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スチームパワード アドベンチャー ミアとビアンカ  作者: ELWOOD CRAFTWORKS
第一章 覚醒と陰謀

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第31話「隠蔽」―片付けられる前に


 夕暮れは、ゆっくりと海の色を深くしていた。


 事故船の甲板に残る熱気も、表面上は少しずつ引いている。だが、人の気配は逆に研ぎ澄まされつつあった。


 火災の直後に特有の混乱はもうない。


 代わりにあるのは、何を見られ、何を隠し、何を先に押さえるかを計る空気だった。


 そしてその空気の中で、最初に動いたのはビアンカだった。


 通信社の女記者は、事故船と救助船を繋ぐ仮設通路の近くで一度立ち止まったあと、何気ない足取りで救助船側へ戻っていった。


 ビアンカは距離を空けて追う。


 焦らない。

 近づきすぎない。

 追っていると悟らせない。


 甲板上では、まだ救援物資や工具が行き来している。その流れに紛れれば、人一人の移動など目立たない。


 女記者は二度、立ち止まった。


 一度目は、救助船の船尾寄り。

煙草を吸っていた船員に何かを尋ねるふりをして、その場に数秒留まる。


 二度目は、帳簿係の男がいる作業机の横。そこでは会話すらなかった。

 ただ、女記者は机の端に置かれていた紙束を一瞥し、帳簿係は無言のまま右手でペンを持ち直した。


 それだけ。

 だが、それだけで十分だった。


 ビアンカは無線機へ低く囁く。


『サム。女記者、帳簿係との接触を再確認。会話なし。でも互いに“確認だけしてる”』


『了解』


『あと、この女、自分が見られるのにも慣れてる。死角を作るのが上手い』


『取材者ではなく、潜入者か』


『それに近い』


 ビアンカはさらに視線を追う。


 女記者は今度は甲板下の出入口へ向かった。立入制限の札が掛かっている通路。普通の記者なら、少なくとも一度は見張りに止められる位置だ。


 だが、女記者はそこで足を止めるどころか、見張りの海員と短い言葉を交わしただけで、そのまま中へ入っていった。


「……通れるの?」


 ビアンカは目を細めた。


『サム、女記者が制限区画に入った』


 沈黙が一拍。


『止められたか』


『いいえ。顔パスみたいな通し方』


『了解。戻るところを押さえたい。見失うな』


『分かってる』


 ビアンカは出入口から見える位置を確保し、壁際の影へ自然に身を寄せた。無表情だが目だけは獲物を待っている。


 一方、ミアは木箱から少し離れた場所にいた。


 さっきの若い整備員風の男が気にしていた箱であり船の規格と一致しない合金粉が付着していた箱。そして、甲板の違和感が集中している場所の一つだ。


 周囲に人の流れが途切れるのを待ってから、ミアはしゃがみ込んだ。


 手首のブレスレットはクローズモード。彼女にしか見えない表示が、視界の端に重なる。


分析対象:木箱外装

外部付着:合金粉微量

分類:耐圧部品由来の可能性

一致候補:簡易噴射器/微小弁機構/制御部品片


「制御部品片……」


 ミアは小さく息を呑む。


 船の設備ではない。

 事故の副産物として自然に出る部品でもない。誰かが持ち込んだ装置の一部である可能性が高い。


 彼女はさりげなく上着の内ポケットから、小さな布包みを取り出した。

 Qじいが整備用にと持たせた、微細部品回収用の薄布だ。


「……借りるね」


 誰にともなく呟き、木箱の端に付いていた金属粉をそっと布へ移す。

 ほんの少量。

 だが分析の種には十分かもしれない。


 その瞬間、ブレスレットの分析表示がもう一段切り替わる。


近傍分析:薬剤残留

反応促進剤近似:中

付着時期:比較的新しい


「新しい……?」


 事故の時についたのではなく、事故のあとまで残っていた。つまり、後から動かされた可能性がある。


 ミアの背中を、冷たいものが走る。


“片付ける前”に来られたから見つけられたのだ。


 もしあと数時間遅ければ、この木箱も、金属粉も、薬剤残留も、全部“現場整理”の名目で消えていたかもしれない。


 無線機へ囁く。


『サム、部品片の可能性ある粉を少量回収した』


『よくやった。見られたか』


『今のところ大丈夫』


『それは証拠になる可能性がある。隠せ』


