第51話「切り捨てられる者」―公聴会の終幕
共和国議事堂の特別公聴会場は、もう朝の空気ではなかった。
午前中に始まったはずの公聴会は、証言、証拠提出、休憩、緊急聴取を繰り返し、いつの間にか午後の光を大きく傾けていた。
議場の中は、熱を帯びている。
ヴァレンティ局長の証言。
ギヤ爺の北方採掘場事故証言。
Qじいによる事故船押収品と飛行艇爆破工作の分析。
アーリア・インダストリー系列の鉱山用ダイナマイト。
そして、ディクソンの告白。
資源管理局局次長ジュリアードは、もはや冷静ではなかった。
彼の周囲には衛士が立ち、追加聴取のため、席から離れられない状態になっている。それでも彼は何度も言った。
「私は国のためを思っていた!」
だが、その声はもう議場を動かさなかった。むしろ、その言葉が出るたびに、傍聴席の空気は冷えていく。
ディクソンは証言台に立ったまま、静かに目を伏せていた。
自分も同じだった。
技術のため。
開発部のため。
未来のため。
そう言い訳して、十年前に一人の男へ責任を押し付けた。
だからこそ、ジュリアードの言葉が痛いほど分かる。そして、だからこそ許せなかった。
「国のためという言葉は、人の死を軽くするためのものではありません」
ディクソンは静かに言った。ジュリアードの顔が歪む。
「黙れ……君に何が分かる」
「分かります」
ディクソンは答えた。
「私も、同じ言い訳で十年逃げましたから」
議場は静まり返った。その沈黙の中で、議長が木槌を叩く。
「本公聴会において提出された証拠、証言、ならびに本日発生した議事堂地下搬入口への不正侵入事案を受け、当委員会は以下を決定します」
記者たちが一斉にペンを構えた。
「第一に、資源管理局局次長ジュリアード氏について、証言内容に重大な虚偽および証拠隠滅工作への関与の疑いがあるため、司法当局および国家保安情報局へ正式に調査を要請する」
ジュリアードが何か叫ぼうとしたが、衛士が制した。
「第二に、資源管理局開発部長エドガー・ディクソン氏の証言については、本人の関与を含め、十年前のネオ・ジェノバ開発部研究所事故の再調査対象とする」
ディクソンは目を閉じた。それは罰の始まりだった。だが同時に、やっと逃げずに済む場所でもあった。
「第三に、蒸気石輸送船事故、飛行艇爆破工作、および本日の議事堂地下侵入事案に関し、アーリア・インダストリー系列企業の関与を含む外部工作の可能性が極めて高いものとして、政府に対し外交・司法両面での対応を求める」
議場が大きくざわめく。アーリア・インダストリーの名が、正式に公聴会の結論に入った。
ミアはビアンカの隣で、それを聞いていた。父の名前が戻り始めた。だが、これで全てが終わったわけではない。エンリコ・フォルトゥナの名誉回復も、十年前の再調査も、これからだ。それでも、今日この場で一つだけ確かに変わった。
父は、もう事故の責任者ではない。ミアは小さく息を吐いた。
ビアンカが横から言う。
「立っていられる?」
「うん」
「本当に?」
「少しだけ、足がふわふわする」
「なら、私につかまってなさい」
ミアは素直にビアンカの袖を掴んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
議長は最後にこう告げた。
「本日の公聴会は、これをもって閉会とします」
木槌の音が、議場に響いた。公聴会は終わった。だが、その音は終幕の鐘ではなかった。むしろ、新しい争いの始まりを告げる音だった。
⸻
議場の外は、すでに騒然としていた。記者たちが走り、速報を打つ通信社職員が階段を駆け下りる。議事堂前の群衆には、次々と断片的な情報が伝わっていく。
「アーリアの爆薬が出たらしいぞ!」
「資源管理局の局次長が関与?」
「十年前の事故も隠蔽だったって?」
「フォルトゥナ主任は無罪だったのか!」
人々の声は波のように広がっていく。サムはその様子を窓越しに見ながら、低い声で言った。
「早いな」
