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スチームパワード アドベンチャー ミアとビアンカ  作者: ELWOOD CRAFTWORKS
第一章 覚醒と陰謀

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第44話「十年越しの真実」―フォルトゥナの娘


 旧港湾監督局の保管庁舎。


 赤茶けた煉瓦造りの建物の一室で、ミア・デラ・フォルトゥナとエドガー・ディクソンは向かい合っていた。


 十年前、焼け落ちた研究所で一度だけ目を合わせた二人。


 片方は、父を失った八歳の少女。もう片方は、真実を知りながら目を逸らした技術者だった。


 そして今、少女は成長し、自分の足でここに立っている。ディクソンは、ミアの顔を見たまま動けずにいた。


「……君は」


 声がかすれる。


「君は、生きていたのか」


 ミアは静かに答えた。


「うん。死んだことになってたけど、生きてる」


 その言葉は、今の作戦だけの意味ではなかった。


 十年前、父を失った日から。

 父の名を汚された日から。

 ミアの中の何かは、ずっと死んだようになっていた。


 ディクソンは、それを理解しているように顔を歪めた。


 サムは部屋の壁際に立っている。

 ビアンカはミアの少し後ろ。

 フローラは扉の近くで、周囲の気配を警戒していた。


 サムが低い声で言う。


「ディクソン開発部長。ここでの会話は外へ漏らさない。公聴会で証言するかどうかは、あなた自身が決める」


 ディクソンは頷くが、彼の視線はミアから離れない。


 ミアは一歩前に出た。


「聞きたいことがあるの」


「……ああ」


「十年前、お父さんは、本当に事故の責任者だったの?」


 部屋の空気が止まった。ディクソンは目を閉じる。


 長い沈黙。


 その沈黙の中で、ミアは自分の心臓の音を聞いていた。


 怒り。

 恐怖。

 期待。

 そして、十年間抱えてきた問い。


 やがてディクソンは、絞り出すように答える。


「違う」


 ミアの耳が、ぴくりと動いた。


「……じゃあ、誰?」


 ディクソンは唇を震わせた。


「私だ」


 ミアは息を呑んだ。

 ビアンカの表情が硬くなる。

 サムの目も細くなった。


「私が、試験を強行した」


 ディクソンは続けた。


「警告値を超えていた。圧力変動も、冷却系の遅れも出ていた。エンリコは止めた。何度も止めた。それでも私は、成果を急いだ」


 ミアの声が震えた。


「なんで」


 ディクソンは顔を上げられない。


「なんで、そんなことしたの」


「焦っていた」


「それだけ?」


「上からの圧力もあった。予算審査。研究競争。民間企業への対抗。だが、最後に決めたのは私だ」


「お父さんは止めたんだよね」


「ああ」


「じゃあ、お父さんは悪くなかったんだよね」


「ああ」


「みんなを助けたんだよね」


 ディクソンの肩が震えた。


「そうだ」


 ミアは唇を噛んだ。涙が浮かぶ。しかし、その涙はまだ落ちなかった。


「知ってた」


 彼女は小さく言った。


「お父さんは、そういう人だもん」


 ディクソンは深く頭を下げた。


「すまなかった」


 十年前と同じ言葉。だが今度は、逃げるような小声ではなかった。


「君の父を死なせた。名誉を汚した。君と君の母親から、真実を奪った」


 ミアは拳を握る。怒鳴りたかった。泣きたかった。胸の奥で、八歳の自分が叫んでいる。


 お父さんは悪くない。

 嘘つき。

 返して。


 だが目の前の男は、少なくとも今は逃げていなかった。ミアは震える声で訊く。


「なんで黙ってたの」


「怖かった」


 ディクソンは答えた。


「自分の地位を失うのが。技術者として終わるのが。ジュリアードに従えば、開発部を守れると思い込もうとした」


「ジュリアード?」


 サムが反応すると、ディクソンは頷いた。


「当時の研究所長だ。彼が事故原因を整理した。エンリコに責任を押し付ける形で」


「あなたは、それに従った」


 ビアンカの声は冷たかった。

 ディクソンは彼女を見る。


「そうだ」


「彼はあなたを助けたのに」


