第40話「少年兵」―イーストウォール紛争の記憶⑤
ビアンカの自室には、まだカンノーリの甘い匂いが残っていた。
机の上には、開かれた紙包みが二つ。
片方はビアンカの前に。
もう片方はミアの前にある。
食堂でもらった素朴な菓子。
それは今、この小さな部屋の空気を、四年前のサンタマリアへと静かに繋いでいた。
ビアンカは、しばらく窓の外を見ていた。
イーストウォールの夜は深い。
風は強いが、基地の厚い壁の内側までは入ってこない。
それでもビアンカには、あの島の風が頬を撫でるような気がしていた。
「街を解放したところで、全部が終わったわけじゃなかった」
彼女は静かに言った。
ミアは何も言わず、両手でカンノーリを持ったまま、じっと聞いている。
「むしろ、その後の方が厄介だった」
ビアンカは小さく息を吐く。
「サンタマリアには、まだ大勢の住民が残っていた。老人、子ども、怪我人、病人。逃げたくても逃げられなかった人たちもたくさんいた」
「避難させたの?」
「ええ。私たち第一大隊は、住民を島の北にある港町まで避難させることになった。そこから船で安全な島へ移す予定だった」
ビアンカは手元のカンノーリを見つめた。
「でも、敵もそれを黙って見ているわけじゃなかった」
そして、再び過去へ沈むように語り始めた。
⸻
サンタマリア解放後。
南イーストウォール本島の空気は、勝利の後とは思えないほど重かった。
ピエトロ王国軍は島の南端へ退いた。だが完全に崩壊したわけではない。
南方から補給船が入ったという情報があった。
そこには弾薬、食料、そして増援部隊が乗っていたらしい。
敗走した敵は、南端で体勢を整えつつある。
一方、ローマン共和国側も決して余裕があるわけではなかった。
サンタマリアと周辺村落から避難させるべき住民は、およそ三万人。それに必要な食料、水、医薬品、毛布、輸送手段。
すべてが足りなかった。
さらに悪天候が続いた。
補給船の到着は遅れ、陸軍航空隊の航空機は思うように飛べない。戦車も燃料と整備部品の不足で、充分には動かせなかった。
あれほど圧倒的に見えた新兵器も、補給が途切れればただの鉄の塊になる。
戦争は勝った側にも腹を空かせる。
ビアンカはそのことを、そこで知った。そして、さらに悪い知らせが入った。
ピエトロ王国軍の一部増援部隊が、島の東海岸へ上陸したとの事だ。
規模は大きくない。
だが、その中には戦闘工兵部隊が含まれている可能性があるという。
彼らの目的は、正面から戦うことではない。
橋梁爆破。
鉄道補給線の切断。
トンネルの破壊。
道路の寸断。
つまり、避難と補給そのものを止めることだった。
サンタマリアの住民避難には、鉄道が使われることになっていた。
街から北の港町まで伸びる鉄道。
その途中には、いくつかの橋と短いトンネルがある。
どれか一つでも落とされれば、避難列車は止まる。
そして列車が止まれば、三万人の住民は戦場の中に取り残される。
ビアンカたちの中隊には、橋梁とトンネルの警戒任務が与えられた。
小隊ごとに担当区画が割り振られ、鉄道線路と道路沿いの重要地点を監視する。
ビアンカの小隊が重点警戒を命じられたのは、サンタマリアから北へ二十キロほど離れた鉄道橋だった。
深い谷に架かる鋼鉄の橋。
下には細い川が流れている。
周囲は森と斜面に囲まれ、身を隠すには都合が良い。
敵の東海岸上陸の情報はあった。
しかし、そこからこの橋までは距離がある。
付近に敵が入り込んだという確かな情報は、まだなかった。
だから小隊長は、最初に周囲の下見を命じた。
「アンドリーニ伍長」
「はい」
「マンシーニを連れて、鉄橋を見渡せる狙撃拠点を確認してこい」
小隊長は地図を広げ、谷を指で叩いた。
「敵はまだこの辺りにはいないはずだ。だが、もし何か見つけても交戦するな。確認次第、すぐ戻って報告しろ」
「了解」
ビアンカは頷く。
