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スチームパワード アドベンチャー ミアとビアンカ  作者: ELWOOD CRAFTWORKS
第一章 覚醒と陰謀

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第36話「アンドリーニ伍長」―イーストウォール紛争の記憶①

https://50174.mitemin.net/i1144112/

挿絵(By みてみん)

 イーストウォール諸島北部。


 そこにあるローマン共和国軍の中継基地は、地図で見れば小さな点にすぎない。


 だが、空と海のあいだに突き出した岬の上に建つその基地は、今のミアたちにとっては、世界の中心のような場所になっていた。


 公聴会を控えた彼女たちは、まだローマン共和国本土へ戻っていない。


 表向き、ローマン陸軍航空隊所属の飛行艇は消息不明。


 実際には、バーナード局長の手筈によって偽装された空白の中に隠され、彼女たちはこの中継基地で次の一手に備えていた。


 基地には、常に風が吹いている。


 海から吹き上げる潮風。

 崖にぶつかって巻き上がる湿った空気。

 遠くの海面には、白い波頭が細く光っている。


 基地の格納庫には、あの四発飛行艇が身を潜めるように置かれていた。


 機体には仮設の布が掛けられ、外からは整備中の旧式輸送艇に見えるよう偽装されている。


 そのそばでは、Qじい――クエンティンが分厚い図面束を広げていた。


「ふむ……この応力の逃がし方では、ティルトローター化した場合、主翼付け根に無理が出るな」


 鼻の上にずり落ちた眼鏡を上げながら、Qじいが呟く。


 隣ではミアが、尻尾をゆっくり揺らしながら覗き込んでいた。


「そこ、量子制御の補助フレームを入れれば大丈夫だと思う。エンジン側の蒸気核制御と、姿勢制御を別々に分ければ、負荷が集中しないはず」


「簡単に言うな。お前さんの“別々に分ければ”は、普通の技師にとっては十年分の研究課題だ」


「でも、Qじいならできるでしょ?」


「そういう顔をするな。断れんだろうが」


 Qじいはぼやきながらも、どこか嬉しそうだった。


 少し離れた場所では、ギヤ爺が工具箱の上に腰かけ、義手の指を調整していた。


 金属の指が、カチ、カチ、と小さな音を立てる。


「クエンティン、こっちの補助翼エルロンのリンク機構も見ておいたぞ。少しヘタっていたが、まだ使える。だが、飛びながら無茶をする連中には向かん」


 その言葉に、格納庫の入り口にいたビアンカが眉を上げる。


「誰のことを言ってるの?」


「心当たりがあるなら、お前さん達のことだ」


 ギヤ爺が平然と言った。


 ミアが反論する。


「私達そんなに無茶しないよ。必要な時だけだよ」


「必要な無茶というものが、いちばん厄介なんだ」


 ギヤ爺の視線は、格納庫の隅に置かれたコラージョへ向けられた。蒸気リアクターを内蔵した、ミア達の相棒。


 今は静かに休んでいるように見えるが、ミアが近づくと、まるで目覚めたように小さな計器灯が灯った。


「コラージョ、おはよ」


 ミアが声をかける。


 コラージョの後部にある二つの尾灯が、ぽん、ぽん、と柔らかく光った。

黒い尾のような排気管が、直立してわずかに揺れる。


 ビアンカが腕を組んで見ていた。


「最近、あなたの言うことの方をよく聞いてる気がするわね」


「そんなことないよ。コラージョはビアンカも好きだよ」


「本当?」


 ミアが車体に手を置くと、コラージョの計器灯がまた点滅した。


 まるで、答えているようだった。


「ほら」


「……今のは、あなたに合わせただけでしょ」


「嫉妬?」


「違うわよ!」


ビアンカは即答した。


 その即答の速さに、サムが書類束を抱えて格納庫へ入ってきながら、少し微笑む。


「平和だな。消息不明扱いの人間たちとは思えない」


「サム、何かわかった?」


 ビアンカが尋ねる。


 サムは表情を引き締めた。


「本土からの通信は暗号電信で最小限に絞っている。公聴会の日程は、まだ表向き調整中だ。だが、バーナード局長は準備を進めている。チェンバレンのリスト上位にあったジュリアードとディクソンの動きも、こちらで把握している」


