やかな笑いが広がった。
契約は結ばれ、秘密は共有された。
新しい支局の構想も動き出した。
最初の戦いは終わりに近づき、ネオ・ジェノバへ帰る日が見えてきた。
だが、その前に待っているのは、国家の晩餐会。ミアにとって、それは事故調査並の任務に思えた。
続く