「そうだ」


「その人の娘に、十年間も嘘を背負わせた」


「……そうだ」


 ビアンカはそれ以上言わなかった。言葉を重ねる必要がないほど、ディクソンはすでに折れている。


 サムが一歩前に出た。


「公聴会で話せますか」


 ディクソンはすぐには答えない。部屋の外で、遠く車輪の音が聞こえた。港湾地区を走る荷馬車か、蒸気トラックだろう。現実の音が、重い沈黙の隙間に入り込む。


 ミアが言った。


「私は、あなたを許すために来たんじゃない」


 ディクソンは顔を上げる。


「許さないと思う。たぶん、ずっと」


「……当然だ」


「でも」


 ミアの声が震える。


「お父さんのことを、嘘のままにしたくない」


 ディクソンの目が揺れた。


「あなたが本当に悪いと思ってるなら、公聴会で話して。十年前のことも、今回のことも。逃げないで」


 部屋は静かだった。ディクソンは、机に手をつく。まるで、立っているだけでも苦しいようだった。


 そして、彼は言った。


「話す」


 その声は小さかったが、はっきりしていた。


「公聴会で、すべて話す。十年前の事故も、ジュリアードの隠蔽も、今回の民営化工作も、私が知る限りすべて」


 フローラが静かにサムを見る。

 サムはわずかに頷いた。


 ミアは何も言わなかった。ただ、涙をこぼした。ビアンカが一歩近づこうとしたが、ミアは小さく手で制した。


 自分で立っていたかった。


「ディクソンさん」


「……何だ」


「お父さんの名前、ちゃんと言って」


 ディクソンは息を詰め、それからまっすぐに言った。


「エンリコ・フォルトゥナは、優れた技術者だった」


 ミアは目を逸らさない。


「慎重で、誠実で、部下を守る人だった。事故の責任者ではない」


 ディクソンの声が震える。


「彼は、私たちを救おうとして死んだ」


 ミアは両手で顔を覆った。十年分の何かが、静かに崩れた。



 面会のあと、ディクソンはフローラの手配で別室へ移された。公聴会までの間、彼は情報局の保護下に置かれる。


 ジュリアードにも、アーリア・インダストリー側にも、彼が何を話すつもりなのかはまだ知られていない。その沈黙が、最後の武器になる。


 ミアは庁舎の裏手に出ていた。そこにはコラージョもいる。黒い猫のような車体を、倉庫の薄暗い灯りが照らしている。


 ミアはそっと額を車体に当てると、コラージョは低くゴロゴロと鳴った。


 ビアンカが少し離れて立っている。


「大丈夫?」


 ミアは首を横に振った。


「大丈夫じゃない」


「そう」


「でも、聞けた」


「うん」


「お父さん、悪くなかった」


「うん」


 ミアは顔を上げた。涙で目は赤い。だが、その奥には、強い光があった。


「ビアンカ。公聴会、出る?」


「もちろん私も見届ける」


 ビアンカは頷いた。


「あなたの隣にいるわ」


 その言葉に、ミアは小さく笑った。


「最近、ビアンカずっと隣にいてくれるね」


「あなたが危なっかしいからよ」


「それだけ?」


 ビアンカは少しだけ黙る。


「……それだけじゃないわ」


 ミアはそれ以上聞かなかった。それで十分だった。



 その頃、カステルッチ市内では、エルンスト・ヴァイスが別の指示を出していた。場所は高級ホテルの裏口に停められた黒い車の中。


 運転席にはアーリア系列企業の男、後部座席にエルンストが座っている。窓の外では、雨が降り始めていた。


「対象は二つだ」


 エルンストは淡々と言った。


「ミア・デラ・フォルトゥナ、そして猫型のスチームバイク」


 助手席の男がメモを取る。


「娘の方は殺るんですか?」


「違う、確保だ。可能な限り生きたまま」


「抵抗された場合は?」


「娘は傷つけすぎるな。技術者としての価値がある。バイクも破壊するな。あれは中身が本体だ」


「護衛は?」


「国家保安情報局。ウエストレイク。元海兵の女と犬族の女エージェント。老人技師二名」


 男が顔をしかめる。


「厄介ですね」


「だから正面から行くな」


 エルンストは静かに言う。


「公聴会前に大きな騒ぎは避ける。狙うなら移動時、分断時、あるいは避難時だ」


「ディクソンは?」


「別班が監視する。彼が公聴会で余計なことを話す前に、口を閉じさせる方法を探れ」