隣でポーリー・マンシーニが短機関銃を肩に掛け直した。
「下見だけっすね」
「そう。下見だけ」
ビアンカはそう言った。
その時は、本当にそう思っていた。
⸻
鉄橋を見下ろせる場所を探すのは、難しくなかった。
谷の東側斜面に、古い石垣の跡があった。かつて農道か見張り道だったのだろう。
そこから少し上へ登ると、鉄橋全体と対岸の橋脚、さらに南側の線路が見渡せた。
狙撃拠点としては悪くない。
ビアンカは腹ばいになり、双眼鏡で周囲を確認する。
「ここなら見えるわね」
ポーリーも隣で覗き込む。
「視界良好っす。風もそこまで悪くない」
「敵がいなければ、ただの良い場所ね」
「敵、いないっすよね?」
「そう願いたいわ」
その時だった。
橋の下、北側の橋脚付近で何かが動いた。
ビアンカは息を止める。
「ポーリー」
「見えました」
二人は同時に伏せ直した。
橋の影から、三つの人影が現れる。
ローマン兵ではない。
制服の色が違う。
ピエトロ王国軍。
一人は小型の箱のようなものを持っていた。起爆器に見える。
もう一人は、配線が巻かれたリールを肩に担いでいる。
そして三人目は、木箱をロープで肩に掛けていた。重そうな歩き方からして、中身は工具ではない。
爆薬。
ビアンカはすぐに理解した。
「……戦闘工兵」
ポーリーの顔色が変わる。
「まずいっす。戻りましょう。小隊長に報告を――」
ビアンカは鉄橋を見た。
それから、懐中時計を確認する。
サンタマリアから北へ向かう避難列車。予定通過時刻はあと二十分ほど。
今戻れば、小隊が駆けつけるまでに間に合わないかもしれない。敵は今まさに爆薬を仕掛けようとしている。
橋が落ちれば、列車は運行が出来なくなる。
最悪、橋の上を通過する直前に爆破される可能性もある。
乗っているのは兵士ではない。避難民だ。
ビアンカは短く言った。
「ポーリー、戻って」
「え?」
「あなたが戻って小隊長に報告して。私はここに残る」
「駄目です!」
ポーリーは即座に言った。
「一人で残るなんて無茶っす!」
「命令よ」
「伍長!」
「マンシーニ兵長」
ビアンカは声を低くした。
「これは上官命令。小隊へ戻り、敵工兵三名確認、鉄橋爆破準備中と報告。増援を要請して」
ポーリーは唇を噛んだ。
「でも、伍長は」
「私は時間を稼ぐ」
「それ、撃つってことっすよね」
「必要なら」
「交戦するなって命令が――」
「状況が変わった」
ビアンカは敵から目を離さない。
「行って」
ポーリーはまだ一瞬迷った。
だが、軍隊では命令が優先される。
彼もそれを知っていた。
「……絶対、無茶しないでください」
「あなたに言われたくないわ」
「すぐ戻ります」
ポーリーは短機関銃を抱え直し、斜面を駆け下りていった。
ビアンカは一人になった。
呼吸を整える。
敵は三名。
どうやら援護は本当にいない様だ。
起爆器を持つ者。
配線リールを担ぐ者。
爆薬箱を持つ者。
まず起爆器を持つ兵士を狙うべきだ。
ビアンカはスコープを覗く。
いた。
だが、その男はすぐに茂みの中へ入ってしまった。木々が邪魔で、狙えない。
「……くそ」
ビアンカは狙いを変えた。
先頭を行く、爆薬箱を抱えた兵士。
彼が橋脚へ近づいている。
まだ開けた場所にいる。
距離。
風。
呼吸。
頭の中で父の声がした。
『一度撃った弾は、二度と戻らない。』
ビアンカは引き金を絞った。
銃声。
爆薬箱を抱えた兵士が倒れた。
残る二人が反応する。
起爆器の男はさらに茂みの奥へ身を隠した。
そして、配線リールを担いでいた小柄な兵士が、倒れた兵士へ駆け寄る。
逃げるかと思ったが違った。
その兵士は倒れた男の爆薬箱を掴み、代わりに肩へ掛けると、橋へ向かって走り出したのだ。
(止まって…)
ビアンカは狙いをつける。
撃つ。
外れた。
兵士は身を低くして走り、まるで弾が来る方向を読んでいるようにかわす。
二発目。