「アーリア・インダストリーは?」


「沈黙している。不気味なくらいに」


 サムはそこで一度、格納庫の外に目を向けた。


 海鳴りが聞こえる。


「向こうも、こちらが死んだとは思っていないだろう。だが、姿を見せなければ、連中は次の手を読めない」


「こっちは窮屈だけどね」


 ビアンカが肩をすくめる。


「それでも、生きている人間が隠れているのと、死んだと思われているのとでは違う」


 サムの声は静かだった。


 ビアンカはそれ以上、何も言わなかった。


 ミアは、そんな三人の会話を聞きながら、そっと外を見た。


 基地の外には、どこまでも青い海が広がっている。けれど、その青さの向こうには、まだ見えない緊張があった。


 公聴会。

 証言。

 アーリア・インダストリー。

 国家保安情報局。

 デアベルドミッテ。

 ブリタニア。


 そして、ローマン共和国。


 世界が少しずつ、音を立てずに動いている。そんな気配が、ミアの胸の奥に重く沈んでいた。


 だからこそ、その日の午後。ミアは、少しだけ別の空気を吸いたくなった。


「ビアンカ」


「なに?」


「ちょっと、島を見に行かない?」


 ビアンカは、書類に目を落としていた顔を上げた。


「島?」


「うん。ずっと基地の中にいると、頭がぎゅうぎゅうになるから」


「あなた、さっきまで格納庫で一番楽しそうに図面を見てたじゃない」


「あれは別腹」


「図面に別腹があるの?」


「あるよ。技術者にはある」


 ビアンカは呆れたように息を吐いた。だが、その顔には少しだけ笑みがあった。


「いいわ。どうせサムの書類仕事を手伝うと、あと三時間は眉間にしわを寄せることになるし」


 サムが横から言う。


「聞こえているぞ」


「聞こえるように言ったのよ」


「なるほど。なら、行ってこい。基地の外周から出るなよ。南側の旧監視道までは許可を取ってある」


 ミアの耳がぴくっと動いた。


「サムおじ、準備いいね」


「君たちがじっとしていないことくらい、そろそろ学んだ」


 サムは淡々と言った。


「ありがとう、サム」


 ビアンカは軽く手を上げ、ミアと一緒に格納庫を出た。


 岬へ向かう道は、石と短い草に覆われていた。


 風が強い。


 ミアのツインテールが左右に揺れ、耳の先が潮風を受けて震える。


 ビアンカは歩調を少しだけ緩めた。

ミアの歩幅に合わせているのだ。


「大丈夫?」


「大丈夫。こういう道、好き」


 ミアはそう言って、深く息を吸い込んだ。


 潮の匂い。

 草の匂い。

 遠くで燃える蒸気機関の、わずかな金属臭。


 それらが混ざって、基地の中とは違う空気になっていた。


 やがて二人は、岬の先端近くに出た。そこには古い監視台の跡が残っていた。


 半分崩れた石壁。

 錆びた柵。

 使われなくなった信号灯の支柱。


 その向こうに、海が広がっていた。


 イーストウォール諸島。


 大小いくつもの島が、青い海の上に浮かんでいる。

 近くの島は緑に覆われ、漁村らしい小さな屋根が見える。


 そのさらに向こうに、低く長い島影があった。


 そして、一番遠く。


 霞む水平線の手前に、大きな島が見えた。他の島々よりも広く、山の稜線が重なっている。


 ミアはその島を指さした。


「ねえ、ビアンカ。あの一番遠い大きな島は?」


 ビアンカは答えなかった。

 ただ、風の中で目を細めていた。


 その横顔を見て、ミアはすぐに気づいた。ビアンカは、ただ景色を見ているのではない。


 もっと遠いものを見ている。

 今ではなく、過去を。


「あれが、南イーストウォール本島」


 やがて、ビアンカが言った。


「四年前、イーストウォール紛争の戦場になった場所よ」


 ミアは、指を下ろした。


「……あそこが」


「ええ」


 ビアンカの声は静かだった。


「もう四年経つのね」


 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。海に向けた独り言のようだった。


 ミアは、隣に立ったままビアンカを見上げた。


 ずっと、気になっていたことがある。


 ビアンカはネオ・ジェノバでは、ちょっとした有名人だ。


 元ローマン共和国海兵隊伍長で狙撃手。イーストウォール紛争に従軍し、住民避難への貢献により、大統領勲章を授与。


 知り合う前から、その名前と経歴を周りから何度も聞いたことがあった。

