第46話「ゴロゴロ通信」―コラージョのアップデート
公聴会前日の朝。カステルッチ旧市街の安全家屋は、いつになく慌ただしかった。
地下作戦室では、サムとフローラが最終移動計画を確認している。Qじいは証拠品分析の資料を封筒に分け、ビアンカは公聴会場内の配置図に目を通していた。
ミアはコラージョのそばに座り込み、手首のブレスレットを操作している。
そして、ギヤ爺は――濃いグレーの特注スーツを着たまま、部屋の隅でこっそりスキットルを取り出していた。
だが、蓋を開ける直前、すっと横から手が伸びた。
「没収」
フローラだった。
「おい」
ギヤ爺が低く唸る。
「公聴会が終わるまで禁酒よ、ハンスさん」
「俺の緊張をほぐす薬だ」
「証言前に飲む薬ではないわ」
「少量だ」
「スキットルを“少量”と言い張る人は信用できないの」
ミアがぱっと顔を上げた。
「ジジイ、マフィアのボスなのに禁酒命令されてる」
「誰がマフィアのボスだ!」
「だってそのスーツでスキットル持ってたら、もう完全に裏取引前のボスだよ」
「俺は証人だ!」
「証人兼ボス」
「兼ねるな!」
ビアンカは口元を押さえ震えている。サムは書類から目を上げずに言った。
「禁酒には同意する」
「お前までか」
「証言中に酒臭い元所長は困る」
「そこまで飲まん」
フローラはスキットルを自分のポケットへしまった。
「公聴会が終わったら返すわ」
「中身は?」
「残っていれば」
「飲む気か!」
「冗談よ」
フローラは涼しい顔だった。Qじいがぼそりと言う。
「ハンス、諦めろ。あの娘は強い」
「フン、見りゃ分かる」
ギヤ爺は渋々椅子に座り直した。久しぶりに場が少し笑いに包まれる。だが、それも長くは続かなかった。
公聴会は明日。全員が、その重さを分かっている。
⸻
ミアは再びコラージョの前にしゃがみ込んだ。コラージョは低く、柔らかく喉を鳴らし、それに答えるかの様にミアも喉を鳴らす。
ゴロゴロ、ゴロゴロ。
コラージョの喉鳴らしは機械音にしては妙に温かく、ただの排気音にしては感情を含みすぎていた。
ビアンカがふと顔を上げる。
「……やっぱり、あなたたち会話してるみたいね」
ミアの耳がぴくっと動いた。
「…うん」
いつもなら、この問いに冗談っぽく返すミアが神妙な顔をしている。
「ミア?」
不思議に思ったビアンカが呼びかける。
「…そろそろ、ちゃんと話しておこうかなと思って」
部屋の視線がミアに集まる。
ミアは少し照れくさそうに、コラージョの車体を撫でた。
「猫族って、喉鳴らしで簡単な意思疎通ができるでしょ」
ビアンカが頷く。
「ええ、そうね。大昔は名前も喉を鳴らして呼び合っていたって聞いたことがあるわ。今でも、ある国ではミドルネームとしてゴロゴロ音を使うんでしょう?」
「そうそう」
ミアは頷いた。
「でも、喉鳴らしの音って、人族の言葉には訳せないの。嬉しいとか悲しいとか、そういう単純なものじゃなくて……感情の色とか、匂いとか、空気の温度とか、そういうのが混ざってる感じ」
「詩人みたいな説明ね」
「だって本当にそうなんだもん」
ミアは少し困ったように笑う。
「最初、コラージョのゴロゴロ音は正直、機械っぽかった。だから私もはっきり感情が読めなくて、コラージョの動きとか反応で判断してたの」
コラージョが少し不満げにゴロゴロ鳴る。
「ごめんごめん。でも本当でしょ」
ミアは車体を撫でる。
「でも、コラージョの名前を決めたあたりから少しずつ変わった。ブレスレットの機能もアップデートされて、今は前よりずっとはっきり感情が分かる」
ビアンカは目を細めた。
「だから、私が“会話してるみたい”って言うと、あなたはいつも冗談っぽく返してたのね」
「うん。急に“本当に分かるよ”って言ったら変に思われるかなって」
「今さら変なことの一つや二つで驚かないわよ」
「それ、褒めてる?」
「慣れたという意味」
「ひど-い」
サムが静かに言った。
「つまり、君はコラージョの状態を感情面でも把握できるという事か?」
「うん。それと、たぶん皆もう気づいてたと思うけど」
ミアはコラージョを見る。
「コラージョは、こっちの言葉を理解してる」
沈黙・・・そして全員が、ほぼ同時に頷いた。
「まあ、そうだろうな」
サム。
「うん、今さらね」
ビアンカ。
「見れば分かる」
Qじい。
「むしろ隠してたのか?」
ギヤ爺。
「ですよね〜」
ミアは皆のリアクションに思わず苦笑いするが、フローラだけが少し感心した顔をした。
「面白いわね。犬族も鳴き声である程度の意思疎通はできるの。諜報員同士が犬族の場合、短い合図代わりに使えるから役に立つわ」
「そうよね!犬族も大昔は名前を鳴き声で呼んでたし。ちなみにそれってわんわん暗号?」
ミアが目を輝かせる。
「そこまで可愛くないわ」
「じゃあ、秘密の遠吠え?」
