第41話「後悔」―技術者としての葛藤
公聴会の日程が正式に決まった。
一週間後に首都カステルッチの共和国議事堂、特別公聴会場で開かれる。
北方採掘場での増幅路暴走事故及び蒸気石輸送船事故に関する調査結果、資源管理局の責任、そして民営化の是非を問う場として、国内外の注目が集まることになった。
表向き、事故船を調査したローマン陸軍航空隊所属の飛行艇は消息不明のまま。
国家保安情報局の特命チームも、生死不明。だが、イーストウォール諸島北部の中継基地では、彼らは確かに生きていた。
その報せを、今サムは通信室でバーナード局長からの暗号通信で受けている。
『公聴会は一週間後だ』
「了解しました」
『君達は三日前にカステルッチへ戻る。移動は極秘。海路を使う』
「空路ではなく?」
『飛行艇は墜ちたことになっている。空を飛ばすわけにはいかん』
「確かに」
『それと、世論だが――かなり悪い』
バーナードの声が低くなる。
『資源管理局の民営化に傾いている。新聞、経済紙、議会筋、どこも“官僚管理の限界”を論じ始めた』
「アーリアの宣伝工作ですね」
『その通りだ。しかも国内にも協力者がいる』
通信の向こうで、紙をめくる音がした。
『民営化推進派の上院議員。政府関係者。資源管理局内部。そして、残念ながら情報局内部にもだ』
サムの表情が硬くなる。
「名前は?」
『絞り込み中だ。だが何人かは浮いてきた』
「こちらの生存情報は?」
『漏れていない。今のところはな』
「なら、まだ使えます」
『ああ。死んだふりは続行だ』
通信が切れたあと、サムはしばらく無言で座っていた。
公聴会まで一週間。戦場は、議場へ移ろうとしていた。
⸻
その頃、カステルッチでは別の動きがあった。
夕暮れの駅前広場。
大きな帽子を目深に被った男が、タクシー乗り場の影に立っていた。
エルンスト・ヴァイス。
その少し離れた場所に、旅行鞄を持つ女がいた。
エレン・シュミット。
表向きは通信社記者。しかし本当は、デアベルドミッテ国防軍情報部の少佐。
二人は互いに目を合わせないまま、別々のタクシーに乗り込んだ。
行き先は同じ。資源管理局局次長、ジュリアードの私邸だった。
その動きを遠くから見ている者がいた。
長身で細身の犬族の女性。黒毛のロングヘアを帽子の下へまとめ、新聞売りに扮している。
フローラ・ダルトン。
国家保安情報局のエージェントであり、サムが個人的に信頼している数少ない人物だった。
彼女は新聞束を抱えたまま、小さく呟いた。
「来たわね」
すぐ近くにいた少年新聞売りが不思議そうに見る。
「お姉さん、何か言った?」
「いいえ。今日の夕刊、少し多めにもらっていい?」
「いいよ」
フローラは硬貨を渡し、さりげなく通りの向こうを見た。
ジュリアードの屋敷へ向かうタクシーが、夕闇の中へ消えていく。
彼女はその後を、歩き出した。
⸻
資源管理局長リカルド・ヴァレンティは、猫族の男。
小柄だが背筋はまっすぐで、白い口髭と鋭い目を持つ。長年、資源管理局を支えてきた実務型の官僚であり、政治的駆け引きよりも現場の規律と安全を重んじる人物だった。
その彼が、大統領府の執務室に呼ばれた。
部屋には、ウィリアム・マーティン大統領、バーナード局長、セルジオ・リメンタニ国防大臣がいる。
ヴァレンティは椅子に座る前に、深く頭を下げた。
「このたびの事故について、資源管理局長として責任を痛感しております」
マーティン大統領は静かに言う。
「責任を問うためだけに呼んだのではありません、ヴァレンティ局長」
バーナードが一枚の資料を机に置いた。
「局次長ジュリアードについてです」
ヴァレンティの耳がわずかに動く。
「……やはり、彼ですか」
「心当たりが?」
リメンタニが問う。
ヴァレンティは苦く笑った。
「民営化への傾倒。外部資本への過度な期待。局内人事への不自然な介入。疑いはありました。ですが、証拠はなかった」
「公聴会で、彼はあなたを切り捨てに来ます」
バーナードが言う。
「現体制の怠慢、技術開発の遅れ、予算不足、管理不備。すべてをあなたと局長室へ集約させるつもりです」
「でしょうな」
ヴァレンティは静かに目を閉じた。
「彼は昔から、自分だけは沈まない船に乗っているつもりでした」
マーティン大統領が身を乗り出す。
「公聴会では、あなたの証言が重要になります。事故を隠すのではなく、管理局の実態、予算、安全基準、そしてジュリアードの不自然な動きを正確に話していただきたい」
「承知しました」
ヴァレンティは即答した。
「ただし、閣下。私は自分を守るために証言するつもりはありません」
「では、何のために?」
「現場の技師と作業員のためです」
老いた猫族の局長は、静かに言った。
「彼らは限られた予算と古い設備の中で、それでも安全を守ろうとしてきました。局の欠点はあります。改革も必要でしょう。ですが、だからといって外国資本に丸ごと売り渡す理由にはならない」
バーナードはわずかに頷いた。
「その言葉を、公聴会でもお願いします」
「もちろんです」
ヴァレンティの目が鋭くなる。
「ジュリアードには、局の名を利用した責任を取らせます」
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同じ夜。開発部長ディクソンは、自宅の書斎で一枚の紙を握りしめている。