「事故に見せかけますか」


 エルンストは窓の雨を見た。


「その手は使い古されている」


 わずかに笑う。


「だが、人は恐怖で黙ることもある」


 車内に沈黙が落ちた。エルンストは最後に付け加えた。


「いいか忘れるな。可能な限り、あくまで生きたまま確保するんだ」


「了解しました」


 車は雨の中を静かに走り出した。



 夜。国家保安情報局の安全家屋では、ディクソンの証言計画が練られていた。


 地下作戦室の机には、資料が広げられている。


 十年前の研究所事故資料。北方採掘場での増幅路暴走事故資料。列車襲撃事件の調査報告書。蒸気石輸送船事故の押収品分析。飛行艇爆破工作の証拠品。


 ジュリアードとアーリア・インダストリー関係者の接触記録。フローラが追跡したエルンストとエレンの動き捕らえられた内部協力者の供述。


 Qじいは押収品の分析結果をまとめ、ギヤ爺は北方採掘場の増幅路暴走事故について証言内容を確認していた。


 ギヤ爺は、例のスーツを着たまま腕を組んでいる。七三分けにされた髪型は、本人がオールバックにした。


 ミアはそれを見て、また少し笑った。


「ジジイ、ますますボスっぽい」


「まだ言うか」


「公聴会で『ファミリーを守る』とか言いそう」


「言うか!」


 Qじいがぼそりと言う。


「でも似合っとるぞ、ハンス」


「お前まで言うな」


 少しだけ笑いが起き、ミアも笑った。さっきまで泣いていた目はまだ赤かったが、それでも笑えた。ビアンカはその横顔を見て、少し安心する。


 サムは資料から顔を上げる。


「明日からは外部接触をさらに絞る。ディクソンは別の保護場所へ移し、ミアとコラージョには専属護衛を付ける」


「私、ずっと見張られるの?」


「狙われている」


「分かってるけど」


「かなり分かっている、って言ってたな」


 ミアは少し気まずそうに目を逸らした。


「今は、かなり以上に分かってる」


「ならいい」


 フローラが資料を整理しながら言う。


「エルンストは必ず動くわ。彼らが欲しいのは、証拠の破壊だけじゃない。ミアとコラージョの確保も含まれている」


 ビアンカの目が鋭くなる。


「来るなら、迎えるだけよ」


「無茶はするな」


 サムが言う。


 ビアンカは涼しい顔で返した。


「あなたに言われたくないわ」


「なぜだ」


「自覚ないのね」


 フローラが小さく笑った。


「主任は昔からそうよ。自分の無茶は作戦判断、他人の無茶は問題行動」


「便利な分類だね」


 ミアが言う。


「違う」


 サムは短く否定した。少しだけ、場の空気が緩む。だが、その下には明確な緊張があった。


 公聴会まで、あと三日。


 ディクソンは証言を決めた。

 ミアは父の真実を知った。

 ジュリアードはまだ、その変化を知らない。

 アーリアはミアとコラージョを狙っている。


 盤上の駒は、静かに並び始めていた。



 深夜、安全家屋の二階でミアは眠れずにいた。ベッドに横になっても、目を閉じると父の顔が浮かぶ。


 優しく笑う父。

 図面を見せてくれた父。

 手を煤で汚して帰ってきた父。

 そして、白い布の下にいた父。


 だが、今夜はその記憶の端に、別の言葉があった。


 エンリコ・フォルトゥナは、事故の責任者ではない。彼は、私たちを救おうとして死んだ。


 ミアは布団の中で、声を殺して泣いた。


 隣の部屋では、ビアンカが起きている。泣き声に気づいていたが、部屋へは入らなかった。今は、ミアが一人で泣く時間も必要だと思ったからだ。


 けれど、扉の前には座っていた。何かあれば、すぐに入れるように。


 カステルッチの夜は静かだった。だが、その静けさにはイーストウォールとは違うものがあった。


 波の音ではなく、馬車と蒸気車の遠い車輪の音。潮風ではなく、石畳に溜まった雨の匂い。そして、街のどこかで誰かが刃を研いでいるような気配。


 公聴会まで、あと三日。


 死んだはずの者たちは戻った。沈黙していた罪は、声を持とうとしている。そして敵もまた、その声を消すために動き出していた。


続く

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