 ミアの公立学校の同級生の女子には、熱狂的なファンもいた。


 知り合ってからも、街中で一緒にいる時に、ビアンカが声をかけられて握手を求められる姿を何度か見た。


 ビアンカ本人からも、軍隊生活の話は断片的には聞いた。


 訓練がきつかったこと。

 上官に怒鳴られたこと。

 靴擦れのまま行軍したこと。

 食堂の豆料理が二度と食べたくなくなるほど不味かったこと。


 仲間とくだらない賭けをしたこと。

 夜の歩哨で眠気と戦ったこと。


 そういう話は、ビアンカも笑って話すことがあった。


 けれど、ひとつだけ、彼女は決して話さなかった。


 勲章を受けた時の戦闘の話。

 住民を救ったという、その日の話。


 そして、もうひとつ。


 なぜ海兵隊に入り、なぜ紛争後に除隊したのか。ミアは、それを聞いたことがなかった。


 聞いてはいけないような気がしていた。でも、知りたいと思っていた。


 ビアンカがどんな場所から来て、どんな思いを抱えて今ここにいるのか。


 それを、知りたいと思っていた。


 ミアは迷った。

 耳が少し伏せる。


「ビアンカ」


「なに?」


「聞いても……いい?」


 ビアンカは、ミアの方を見なかった。ただ、遠くの島を見ていた。


「何を?」


「その……イーストウォール紛争のこと」


 風が吹いた。


 しばらく、波の音だけが聞こえた。


 ミアは慌てて言葉を足した。


「嫌ならいいの。話したくないことは、話さなくていい。私も、秘密にしていたこと、いっぱいあったし……だから、無理には聞かない」


 ビアンカは、少しだけ目を伏せた。


 ミアの手首には、あのブレスレットがある。


 古代文明の遺産。

 観測者の代理。

 ミアが背負っていた秘密。


 彼女はそれを、少しずつ仲間に打ち明けてきた。


 怖かったはずだ。

 疑われるかもしれない。

 利用されるかもしれない。


 それでも、話した。


 ビアンカはそのことを思い出していた。


「あなたは、話してくれたものね」


「え?」


「自分のこと。隠していたこと」


 ミアは黙った。


 ビアンカは、ようやくミアを見た。

 その顔には、いつもの軽い皮肉も、姉のような余裕もなかった。


 少しだけ、不器用な顔だった。


「私も、いつか話さないといけないと思ってた」


「いけない、じゃなくていいよ」


 ミアは小さく首を振った。


「話してもいいって思った時でいい」


 ビアンカは一瞬、驚いたようにミアを見た。それから、ふっと笑った。


「本当に、あなたは妙なところで大人ね」


「小さいけど大人だよ」


「そこは自分で言うのね」


 二人の間に、少しだけ柔らかな空気が戻った。


 だが、ビアンカの視線は再び遠くの島へ向いた。


「あの島を見ると、思い出すの」


 彼女は言った。


「あの時の匂いも、音も、空の色も」


 ミアは何も言わず、隣に立った。


 ビアンカはゆっくり息を吸った。


 そして、過去の扉を開くように、話し始めた。


___


 イーストウォール諸島は、ローマン共和国にとって古くから重要な場所だった。


 東方航路の中継点。

 漁業と補給の拠点。

 北海域を監視するための天然の見張り台。


 法的には複雑な歴史を持っていたが、実質的にはローマン共和国の領土として扱われてきた。


 人々はローマン共和国の法律の下で暮らし、税を納め、学校に通い、港には共和国旗が掲げられていた。


 だが、四年前。


 ピエトロ王国が突然、イーストウォール諸島の領有権を主張した。


 理由は、古い独立宣言だった。


 ローマン共和国建国時の独立宣言に、現在のイーストウォール諸島全域を示す地名が明確に含まれていない。


 その一点を根拠に、ピエトロ王国はこう主張した。


 イーストウォール諸島は、歴史的にピエトロ王国の勢力圏であり、ローマン共和国による統治は不当である。


 もちろん、ローマン共和国はこれを認めなかった。


 現地住民も、多くはローマン共和国市民として暮らしていた。


 だが、ピエトロ王国は引かなかった。


 外交交渉。

 抗議声明。

 海上封鎖に近い示威行動。

 小競り合い。


 そして、ある朝。


 南イーストウォール本島の港に、ピエトロ王国軍の上陸部隊が現れた。


 そこから、紛争は始まった。


――それが、すべての始まりだった。


続く

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