それは、ある情報筋から届けられた断片的な報告だった。
国家保安情報局の臨時協力者。
ミア・デラ・フォルトゥナ。
事故船調査に同行。
現在、飛行艇とともに消息不明。
その名を見た瞬間、ディクソンは椅子から立ち上がれなくなった。
「……フォルトゥナ」
十年前。その名前は、彼の人生に深く刻み込まれていた。
エンリコ・フォルトゥナ。
資源管理局開発部主任研究者。優れた技術者であり、人望も厚かった男。
そして、ミアの父。
ディクソンは彼と同期だった。
野心家だった自分とは違い、エンリコは慎重で、穏やかで、だが技術に対しては誰よりも厳しかった。
互いに競い、互いに認め合っていた。あの日までは。
⸻
十年前。ネオ・ジェノバ、資源管理局開発部研究所。
初期型リアクターの試験室には、緊張が満ちていた。
蒸気石から取り出した高密度エネルギーを、従来の蒸気核より安定した動力へ変換する新型リアクター。
成功すれば、資源管理局の技術開発は大きく前進する。
失敗すれば、研究予算は削られる。
当時のディクソンは焦っていた。
上層部からの圧力。
早く成果を出せ。
他国に遅れるな。
民間企業に主導権を渡すな。
その圧力は、当時研究所長だったジュリアードからも降ってきた。
「今日、やるべきだ」
ディクソンは制御卓の前で言う。エンリコは警告値を見つめ、首を横に振った。
「駄目だ。圧力変動が想定より大きい。冷却系も追従していない」
「補正できる」
「できない。数字がそう言っている」
「今止めたら、次の予算審査に間に合わない」
エンリコはディクソンを見た。
「予算審査と人命を同じ天秤に乗せるな」
その言葉に、ディクソンは腹を立てる。焦り、嫉妬、恐怖。そして、自分なら制御できるという傲慢。
彼は安全策を無視し、試験を強行した。
数分後。リアクターは警告値を超えた。
制御不能。
蒸気配管が破裂し、試験室に白い高圧蒸気が吹き荒れる。
誰かが叫ぶ。
次の瞬間、爆発。
研究所の一角が炎に包まれた。
ディクソンは倒れ、意識が朦朧としていた。その中で彼は見た、炎の中へ飛び込んでくるエンリコの姿を。
「動ける者はこっちへ!」
エンリコは部下を引きずり出し、ディクソンの腕を掴んだ。
「立て、ディクソン!」
「……エンリコ」
「死にたいのか!」
彼はディクソンを押し出した。その直後、奥の反応室で新たな爆発が起きた。
炎が廊下を呑み込む。
エンリコは戻らなかった。
⸻
事故後。ジュリアードは静かに言った。
「責任者が必要だ」
ディクソンは包帯だらけの腕で、病室の椅子に座っていた。
「……私です」
「違う」
ジュリアードは首を横に振る。
「君ではない。君が潰れれば開発部も潰れる」
「ですが、試験を強行したのは私だ」
「それを証明できる者は?」
ディクソンは何も言えなかった。
「エンリコ・フォルトゥナは主任研究者だった。試験計画書にも彼の名がある。彼が安全基準を誤ったことにすれば、事故は整理できる」
「彼は……私たちを助けた」
「死人は反論しない」
その言葉に、ディクソンは目を見開く。ジュリアードは淡々と続けた。
「君は生きている。生きている者には仕事がある。開発部を守れ。技術を進めろ。それが彼の死を無駄にしない唯一の道だ」
それは詭弁だった。だが、当時のディクソンは弱かった。
恐怖に負けた。
保身に負けた。
そして、エンリコの名を汚した。
新聞はこう書いた。
主任研究者エンリコ・フォルトゥナ、安全確認を怠り事故を招く。
ディクソンは何も言わなかった。
言えなかった。
⸻
数日後。
研究所の焼け跡に、一人の少女が現れた。
八歳のミア・デラ・フォルトゥナ。目を真っ赤に腫らし、小さな拳を握りしめていた。
「お父さんは悪くない!」
彼女はディクソンに向かって叫んだ。
「お父さんは、そんなことしない! 絶対しない!」
ディクソンは動けなかった。
周囲の職員が少女を止める。
「帰りなさい」
「違う! お父さんはみんなを助けたんだもん!」
その言葉に、ディクソンの胸が潰れそうになった。
彼は彼女を見下ろした。
エンリコに似た目だった。
真っ直ぐで、許さない目。
ディクソンは小さく言った。
「……すまない」
ミアには聞こえたかどうか分からない。職員に連れ出される少女の背を、彼はただ見ていた。
⸻
現在。ディクソンは書斎で、震える手を見つめていた。
十年前、自分は一人の男を殺した。そして、その娘から父の名誉まで奪った。
今、その娘がまた、事故と陰謀の中心にいる。しかも、消息不明。
「……私は」
ディクソンは呻くように言った。
「また、フォルトゥナを殺したのか」
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。彼は顔を上げた。訪ねてきたのは、見知らぬ女性だった。
長身で細身。
黒毛のロングヘア。
犬族。
彼女は穏やかに微笑む。
「ディクソン開発部長ですね」
「……あなたは?」
「事故調査委員会のフローラ・ダルトンと申します。公聴会に関して、少しお話を伺えればと」
もちろん、偽名ではない。だが、身分は偽っていた。
フローラは静かに頭を下げる。
ディクソンは彼女を警戒しながらも、なぜか追い返すことができなかった。
彼女の目は責めるための目ではなく、見抜くための目をしている。
続く