フローラが隣に立つ。
「情報は水より速いわ。特に、誰かが隠したがっていた真実は」
「地下襲撃犯は?」
「二名は議事堂地下で確保。搬入口班の三名も拘束済み。全員、直接の雇い主は知らない。ただし、偽装搬入許可と通信機から、内部協力者は絞れる」
「エルンストに繋がるか」
「時間はかかるけど、繋げるわ」
サムは頷いた。その時、無線に別の報告が入った。
『主任。アーリア・インダストリー、ローマン現地法人本部で動きがあります』
「内容は」
『幹部二名が所在不明。一名は自宅で遺体発見。自殺と見られます』
フローラの表情が険しくなる。
「早すぎる」
サムは目を細めた。
「切り捨てが始まったか」
⸻
カステルッチ港湾地区。アーリア・インダストリー、ローマン現地法人の重役室には、まだ葉巻の匂いが残っていた。
だが、そこにいたはずの幹部たちはいない。
一人は姿を消した。
一人は自宅で首を吊ったとされた。
もう一人は、事務所の金庫室に残された書類とともに消えていた。
そのすべてを手配したのは、エルンスト・ヴァイスだった。彼は机の上に並べた書類を見下ろしている。
声明案。
内部調査報告書。
責任者名簿。
そして、ローマン現地法人が独断で行った工作であると示すための偽造記録。
「浸水区画は閉鎖する」
以前、本社幹部が言った言葉を、エルンストは思い出す。今度は、自分が閉鎖される側か。
彼は薄く笑った。
「企業という船は、実に礼儀を知らない」
部下が入ってくる。
「ヴァイスさん、港の船は準備できています。デアベルドミッテ行きの貨物船です」
「予定変更だ」
「え?」
「港は見られている。陸路で南へ出る」
「ですが、その先は?」
「手配済みだ」
そう言いながら、エルンストは外套を羽織る。だが、その時だった。別の男が駆け込んでくる。
「まずいです。ローマン政府が、あなたを国際指名手配しました」
エルンストの手が止まる。
「早いな」
「アーリア本社からの連絡は?」
男は答えない。その沈黙で十分だった。エルンストは笑う。
「切られたか」
彼は驚かなかった。ただ、自分が思っていたより少し早かっただけだ。そこへ、扉の向こうから静かな声がした。
「祈りは作戦ではない、と言ったはずです」
エレン・シュミットが入ってきた。黒い外套。帽子を目深に被り、表情は読めない。
エルンストは彼女を見る。
「助けに来たのか」
「手引きに来ました」
「同じでは?」
「違います」
エレンは冷静に言う。
「あなたは、アーリア本社に切られた。ローマン政府に追われている。そしてデアベルドミッテ政府にとっても、あなたは都合の悪い存在になった」
「君もか」
「私は国家に仕えています」
「企業より冷たい」
「国家の方が、切る時は丁寧です」
エルンストは苦笑した。
「では、その丁寧な逃亡経路を案内してもらおう」
「もちろん」
エレンは背を向ける。
「裏口から。車を用意しています」
⸻
カステルッチ郊外。雨が降り始めていた。細い農道の脇に、黒い車が停まる。
周囲には人影がない。遠くに見えるのは、古い石橋と林だけ。
エルンストは車を降りた。
「ここで乗り換えか」
「ええ」
エレンも降りる。彼女の手には、鞄が一つ。
「その中は?」
「身分証、現金、逃亡用の書類です」
「気が利くな」
「職務です」
エルンストは周囲を見回す。
「妙に静かだ」
「逃亡には向いています」
「処刑にも向いているのでは?」
エレンは答えなかった。その沈黙で、エルンストは理解した。
彼はゆっくりと振り返る。
「なるほど。君の任務は、私を逃がすことではない」
「半分は逃がすことでした」
「半分?」
「少し時間が稼げる場所まで」
エルンストは小さく笑った。
「本当に丁寧だ」
エレンは迷わず拳銃を抜いた。
「デアベルドミッテ政府は、今回の件への公式関与を認めません。あなたは、アーリア・インダストリーのローマン現地法人と共謀し、独断で破壊工作を計画した人物として処理されます」
「遺書もあるのか」
