第34話「偽装作戦」―イーストウォール諸島へ
飛行艇は、夕刻前にニューバーミンガム基地へ戻った。
基地の海面へ着水した時、機内にはまだ爆弾を解除した直後の重い空気が残っていた。
押収品の木箱。
救助用具一式。
そして、ミアが命懸けで回収した時限式の爆弾。
それらはすべて、ただの証拠ではなかった。相手がこちらを消そうとした、露骨な報復の証拠だった。
スチュアート・チェンバレンは、桟橋で三人を迎えた。
「お帰りなさい。予定より早いですね」
サムは短く答える。
「予定より厄介なものを拾った」
チェンバレンの笑みが、少しだけ消えた。
⸻
応接室で、サムは調査結果の一部をチェンバレンに共有した。
押収した木箱。
散布機構と思われる部品。
薬剤残留。
救助船側の不自然な動き。
そして、飛行艇に仕掛けられていた時限爆弾。
ただし、ミアのブレスレットのことは伏せた。爆弾発見の経緯も、機体点検中に異常を発見したという形に留める。
チェンバレンはすべてを聞き終えると、深く椅子にもたれた。
「なるほど。実に分かりやすい」
「分かりやすい?」
ビアンカが眉をひそめる。
「ええ。敵が焦っている、という意味で」
チェンバレンは机上の資料を指先で叩いた。
「あなた方は、諜報員としては願ってもない状況にいます」
ミアが首を傾げる。
「爆弾仕掛けられたのに?」
「はい」
チェンバレンは淡々と言う。
「相手は、あなた方が爆弾で墜落したと思い込む可能性があります」
サムの目が細くなる。
「死んだことにしろ、と?」
「少なくとも、今後開かれる公聴会までの間は」
室内が静まる。
チェンバレンは続けた。
「あなた方が死んだと思えば、相手は油断する。証拠は消えたと思う。調査も止まったと思う。そして、次の段取りへ移る」
ビアンカが腕を組む。
「その動きで、内通者も見える」
「その通りです」
チェンバレンは微笑む。
「外の敵だけではありません。情報局内部にも、事故船の件を外へ漏らした者がいるかもしれない。あなた方が生きていることを知る人間を極限まで絞れば、漏洩経路も見えます」
サムはしばらく黙っていた。
それから言う。
「悪くない」
「でしょう?」
「だが、決定権はこちらにある」
「もちろん」
チェンバレンは両手を軽く上げた。
「私は、ただの助言者です。全面的に信用することはお勧めしませんが」
ミアが小さく言った。
「またそれ言った」
⸻
その夜。
基地内の控室で、ミアとビアンカは新聞を読んでいた。
そこで、二人は大きな見出しを見つける。
『ローマングランプリ決勝
ヨネダ技研チーム、奇跡の優勝』
「……えっ」
ミアが新聞を両手で掴む。
「勝った!」
ビアンカも横から覗き込む。
「本当に優勝したのね」
記事には、ソウジロウ・ヨネダ率いるスメラギ国の小さなメーカーが、四相脈動機関(4ストローク)で連続脈動機関(2ストローク)主流のレースを制したと書かれていた。
高回転域の伸びが改善され、終盤で一気に逆転したという。
ミアはぱっと顔を輝かせた。
「やった! ソージローが勝った!」
「あなた、自分の事の様に嬉しそうね」
「だって、あのバルブ軽量化の話、役に立ったんだよ!」
ビアンカは微笑む。
「確かにそうね。よかったわね」
思いがけない嬉しいニュースに、その瞬間だけ爆弾も、陰謀も、公聴会も、少し遠くなった。
⸻
一方、サムは飛行艇の長距離短波通信機で、バーナード局長と連絡を取っていた。
通信はイーストウォール諸島の情報局中継基地を経由している。
『爆弾か』
通信越しのバーナードの声は低い。
「はい。報復と見て間違いありません」
『チェンバレンの提案は?』
「検討に値します。こちらが墜落したと思わせれば、敵の動きが出ます」
しばらく沈黙。
やがてバーナードが言った。
『公聴会は三週間後に決まった』
「三週間」
『それまで、お前たちは死んだことにする』
サムは目を伏せる。
『イーストウォール諸島の中継基地へ移動しろ。そこに身を隠せ。知る者は最小限にする』
「了解しました」
『押収品と爆弾は厳重に保全。クエンティンにも分析させる』
「彼を呼びますか?」
『すでに手配している。必要な人員も送る』
サムは短く息を吐いた。
「局長」
『何だ?』
「ミアとビアンカは?」
『正式な情報局協力者として扱う。今さら外せん』
「了解」
通信が切れる。
サムはしばらく、暗い海を見ていた。
三週間。
死者として隠れ、生者として証拠を積み上げる時間。
戦いは、もう公の場へ向かっていた。
⸻
翌朝。
飛行艇はニューバーミンガムを離れ、イーストウォール諸島へ向かった。
諸島北部の島々は、地図上では小さな点に過ぎない。
だがその一つに、国家保安情報局の極秘中継基地が隠されていた。
岩礁と霧に守られた小さな湾。
外から見れば、古い灯台と補給倉庫にしか見えない施設。だが地下には通信室、分析室、保管庫、仮眠区画、そして小型機材の整備場が備わっていた。
ミアは基地に降り立つなり、周囲を見回した。
「秘密基地っぽい」
ビアンカが即座に言う。