「それに近い時もあるわね」
ビアンカが少し呆れたように言う。
「情報局って、思ったよりワイルドね」
「実用的と言ってほしいわ」
⸻
ミアはブレスレットの画面をオープンモードで展開した。淡い青白い空中表示が浮かぶ。
「それで、昨日から設定してたのがこれ」
画面には、いくつもの線と点が表示されている。
「警戒モード。列車襲撃前からコラージョを対象に設定していたけど、ブレスレットの観測機能と感知センサー、それからコラージョの視覚感知センサーを双方向で連携させたの」
サムが一歩近づく。
「双方向で危険感知できるのか?」
「うん。コラージョと私、どちらかに危険が迫ればお互いに分かるようにした。コラージョのゴロゴロ音と私の音声で互いに通信もできるの。観測ノードのネットワーク内なら、距離があっても反応を拾えるはずよ」
Qじいの目が鋭くなる。
「観測機能を、相互警戒に転用したのか」
「そう。事故反応とか大規模エネルギーだけじゃなくて、周辺の異常な動きも拾えるように調整したの。まだ試験中だけど」
「また恐ろしいものを軽く作りおって」
「軽くじゃないよ。昨日ほとんど寝てない」
「それを軽くと言うんじゃ」
ミアは画面を操作すると、画面が切り替わる。そこに映ったのは、倉庫内部の鮮明な映像。
コラージョの視点だった。皆が息を呑み、ビアンカは目を見開く。
「これ……コラージョが見てる映像?」
「うん。ニューバーミンガム島でブレスレットがアップデートされた時に、コラージョ側の視覚センサーも一緒に更新されてたみたい」
「いつ気づいたの?」
「昨日、警戒モードを組んでる時」
ミアは少し興奮したように言う。
「それでね!コラージョの目に使ってるパーツ、ライト機能と視覚センサーだけだと思ってたんだけど、カメラ機能もあったの。しかもかなり高精細」
Qじいも画面を覗き込み、息を呑んだ。
「総天然色でこの質感の映像なんて…はあ…まあ、あのパーツがこの時代の物でないことは、見れば分かる」
「あまり驚かないね」
「今さらか? お前さんが持ってくる物に逐一驚いていたら、心臓がもたん」
ミアは少し笑った。
「三年前、古代文明の観測者の代理って名乗る人から、量子AIプロセッサーを十枚もらったでしょ」
「その話は聞いた」
「実は、その内の一枚が特別製だったの。プロセッサーとセットでコラージョの目に使ってる部品もあったの。」
フローラが興味深そうに見る。
「隠していたの?」
「違うよ。ただ、私もそこまで用途や機能を把握してなかっただけ」
ギヤ爺がコラージョの尻尾のような排気管を見ながら言った。
「そういや、その尾も変な金属だったな。伸び縮みするし、盾にもなったよな」
「うん。あれは形状記憶合金」
ミアは頷く。
「この時代でも希少だけど入手できるメモリニウム鉱石。それを古代文明の技術情報で合金化したの。だから電気信号で形状記憶と柔軟変形ができる」
Qじいが続ける。
「ライト部分と口の変形機構も同じ系列じゃな。プロセッサーを収納できる構造にしてある。あれは見事だ」
「それについてはQじいと今、活用方法を検討中なの」
「危険な方向へ伸ばさんようにな」
「ちゃんと考えてるよ」
「その言葉が一番怖い」
コラージョがゴロゴロ鳴る。ミアは少しだけ表情を柔らかくした。
「大丈夫。へへへ、コラージョにも、無茶しすぎるなって言われた」
「今の、そういう意味なの?」
ビアンカが訊く。
「うん。正確には……“心配、でも一緒に行く、置いていくな、でも危ないことは嫌”みたいな感じ」
ビアンカは少し目を細めた。
「それ、本当に言葉に訳せないのね」
「でしょ?うふふ…」
ミアは笑う。だが、そこで少しだけ目を伏せた。
コラージョの人工知能――正確には陽電子頭脳。そこに古代に実在したコラージョの人格が入っていること。
それだけは、まだ言えない。今はまだ。言えば、もっと大きな秘密へ繋がってしまう。
観測者の代理こと古代文明AIアーカイブ管理者。この世界の成り立ちの真実。そして、ミア自身が背負わされた役割。
ミアはその部分だけを胸の奥にしまった。だが、ビアンカは、その沈黙に気づいたようだった。
だが、何も訊かなかった。ミアにとって、それが少しだけありがたかった。
⸻
サムはオープンモードの画面を見ながら、作戦面に話を戻した。
「警戒とコラージョとの通信モードは公聴会当日も使えるか?」
「使えるよ。ただし、観測ノードの通信状態と周囲の蒸気石反応に左右されるかも」
「十分だ。異常反応があれば即時共有してくれ」
「了解」
フローラも頷く。
「コラージョの視界を確認できるなら、護衛配置にも使えるわ。別ルートで議事堂近くまで運ぶ時、倉庫内や車両内の監視にもなる」
「コラージョ自身も見張り役になれるね」
ミアが言うと、コラージョが誇らしげにゴロゴロ鳴った。
「今のは?」