鉄骨に火花が散る。
小柄な兵士は橋脚へ取りつき、驚くほど素早く鉄骨を登り始めた。
ビアンカは舌打ちをした。
焦ってはいけない。
待つ。相手が身体を出す瞬間を待つ。
スコープの中で、鉄骨の間に影が動く。
そして、顔が見えた。
ビアンカの指が止まった。
子どもだった。
どう見ても、十二か十三歳ほどにしか見えない。
大きすぎるヘルメット。
泥で汚れた頬。
痩せた肩。
必死に歯を食いしばった口元。
ピエトロ王国軍では、十五歳以上の男性は志願できる。
だが若年兵は、少なくとも入隊後二年は戦場へ出さない。
父からそう聞いていた。
だが同時に、別の話も聞いていた。
徴兵制から志願制へ移行したピエトロ王国軍は、慢性的な兵員不足に悩んでいる。
年齢確認が曖昧なまま、若すぎる志願者が部隊に混じることがある。
戦争は、規則より先に人を食う。
ビアンカは撃てなかった。
その少年兵は、橋の下部へ爆薬を固定し始めた。
手際は未熟だが、動きは必死だった。電気雷管を差し込み、配線を伸ばす。リールから線を引きながら、下へ降りようとしている。
列車の時刻が迫っている。
ビアンカは時計を見なくても分かった。もう、ほとんど時間がない。
撃たなければ橋が落ちる。橋が落ちれば列車が止まり、乗っている住民が危険に晒される。
だが、撃てば。
撃てば、あの子が死ぬかもしれない。
ビアンカは歯を食いしばった。
「……手を狙う」
殺さない。
致命傷を避ける。
鉄橋の下、二メートルほどの高さまで降りたところで、少年兵の手元が見えた。
配線を握る手。
そこを撃てば、落とせる。
爆破作業は止まり、命は助かるかもしれない。
ビアンカは狙った。
呼吸。
照準。
撃つ。
銃声。
弾は少年兵の手元ではなく、鉄骨に当たった。
少年兵の身体が揺れる。
次の瞬間、彼は鉄橋から落ちた。
二メートルほど下の地面へ、鈍い音を立てて落下。
ビアンカはスコープを覗き込んだ。
「お願い起きて……」
少年兵は、むくりと上半身を起こした。
ビアンカは息を吐く。
助かった。
そう思った。
だが、次の瞬間。
少年兵は血を吐いた。
彼の胸に、赤い染みが広がっていた。
鉄骨の跳弾が当たっていたのだ。ビアンカは愕然としながら、スコープから目を離せなかった。
少年兵が何か叫んでいる。
ピエトロ語。
ビアンカは完全には分からない。
けれど、その言葉だけは理解できた。
叫び方、口の形で分かった。
『お母さん!!』
少年兵はそう叫びながら、ばったりと後ろへ倒れた。
そして、動かなくなった。
その直後。鉄橋を、汽車が通過する。
ビアンカははっとして、スコープを汽車へ向けた。
客車の窓。
そこには、少年兵と同じくらいの年頃の男の子が、母親らしき女性と笑顔で会話しているのがはっきりと見える。
避難列車の中で、ほんの一瞬だけ安心した顔をしていた。
鉄橋は落ちなかった。
列車は無事に通過。
住民は救われた。
そう思ったのと同時に、頭の中で、別の言葉が何度も繰り返された。
『私は、敵の兵士を撃った』
『私は、同胞の少年兵を撃った』
『私は、父と同胞の父親の息子を殺した』
『私は、母と同胞の母親の息子を殺した』
そして、父の声が聞こえた。
『一度撃った弾は、二度と戻らない』
「……長!」
遠くで誰かの声がする。
「伍長!」
体が揺さぶられる。
「アンドリーニ伍長!」
ポーリーの声。
ビアンカは、ようやく息を吸う。
目の前にポーリーがいた。
顔が真っ青だ。
「伍長、大丈夫っすか!?」
周囲には小隊の兵士たちがいる。
起爆器を持っていた敵兵は、両手を上げて投降していた。
橋は無事だった。爆薬は処理され、列車は無事通過。任務は成功した。
ビアンカはライフルを握ったまま、ただその場に座り込んでいた。
ポーリーが何かを言っている。
小隊長も何かを言っている。
だが、その声は遠かった。
彼女の耳にはまだ、少年兵の最後の叫びだけが残っている。