「あります」
「私がすべてを画策した、と?」
「ええ」
「文体は似せたか?」
「十分に」
エルンストは、雨に濡れた空を見上げた。
「企業に切られ、国家に消される。諜報の世界は詩的だな」
「詩ではありません。処理です」
「最後に一つ」
「何です」
「ローマン側の猫娘。ミア・デラ・フォルトゥナ。あれは何だと思う」
エレンの目がわずかに動く。
「分かりません」
「分からないものを、君たちの政府は放っておくのか」
「今は、あなたの方が優先です」
エルンストは笑った。
「残念だ」
銃声。
雨音の中に、一発だけ乾いた音が混じった。
エルンスト・ヴァイスは右側頭部を撃たれ、石橋の脇に崩れ落ちた。
エレンは近づき、彼の右手に拳銃を握らせ、草むらに向けそのまま二発発砲する。
鞄から封筒を取り出し、濡れない位置へ置く。
遺書。
全て自分が画策したという告白。
ローマン現地法人幹部への指示。
資源管理局内部協力者との接触。
すべてが、彼一人に収束するように整えられている。エレンは、しばらく彼の遺体を見下ろした。
「祈りは作戦ではありません」
小さく呟く。
「でも、冥福くらいは祈っておきます」
彼女は帽子を深く被り直し、雨の中へ消えた。
⸻
その夜。カステルッチ、大統領府。大統領執務室には、三人の男がいた。
ウィリアム・マーティン大統領。
セルジオ・リメンタニ国防大臣。
そして、国家保安情報局長バーナード。
窓の外では、雨が大統領府の石壁を濡らしている。机の上には、公聴会の速報資料が置かれていた。
ジュリアード局次長の拘束。
ディクソン証言。
十年前の研究所事故再調査。
アーリア・インダストリー関与疑惑。
ローマン現地法人幹部の失踪と自殺。
エルンスト・ヴァイス国際指名手配。
そして、その数時間後に届いた報告。エルンスト・ヴァイス、郊外で自殺と見られる遺体発見。
リメンタニ国防大臣が低く唸る。
「都合が良すぎる」
バーナードは頷いた。
「自殺に見せた処理でしょう。遺書も用意されている。全てをヴァイス一人に集約するためです」
大統領は資料を閉じた。
「アーリア本社は?」
「ローマン現地法人の暴走として謝罪声明を準備しているようです。本社の関与は否定するでしょう」
「デアベルドミッテは?」
「協力は期待できません」
リメンタニが鼻を鳴らす。
「想定通りだな。腹立たしいほどに」
「はい」
しばらく沈黙が落ちる。
公聴会は大きな成果を上げた。
だが、アーリア本社へ届く道は、すでに切られ始めている。
大統領は椅子にもたれ、静かに言った。
「国内の掃除はできる。だが、外の手までは届かない」
「今は、届きません」
バーナードが答える。その言い方に、大統領は目を細めた。
「今は、か」
バーナードは何も言わない。リメンタニが資料の別のページを開いた。
「ところで、バーナード。もう一つ聞かなければならんことがある」
「何でしょう」
「ミア・デラ・フォルトゥナだ」
部屋の空気が変わった。大統領も、同じ名に視線を落とす。報告書には、彼女の名が何度も出ていた。
小型蒸気リアクター。
猫型スチームバイク、コラージョ。
スチームパックによる飛行艇外部での爆弾回収。
事故船原因の技術的特定。
未知の解析能力。
地下保管庫での早期警戒。
そして、複数の場面で確認された、時代の水準を超える判断と装備。
リメンタニは低い声で言う。
「ただの天才発明家では説明がつかん」
大統領も静かに続けた。
「私も同じ疑問を持っている。彼女は何者なのだ、バーナード」
バーナードはすぐには答えなかった。いつかは、この問いが来ると思っていた。
ミア・デラ・フォルトゥナ。
彼女が持つものは、個人の才能だけではない。彼女の背後には、この世界の技術体系そのものを揺るがす何かがある。
古代文明。
観測者の代理。
ブレスレット。
まだ全てを語る時ではないが、国家の首脳二人をいつまでも外に置いておくこともできない。
バーナードは静かに言った。
