第35話「消えた飛行艇」―偽装された空白
ローマン共和国の全国紙カステルッチ・ポストをはじめ全ての朝刊は、その日一斉に同じ様な見出しを掲げた。
『ローマン陸軍航空隊所属飛行艇、消息不明
蒸気石輸送船事故調査後、帰還途上で通信途絶
国家保安情報局関係者も搭乗か』
記事は慎重な書き方をしていた。
事故か。
機体故障か。
荒天による遭難か。
あるいは、事故海域に残る何らかの危険に巻き込まれたのか。
どの新聞も断定はしていない。
だが、“消息不明”という言葉だけで十分だった。
街の人々は、蒸気路面車の停留所で、酒場で、役所前の広場で、その記事について語り合った。
「また資源管理局がらみか?」
「情報局の調査員が乗ってたらしいぞ」
「証拠を運んでいたって話もある」
「じゃあ、誰かが消したんじゃないか?」
噂は、朝の霧より早く広がっていった。
そしてそのニュースは、当然、カステルッチの資源管理局にも届いていた。
⸻
資源管理局本部。
局次長ジュリアードは、自室の机に置かれた新聞をじっと見下ろしていた。
顔には悲しみも驚きもない。
ただ、確認するような沈黙だけがある。
やがて扉が開き、開発部長ディクソンが入ってきた。
「……見たか」
ジュリアードが新聞から目を離さずに言う。
ディクソンは小さく頷いた。
「はい」
「飛行艇が消えたそうだ」
「そう書いてあります」
「証拠品も、調査員も、海の上だ」
ジュリアードはそこで初めて顔を上げる。
「この展開をどう捉える?」
ディクソンは答えない。
沈黙が続く。
「君はどうしたい?」
ジュリアードの声は低い。
ディクソンは目を細める。
「私ですか?」
「そうだ。君は最近、妙に黙っている。いや、正確には、迷っている」
「人が死んでます。迷わない方がおかしい」
「感傷か」
「良心です」
ジュリアードの目が冷たくなる。
「良心で組織は動かん」
「では、何で動くんです?資本ですか?地位それとも出世?それも外国企業の手のひら上の」
ジュリアードは椅子から立ち上がった。
「言葉を選べ」
「もう選び疲れました」
ディクソンの声はかすかに震えていた。
「飛行艇が本当に墜ちたなら、また人が死んだ。もし墜ちていないなら……誰かがそう見せかけている」
「何が言いたい」
「我々は、もう引き返せないところにいるんです」
ジュリアードはしばらくディクソンを見ていた。それから、静かに言う。
「引き返す必要などない。公聴会で流れを決める。資源管理局の現体制は崩れ局長は退く。政府主導の愚かな管理は終わるんだ」
ジュリアードは続ける。
「そしてアーリアの資本が入る。必要なことだ」
「そのために、何人も死んでもいいと?」
その問いに、ジュリアードは即答しなかった。
ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ、沈黙が生まれた。
ディクソンはそれを見逃さなかった。
「……あなたはもう、数字でしか見ていないんですね」
ジュリアードは新聞を折り畳む。
「公聴会では余計なことを言うな」
「脅しですか?」
「忠告だ」
「同じことです」
ディクソンは背を向けた。
扉に手をかけたところで、ジュリアードが言う。
「ディクソン。君にも席は用意されている。間違えるな」
ディクソンは振り返らず答えた。
「その席が、誰の血の上にあるのかを考えてたらどうですか?」
扉が閉まる。
残されたジュリアードは、しばらく動かなかった。
机の上には、飛行艇消息不明の記事。その紙面の端で、インクの見出しが朝の光を受けて黒く光っていた。
⸻
南方大陸、デアベルドミッテ領ブランデンブルグ。
港湾地区の一角にあるアーリア・インダストリー支店は、石造りと鋼鉄を組み合わせた重厚な建物だった。
表向きは資源取引と海運調整の拠点。だが上階の会議室には、通常の支店業務とはまったく違う空気が流れていた。
長い机の先に座るのは、アーリア・インダストリー本社から派遣された幹部。
名はクラウス・ベルガー。
白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけた、感情の読みにくい男だった。
その前に立つのは、今回の事件における救助責任者のエルンスト・ヴァイス。
そして、その横にいる女記者――いや、表向きは通信社記者を名乗っていた女。
エレン・シュミット。
彼女の本当の所属は、デアベルドミッテ国防軍情報部の少佐だった。
ベルガーは机上の報告書を閉じる。
「飛行艇は消息不明」
エルンストが静かに頷く。
「そのように報道されています」
「事実か」
「確認は取れていません」
「君の仕掛けと聞いているが?」
エルンストは一瞬だけ、緊張を浮かべた。
「今回、相手側の行動が早すぎました。それだけではなく証拠品の特定もあっという間にされたのです。急な事でしたので、十分で確実な対抗策が準備が出来ませんでした」