⸻
ビアンカの自室。
部屋は静かだった。
通信機の低い唸りも、廊下の足音も、今は遠い。
ミアは泣いていた。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、何も言わずに椅子から立ち上がる。
そして、ビアンカに歩み寄った。
「ミア……」
ビアンカが言いかける前に、ミアは小さな身体でビアンカを抱きしめた。
力は強くない。けれど、必死だった。
ビアンカの手が、宙で止まる。それから、ゆっくりとミアの背に回った。
「……泣かないで」
ビアンカが言う。
だが、その声は震えていた。
「泣くよ」
ミアはぐしゃぐしゃの声で言った。
「そんなの、泣くよ」
ビアンカは目を閉じる。
気づけば、自分の頬にも涙が流れていた。
長い間、誰にも言わなかったこと。
勲章の裏側に隠れていたこと。
勝利の中に混じっていた、戻らない一発の弾丸。
それが今、初めて誰かの腕の中に置かれていた。
「……続きがあるの」
ビアンカは、涙を拭わずに言った。
ミアは顔を上げる。
「聞く」
「辛い話よ」
「聞く」
ミアは迷わなかった。
ビアンカは小さく頷く。
⸻
その後も、戦闘は続いた。
いくつかの小さな衝突。
夜襲。
砲撃。
撤退戦。
だが、戦局はローマン共和国側へ傾いていた。
ピエトロ王国軍は補給線を維持できず、海上でも劣勢となった。やがて彼らは、イーストウォール諸島から撤退した。
ローマン共和国の勝利。
新聞はそう書いた。
英雄的な海兵隊。
救われた住民。
若き狙撃手アンドリーニ伍長の活躍。
ビアンカはその言葉を読んでも、何も感じなかった。
戦場から戻った彼女は、ハートマン海兵隊基地で式典に参加する事に。新しく当選したばかりのウィリアム・マーティン大統領が基地を訪問し、イーストウォール紛争での功績を称えた。
その中で、ビアンカは大統領勲章を授与された。
「アンドリーニ伍長。あなたの勇気と判断は、多くの市民の命を救いました」
大統領はそう言った。
ビアンカは敬礼する。
周囲では拍手が起きた。
だが、胸に勲章が付けられた瞬間、彼女が思い出したのは避難列車の窓ではなかった。
少年兵の顔だ。
『お母さん』と叫んだ、あの顔だった。
任期満了が近づいた頃、小隊長に呼ばれる。
「アンドリーニ伍長。士官学校に進む気はないか」
小隊長はそう言った。
「お前には適性がある。判断力もある。兵を率いる側へ行ける」
ビアンカはしばらく黙っていた。
そして首を横に振る。
「お断りします」
小隊長は驚かず、ただ静かに訊いた。
「少年兵を撃ったことを後悔しているのか」
ビアンカは即答した。
「いいえ」
その答えに、小隊長の目がわずかに動いた。
「後悔はしていません」
ビアンカは続けた。
「あの時、撃たなければ列車が危なかった。橋が落ちれば、もっと多くの住民が死んだかもしれない。だから、判断そのものを後悔してはいません」
「なら、なぜ辞める」
ビアンカは少しだけ視線を落とした。
「撃ったあと、私は動けなくなりました」
小隊長は黙って聞いている。
「もし、あれが別の局面だったら。私が呆然としている間に、仲間が撃たれていたかもしれない。部隊が危険に晒されていたかもしれない」
彼女は拳を握る。
「軍人として、あってはならないことです」
「人間としては自然なことだ」
「でも、戦場では命取りです」
ビアンカは静かに言った。
「私は、また同じことをするかもしれない。それが怖いんです」
小隊長は長く黙っていた。
やがて、短く言う。
「分かった」
それ以上、引き止めなかった。
そして除隊の日。
ポーリーが門のところで待っていた。
「伍長」
「もう伍長じゃないわ」
「自分にとっては、ずっと伍長っすよ」
ポーリーは少し笑った。
「自分も、任期が終わったら除隊します」
「あなたは向いてると思うけど」