「大統領閣下。国防大臣。彼女については、いずれ必ず説明しなければならないと考えていました」
リメンタニが眉をひそめる。
「今、説明しろ」
「その前に、一つ提案があります」
「何だ」
バーナードは大統領を見た。
「ミア・デラ・フォルトゥナ個人と、ローマン共和国との技術提携契約を結んでいただきたい」
沈黙。リメンタニが思わず言った。
「個人と国家の契約だと? 前代未聞だぞ」
「承知しています」
「相手は少女だぞ」
「同時に、ローマン共和国が今後最も慎重に扱うべき技術保有者です」
大統領はバーナードをじっと見た。彼は知っている。バーナードは、冗談でこんなことを言う男ではない。
「契約を結べば、秘密を明かすということか」
「はい」
「彼女は、それほどの人物なのか」
バーナードは静かに答えた。
「彼女と契約したい国は、他にもいずれ現れるでしょう。ブリタニア。デアベルドミッテ。アーリア・インダストリーのような企業体。あるいは、もっと危険な組織も」
リメンタニの表情が険しくなる。
「つまり、保護と囲い込みか」
「いいえ」
バーナードは首を横に振った。
「彼女を強制的に囲い込もうとすれば、必ず失敗します。彼女は躊躇わず技術を封印するでしょう。必要なのは、対等な契約です。彼女が自分の意思でローマン共和国と協力する理由を作ることです」
大統領は静かに指を組む。
「契約内容は」
「技術情報の提供範囲、軍事転用の制限、彼女自身の安全保障、工房と関係者の保護、研究成果の権利、そして国家による強制徴用の禁止」
リメンタニが目を見開いた。
「強制徴用の禁止まで入れるのか」
「入れなければ、彼女は契約しません」
「君は彼女をよく分かっているようだな」
「少なくとも、命令で動く人間ではありません」
大統領は少しだけ笑った。
「報告書を読む限り、そのようだ」
バーナードは続ける。
「契約案を整えた上で、私が直接ミアに話します。彼女が拒否すれば、それまでです」
「拒否を認めるのか」
リメンタニが問う。
「認めなければ、契約ではありません」
また沈黙が落ちる。やがて大統領が言った。
「分かった。まず契約内容を提示してくれ」
バーナードは深く頷く。
「ありがとうございます」
「ただし」
大統領の声が少し低くなる。
「彼女に会う前に、私にも説明してもらう。彼女が何者なのか、その概要だけでも」
バーナードは一瞬だけ目を伏せた。
「契約内容が固まり次第、説明します」
リメンタニが腕を組む。
「どうやら、我々はとんでもないものを抱え込もうとしているらしいな」
バーナードは静かに言う。
「抱え込むのではありません。隣に立つのです」
その言葉に、大統領はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
⸻
同じ夜。安全家屋の二階。
ミアは窓辺に座って、雨の街を見ていた。公聴会は終わり、父の名誉は戻り始めた。だが、胸の中は不思議なほど静かではなかった。
コラージョは地下の倉庫で眠るように待機している。ビアンカは隣室にいて、サムとフローラはまだ一階で報告書を書いている。
Qじいとギヤ爺は、ようやく約束の二杯を飲みに行くかどうかで揉めていた。
ミアは手首のブレスレットを見るが、淡い光は消えていた。それでも、何かが近づいている気がした。
ノックの音がした。
「ミア」
サムの声だった。
「バーナード局長から連絡だ。明日、君と話がしたいそうだ」
「局長が?」
「ああ」
「公聴会のこと?」
サムは少しだけ沈黙した。
「それもある。だが、たぶん別の話だ」
ミアは窓の外を見る。雨の向こうで、カステルッチの灯りが滲んでいる。
「分かった」
彼女は静かに答えた。父の真実が明かされた日。その夜、別の扉が開こうとしていた。
ミア・デラ・フォルトゥナ個人と、国家。古代文明の技術と、ローマン共和国。そして、まだ語られていない秘密。物語は公聴会の終幕とともに、次の段階へ進もうとしていた。
続く