ギヤ爺が訊く。
「“任せろ”」
「本当に言ってんのか?」
「言ってる」
「凄えな…」
ギヤ爺は感心したように唸り、コラージョを見る。
「猫語を話すバイクか…」
「猫語じゃなくて、ゴロゴロ通信」
「余計分からん」
ビアンカが小さく笑った。
「でも、コラージョが何を感じているか分かるなら、戦術上もかなり大きいわね」
「うん」
ミアはコラージョの車体を撫でた。
「コラージョはただの機械じゃない。ちゃんと一緒に考えてくれる」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
それは全員が、もうとっくに分かっていたことだった。けれど、ミアの口から改めて聞くと、その意味が少し重くなった。
サムは短く言う。
「これからは正式に、彼もチームの一員として扱う」
コラージョが低く、深く鳴った。
ミアは耳をぴんと立てた。
「喜んでる」
「それは分かるかも」
ビアンカが言った。今度は全員が少し笑った。
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午後。公聴会前日の最終確認が進む。ディクソンは予定通り別保護場所で証言内容を整理。ヴァレンティ局長は大統領府側で待機している。
ギヤ爺とQじいの証言資料は封緘済み。押収品と爆弾の証拠品は、別ルートで議事堂地下保管庫へ搬入される手筈となった。
安全家屋の中は、静かに熱を帯びていた。ミアはコラージョの警戒モードを再度確認する。
ブレスレットの画面には、自分とコラージョを結ぶ細い光の線が表示されている。
相互リンク、安定。
観測ノード接続、低出力。
危険感知補助、待機。
コラージョ視覚共有、起動可能。
ミアは小さく息を吐いた。
「よし」
ビアンカが隣に来る。
「準備できた?」
「たぶん」
「たぶん?」
「未知の機能が勝手に増えてるから、完全には言い切れない」
「あなたの装備、だいたいそれね」
「うー否定できない」
ビアンカは少し笑う。
「でも、今日ちゃんと話してくれてよかった」
「どこまで話すか迷った」
「まだ話してないこともある?」
ミアはビアンカを見上げた。ビアンカの声は責めていなかった。ただ、確認するような声だった。
ミアは少しだけ黙り、そして言った。
「……ある」
「そう」
「でも、隠したいからじゃないの。まだ、うまく言えない」
ビアンカは頷いた。
「なら、言える時でいい」
「……ありがとう」
「その代わり、危険に関わることは早めに言うこと」
「は-い」
「返事が軽い」
「イエッサー!、伍長殿!」
「よろしい」
二人は少しだけ笑った。
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夕方。フローラはギヤ爺のスキットルをまだ返していなかった。
ギヤ爺は何度か視線で奪還を試みたが、そのたびにフローラに笑顔で封じられた。
「フローラ」
「何かしら」
「せめて匂いだけ」
「駄目」
「厳しすぎるだろ」
「証言が終わるまで」
ミアが横から言う。
「ジジイ、禁酒中のマフィアボスって逆に強そう」
「だからマフィアじゃねえ!」
「でもスーツ似合ってるよ」
「その言い方は信用できんと言っただろ」
「じゃあ、真面目に言うね」
ミアは少し姿勢を正した。
「明日、ジジイの証言、きっと大事になる。だから、ちゃんと格好良くしてて」
ギヤ爺は一瞬、言葉に詰まった。それから、ふんと鼻を鳴らす。
「……分かってる」
フローラが小さく微笑む。
「なら、スキットルは明日まで預かるわね」
「結局そうなるか」
「ええ」
ギヤ爺は諦めたように椅子へ沈んだ。その横でQじいがぼそりと言う。
「終わったら一杯奢ってやる」
「二杯だ」
「一杯半だな」
「ケチくさい爺だな」
「お互い様だ」
そのやり取りに、また少し笑いが起きた。笑えるうちに笑っておく。皆、どこかでそう思っていた。
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夜が近づく。カステルッチの街に灯りがともり始める。議事堂の尖塔が、遠く雨上がりの空に黒く浮かんでいた。
明日、あの場所で真実が語られる。
あるいは、語られる前に消される。
ミアは安全家屋の窓から外を見た。コラージョが背後で静かにゴロゴロと鳴る。その音は、もう機械音には聞こえなかった。
不安。
決意。
一緒に行く。
守る。
置いていくな。
そんな色が、音の中に混ざっている。ミアは振り返り、コラージョに微笑んだ。
「うん。一緒に行こう」
ブレスレットの画面には、警戒モードの小さな光が静かに灯っていた。
いよいよ明日は公聴会。死んだはずの者たちも、沈黙していた罪も、言葉にならないゴロゴロ音も、すべてが明日の議場へ向かっていた。
続く