「いやあ、甘いもの配ってる方が向いてる気がします」
その言い方に、ビアンカは久しぶりに少し笑った。
「また会いましょう」
「そうね、必ず」
ポーリーは敬礼した。
ビアンカも敬礼を返す。
そして彼女は、ハートマン海兵隊基地を後にした。
胸には勲章。
背には、戻らない一発の弾丸。
そして心のどこかに、まだ帰ることのできない戦場を残したまま。
⸻
回想が終わったあと、しばらく二人は黙っていた。
ミアはまだ、ビアンカのそばにいた。目元は赤いけれど、視線はまっすぐだった。
「ビアンカ」
「なに?」
「神様は、きっと許すと思う」
ビアンカは少しだけ目を見開いた。
ミアは続けた。
「その時、ビアンカは列車の人たちを守ったんだと思う。撃たなかったら、もっとたくさんの人が死んだかもしれない」
ビアンカは何も言わない。
「でも」
ミアの声が小さくなる。
「ビアンカ自身は、きっと自分を許さないんだよね」
ビアンカは目を伏せた。
長い沈黙のあと、静かに頷いた。
「……そうね」
「ずっと?」
「ずっと」
ビアンカは言った。
「あの少年兵のことは、背負っていくって決めてる」
「一人で?」
ミアが訊く。
ビアンカは答えなかった。
ミアは少しだけ眉を寄せる。
「一人だけで背負わないで」
「ミア」
「私じゃ全部は分からない。戦場にいたわけじゃないし、ビアンカの代わりにもなれない。でも、隣にいることはできる」
ミアはビアンカの手を握った。
「だから、一人だけで背負わないで」
ビアンカはその手を見つめた。
小さな手だった。
けれど、不思議なくらい温かかった。
「……あなたは、本当に妙なところで強いわね」
「小さいけど強いよ」
「それも自分で言うのね」
二人は少しだけ笑った。だが、その笑いはすぐ静かになった。
ミアは迷いながらも、言った。
「ビアンカ、その話……両親には?」
ビアンカの表情がわずかに硬くなる。
「話してない」
「お父さんにも?」
「ええ」
ビアンカは窓の外を見る。
「今も、父とは微妙なの。海兵隊に入った時から、ずっと」
「帰ってから、話したことは?」
「必要なことだけ」
「そっか」
ミアは少し考えた。そして、ゆっくりと言う。
「一度、ちゃんと話した方がいいと思う」
ビアンカはすぐには答えなかった。
「簡単に言うわね」
「簡単じゃないのは分かってる」
「本当に?」
「たぶん…全部は分かってない」
ミアは正直に言った。
「でも、お父さんは戦場を知ってるんでしょ。ビアンカが何を背負ってるか、少しは分かる人かもしれない」
ビアンカの目が揺れる。
「……父は、私に見せたくなかったのよ」
「うん」
「私は、それを見に行った」
「うん」
「そして、戻ってきた。でも、戻ってきてその話をしていない」
ビアンカは苦く笑った。
「ずるいわね、私」
「怖かったんだよ」
ミアは言った。
「それは、ずるいとは違うと思う」
ビアンカは答えなかった。
窓の外、イーストウォールの夜は深い。遠くで波が崖を叩いている。
ビアンカは机のカンノーリの紙包みを見た。甘い菓子。戦場で初めて、自分が疲れていると教えてくれた味。
そして今、目の前にはミアがいる。
小さくて、無茶で、優しくて、時々驚くほど核心を突いてくる相棒。
「……考えておくわ」
ビアンカは言った。
ミアは頷いた。
「うん。それでいい」
ビアンカは少しだけ笑う。
「今日はずいぶん大人ね」
「いつも大人だよ」
「それは違う」
「ひどい」
少しだけ、いつもの空気が戻った。けれど、その夜の会話は、二人の間に確かに残った。
少年兵の叫び。
父の言葉。
大統領勲章。
そして、話されないままだった家族との距離。
ビアンカはまだ、自分を許すつもりはない。だが、初めて思った。もしかしたら、背負い方を変えることはできるのかもしれない。
それは許しではない。
忘却でもない。
ただ、一人で沈まないための、小さな手の温もりだった。
続く