「例の新技術を持った監視対象者が関わっていると聞いているが、本当か?」
ベルガーはエレンへ視線を移す。
「情報部の見解は?」
エレンは表情を変えずに答えた。
「現場では確認出来ませんでしたが、彼らと接触した事のある協力者のクライン氏に確認が取れました。間違えありません」
「それから消息不明の件ですが、早すぎます」
「何がですか?」
「報道の出方です。消息不明とするには整いすぎている。ローマン側が意図して流した可能性があります」
エルンストがわずかに目を細める。
「彼らが生きていると?」
「可能性はあります」
「証拠は」
「ありません。だから可能性と言っています」
ベルガーは軽く指を組む。
「仮に生きているとして、偽装目的は?」
エレンは即答した。
「相手を油断させること。特に、公聴会前に内部協力者を動かすため」
エルンストは肩をすくめる。
「面倒な話ですね」
「あなたが現場で押収品を回収できなかったせいです」
エレンの声は冷たい。
「あなたの記者としての仕事も、完璧ではなかったようですが」
「私は情報部員です。広報係ではありません」
ベルガーが机を軽く叩く。
「やめなさい」
二人は沈黙する。
ベルガーは低く言った。
「本社として重要なのは一つ。今回の件が本社に繋がらないことです」
「現地法人の独断、ですか」
エレンが言う。
「必要ならば」
エルンストの笑みが消える。
「それは、我々を切るという意味にも聞こえます。私はローマン共和国の資源管理局が民営化されたあとを任されているのですよ」
「そう聞こえただけでしょう」
ベルガーは平然としていた。
「企業は船と同じです。浸水区画は閉鎖しなければ沈む」
エルンストは黙った。
その沈黙には、怒りと計算が混じっている。
エレンは窓の外を見た。
港には、アーリア系列の船がいくつも停泊している。
資本。
物流。
情報。
そして、軍。
そのすべてが、今や一つの流れの中にある。
「ローマン側を侮らない方がいい」
彼女は静かに言った。
「特に、サム・ウエストレイクは」
ベルガーは小さく笑った。
「ならば、彼が海に沈んでいることを祈りましょう」
「祈りは作戦にすらなりません」
エレンの返答に、会議室の空気がさらに冷えた。
⸻
カステルッチ、大統領府。
大統領執務室の窓からは、議事堂の尖塔が見えた。
机の向こうに座るのは、ローマン共和国大統領ウィリアム・マーティン。
人間の男性で、年齢は五十代半ば。
穏やかな顔立ちだが、その目には政治の重みを知る者の疲れがある。
その前に立つのは、バーナード局長。
そしてもう一人、国防大臣セルジオ・リメンタニ。
犬族の男で、肩幅が広く、軍人上がりらしい落ち着いた威圧感を持っている。バーナードとは陸軍時代からの旧友だった。
「飛行艇消息不明の報道は、こちらの手筈通りです」
バーナードが言う。
大統領は深く息を吐いた。
「つまり、彼らは生きているのだな」
「はい」
リメンタニ国防大臣が腕を組む。
「無茶をするな、バーナード。陸軍航空隊の飛行艇を“墜ちたこと”にするなど、参謀本部が聞いたら卒倒するぞ」
バーナードは涼しい顔で返す
「国防省経由で処理した。君の判がある」
リメンタニは鼻を鳴らした。
「だから言っている。おかげで私も共犯者だ、相変わらず性格が悪い」
大統領は二人のやり取りを少しだけ見てから、話を戻した。
「目的は?」
「敵を動かすことです」
バーナードは短く答える。
「押収品を持つ調査チームが爆発で失われたと相手が思えば、公聴会前に安心して準備を進めるでしょう。そこで、誰が誰と接触するかを見る」
「情報局内部の漏洩も?」
「はい」
リメンタニが目を細める。
「危険な賭けだ」
「安全な手札はありません」
バーナードは即答する。
「証拠はある。だが公聴会で相手を崩すには、物証だけでは足りない。流れを読ませ、油断させ、口を開かせる必要がある」
大統領は机上の資料へ視線を落とした。
「アーリア・インダストリーは?」
「本社は切り捨てる準備を始めています。現地法人の独断として逃げるでしょう」
「デアベルドミッテは協力しないか」
「今回はしないでしょう」
大統領はしばらく黙った。
それから、低く言う。
「ならば、こちらも覚悟を決めなければならないな」
リメンタニが頷く。
「軍としても、西方大陸の動きは無視できません。経済共同体だけならまだしも、軍事共同体の準備は明確な脅威です」
バーナードが続ける。
「この事故は、単独事件ではない可能性が高い。ローマン共和国の資源管理、軍事体制、そして外交的独立性への揺さぶりです」
大統領は椅子から立ち上がった。
「公聴会は予定通り行う」
「はい」
「だが、その前に彼らを失うわけにはいかない」