「秘密基地なのよ」
「ほんとに?」
「たぶん」
サムは荷物を降ろしながら言った。
「ここで三週間、外部との接触を最小限にする」
ミアは少しだけ唇を尖らせた。
「死んだことになってるの、変な感じ」
「変で済むなら幸運だ」
⸻
数日後。
湾の入り口に、一隻の補給艇が入ってきた。
そこから降りてきたのは、Qじい、ギヤ爺、そして――
「コラージョ!」
ミアが駆け出す。
黒い猫のような蒸気バイクは、補給艇の甲板で固定具を外されると、低くゴロゴロと鳴った。明らかに機嫌が良い。
ミアが近づくと、排圧制御管の尾を小さく揺らす。
「会いたかったよ!」
コラージョはさらに喉を鳴らした。
Qじいがその横で腕を組む。
「また嵐を起こしたようだな」
ミアはぎくりとする。
「えーと……」
「説教だ、と言いたいところだが」
Qじいは飛行艇の方を見る。
「飛行艇を無事、滞りなく返却した。その点だけは褒めてやる」
ミアの顔が明るくなる。
「ほんと?」
「その点だけだ」
「やった」
ビアンカが呆れたように笑う。
「少し甘くなってない?」
その時、ギヤ爺が荷物を肩に担いで降りてきた。
ミアはそちらを見て、いつもの調子で言う。
「ジジイもやっと来たのね。工房の留守番ちゃんとしてた? どうせお酒ばっかり飲んでたんじゃない?」
ギヤ爺は片眉を上げる。
「相変わらず口が悪いな」
「事実確認だよ」
「留守中にコソ泥が五人入った」
「えっ」
「全員軽くシメて、丁重に警察へ案内した」
ミアとビアンカは同時に言った。
「絶対丁重じゃないよね」
「絶対丁重じゃないわね」
ギヤ爺は鼻を鳴らす。
「歩ける程度にはしてやった」
「それ丁重じゃないから」
ビアンカが即答する。
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ギヤ爺が合流したのは特命チームだからと言うだけではなかった。サムから説明された。
彼は北方採掘場の元所長として、先月に起きた増幅炉暴走事故について公聴会で証言する予定になっていた。
今回の蒸気石輸送船事故と、過去の技術管理問題が繋がる可能性があるからだ。
「俺まで引っ張り出されるとはな」
ギヤ爺は面倒そうに言った。
「まあ、話すべきことはあるがな」
その声には、冗談ではない重みがあった。
一方、ネオジェノバの工房については、ミアの仕掛けたセキュリティシステムがあるため大きな問題はない。
それでも念のため、情報局のエージェントが常駐警備に入ることになっていた。
「誰が常駐するの?」
ミアが訊く。
サムは資料から目を離さず答えた。
「ジョー・スミサーズだ」
「ジョーズ君!」
ミア達の護衛をしていた細身だが身長2メートルもある大男。無口で独特の雰囲気を持っている。
ビアンカは苦笑いしながらも納得する。
「確かに、彼なら普通の人は近づきにくいかも」
ミアの顔がぱっと明るくなる。
「ジョーズ君なら安心だね。さすがサムおじさん(アンクル・サム)」
サムの手が止まる。
「おじさんはやめろ」
Qじいが横から言う。
「わたしみたいに爺扱いよりはマシだな」
ギヤ爺も続く。
「二人とも名前が入ってるだけマシだ。俺なんか、ただのジジイだぞ」
ミアは胸を張る。
「ちゃんと名前入ってるよ」
「どこがだ」
「ギヤ爺。GearじいでGじい。略してジジイ」
ギヤ爺は数秒沈黙した。
「Gの一文字を略す意味が分からん。そもそもそれは本名じゃねえ」
Qじいが吹き出し、ビアンカも顔をそらして笑いをこらえた。
サムだけが真顔で言った。
「……呼称問題は後にしてくれ」
「サムおじさんが一番気にしてる」
「おじさんはやめろ」
ミアは久しぶりに、声を上げて笑った。
⸻
その夜。
イーストウォールの中継基地には、静かな緊張と少しの賑やかさが同居していた。
押収品。
時限爆弾。
飛行艇。
公聴会。
そして、死んだことになっている三人。
外の世界では、彼らは墜落したかもしれない存在になっている。
その間に、敵は動く。
内通者も動く。
情報局はそれを待つ。
ミアはコラージョのそばで椅子に腰掛け、そっと車体を撫でた。
「三週間、ここで準備だね」
コラージョが心地良さそうにゴロゴロと低く鳴る。
ビアンカが隣へ来て、ミアの肩に手を添える。
「今度は勝手に爆弾抱えて戻ってこないでね」
「努力する」
「努力じゃなくて約束」
「……約束」
ミアは、自分の肩に添えられたビアンカの手をそっと握る。
少し離れた場所で、Qじいとギヤ爺が押収品の保管リストを見ながら言い合いを始めている。
サムは通信室でバーナードと次の打ち合わせ。
外では霧が灯台の光をぼかしていた。
死んだふりをしているには、少し賑やかすぎる。
けれど、それでよかった。
公聴会まで、あと三週間。その三週間は、ただ隠れるための時間ではない。相手を油断させ、証拠を磨き、味方を集め、次の一撃を準備する時間だ。
霧に包まれたイーストウォールの夜は静かだった。
けれどミアには、その静けさこそが、次の嵐の前触れに思えた。
続く