バーナードは静かに頷く。
「イーストウォールで保護しています。知る者は最小限です」
リメンタニが口元を歪めた。
「その“最小限”に私が入っているのが不運だ」
「光栄だろう」
「その尻尾を引っ張るぞ」
大統領が小さく咳払いする。
二人は黙った。
「諸君」
マーティン大統領は静かに言った。
「これは国内の汚職事件では終わらない。国の進路を決める争いになる」
部屋に沈黙が落ちる。
「ならば、こちらも国として向き合う」
その言葉に、二人の古い軍人は同時に姿勢を正した。
⸻
イーストウォール諸島、情報局中継基地。
地上から見れば、そこは風に削られた灯台と古い補給倉庫にしか見えない。
だが地下では、通信機が低く唸り、暗号記録が整理され、押収品が封緘されていた。
その整備区画の一角で、ミアは広げた設計図を前にしていた。
向かいにはQじい。
「で、また妙なものを考えたわけだな」
「妙じゃないよ。必要な改造」
「飛行艇を回転翼機化することが、必要かどうかは議論の余地がある」
「あるよ。今回みたいな時、海が荒れてたら着水できないでしょ?」
Qじいは黙った。
「それは……ある」
「それに、滑走路も水面もいらなくなる。垂直離着陸、短距離離着陸とホバリングに近い低速制御ができる」
ミアはブレスレットをオープンモードで小さく展開した。
空中に、古代文明アーカイブから呼び出した航空機の資料が浮かび上がる。
双発ティルトローター機。
翼端に巨大な回転翼。
離着陸時はローターを上向きにし、
巡航時は前向きへ倒す構造。
Qじいの目が見開かれた。
「……なんじゃ、これは?」
「古代文明時代の機体資料。型式名は、V-22……オスプレイ」
「空飛ぶ捕食者か…」
「翼の端が回るのか?」
「うん」
「機体ごと発想が狂っとる」
「でも実用化されてたみたい」
Qじいは画面に顔を近づける。
「回転翼機自体、各国で研究中で実用化されていない」
「待て。この機体、蒸気石を使っておらんのか?」
「え?」
「動力説明に、蒸気核も蒸気石も見当たらん。これは何を動力源にしてる?」
ミアは一瞬だけ固まった。
古代文明の内燃機関。
化石燃料。
その説明をここで深くすると、話がややこしくなる。
「えーと……昔の燃焼機関」
「燃焼?」
「空気と燃料を混ぜて爆発させるやつ」
Qじいが怪訝な顔をする。
「まさか化石燃料か?なんでそんな危なっかしいものを…エネルギー効率も悪いし、何より環境に悪いだろう」
Qじいは化石燃料であることをあっさりと見抜く。
「……昔の人の趣味?」
「嘘をつくな」
「細かいことは後で!」
ミアは強引に話を戻した。
「こっちの世界なら、動力は小型リアクターを使う。エンジン用の反応制御で高出力を出して、反重力リフターのイオンウインドで機体重量を一部相殺する」
Qじいの目つきが変わる。
「反重力リフターを、ローター転換時の荷重軽減に使うのか?」
「そう。離着時の負担を減らせる」
「巡航時は?」
「ローターを前に倒して推進。反重力リフターは最低限。燃費を抑える」
「姿勢制御は?」
「電子技術用の量子AIプロセッサーに補助させる。量子コンパスにAIフライトサポートシステム。私でも操縦できる様になるよ」
ミアは机の上に、厳重に包まれた小さな板状部品を二つ置いた。
「こっちがエンジン制御用。こっちがアビオニクス用」
Qじいは二枚の量子AIプロセッサーを見つめた。
しばらく何も言わなかった。
そして、ぽつりと呟いた。
「……お前さん、私を殺す気か」
「えっ?」
「こんなもんを見せられて、寝られると思うか」
ミアは少しだけ笑った。
「作れる?」
Qじいは怒ったように鼻を鳴らした。
「作れるかどうかではない。作るしかなくなるだろうが」
「じゃあ作れるね」
「勝手に結論を出すな」
だがその目は、完全に技術者のそれだった。
ミアはさらに図面を差し出す。
「あと、副操縦席なんだけど」
「お前さんのサイズに合わせる」
ミアが目を丸くする。
「まだ言ってないのに」
「どうせ言う」
ミアはそれじゃあと言わんばかりに
「ブレスレットの表示を機体側へ連携共有できる専用モニターもつけるわ。変換器とかその辺は私に任せて」
「調子に乗りおって」
外では、イーストウォールの風が岩壁を叩いている。世界は不穏で、敵は大きく、真実はまだ遠い。
それでもここには、図面を広げて未来を作ろうとする者たちがいる。
Qじいは顔を上げ、にやりと笑った。
「まずは、このぶっ飛んだ古代機の癖を全部洗うぞ」
ミアも笑う。
「うん」
「それと」
「なに?」
「内燃機関の話は、あとで全部聞く」
ミアは目を逸らした。
「……覚えてた」
「当然だ」
整備区画に、久しぶりに少しだけ明るい空気が流れた。
だがその机の上には、未来の戦いに向けた最初の設計図が、確かに広がっていた。
続く