『うん』


 ミアは布包みを素早く内ポケットのさらに奥へ押し込んだ。


 その直後だった。


「そこで何をしているんです?」


 低い声。


 ミアが振り返ると、そこにいたのは救助船側の作業服を着た男――前話で見た、左頬に薄い傷のある若い整備員だった。


 ミアは一瞬だけ心臓が跳ねた。

 だがすぐに、なるべく自然な顔を作る。


「焦げ方が気になって」


「調査官ですか?」


「そうよ」


 男は木箱を見て、それからミアの顔を見る。目は笑っていない。


「危ないですよ。その辺り、まだ不安定な物があるかもしれない」


「じゃあ、あなたたちも近づかない方がいいね」


ミアが返すと、男は少しだけ口元を歪めた。


「仕事なので」


 そのまま彼は木箱の方へ歩み寄る。


 明らかに、箱をどこかへ動かしたい気配だった。


 ミアは何気なく一歩だけ位置を変え、さりげなく男の手元を視界に入れた。クローズモード分析。


対象:右手袋表面

薬剤残留:微量検出

一般整備油との一致率低


「……っ」


 確定ではない。

 だが十分だ。


『ビアンカ』


『聞こえる』


『左頬に傷の男、当たりかも。手袋に薬剤残り』


『場所』


『右舷木箱のとこ』


『そっち行けない。女記者がまだ戻らない』


『了解』


 ミアは男から目を離さず、しかしそれ以上は何もしなかった。

 ここで取り押さえる段階ではない。

 まだサムの許可もない。

 なにより、この場で騒げば、他の“片付ける側”が一斉に動く。


 男は結局、その場では箱を持ち上げなかった。代わりに周囲を見渡し、何かのタイミングを計るように去っていく。


 ミアは小さく息を吐いた。


「絶対、あれ気にしてる」


 その頃、サムは再びエルンスト・ヴァイスと向かい合っていた。


 場所は事故船中央の臨時記録机。


 周囲には数名の補助要員と、一定の距離を保つ通信社の若い記者。


「ヴァイス氏、もう一点だけ」


 サムの口調は依然として礼儀正しい。


「貴船の救助活動記録と、事故船への最初の接触時刻に若干の齟齬があります。確認したい」


 エルンストは驚いたように眉を上げる。


「齟齬、ですか?」


「はい。貴船側の記録では発見が午後一時四十二分。事故船側で最初に視認された救助船は、その数分前という証言があります」


「現場の混乱で時刻認識に誤差が出たのでは」


「その可能性もあります」


 サムはすぐには否定しない。


「そこで、見張り員本人にも確認したいのですが」


 エルンストの笑みが、ごく薄くなった。


「今は別作業に回っています」


「呼べますか」


「……少々時間がかかるかと」


「構いません」


 沈黙。


 周囲の空気が少しだけ張る。


 エルンストは逃げない。だが、簡単にも渡さない。まさにその均衡の中にいた。


 そこへ、若い記者が口を挟む。


「その時刻差は、調査上どれほど重要なんでしょうか?」


 サムはそちらを見る。


「重要性の判断を含めて確認中です」


「ですが、救助が迅速だったという事実自体は変わらないのでは?」


「そうかもしれません」


 サムは淡々と返す。


「ただし、迅速であることと、記録が正確であることは別問題です」


 若い記者が一瞬言葉に詰まる。

 エルンストが横から柔らかく入る。


「調査官殿は実に慎重だ」


「事故調査ですので」


「企業側としては、善意の救助活動が疑われるのは少し残念ですが」


「疑っているのではありません。確認しているのです」


 サムの声には一切の熱がない。


 だが、その平坦さこそが圧だった。


 無線機が小さく鳴る。


『サム』


 ビアンカ。


『女記者、制限区画から出てきた。手ぶら。でも表情が少し変わった』


『何か見たか、何か置いたか、だな』


『その可能性高い』


 続いてミア。


『左頬の男、木箱を気にしてる。手袋に薬剤残留。あと箱から微量回収した』


 サムは一瞬だけ目を伏せた。点が繋がりかけている。そして同時に、相手も動き始めている。


「ヴァイスさん」


 サムは静かに言った。


「本日中に、救助船側の物資搬入出記録も拝見したい」


 エルンストの目が、初めてわずかに冷えた。


「必要ですか」


「ええ」


「救助活動の妨げになる恐れが」


「最低限の確認です」


 エルンストは数秒、サムを見た。

 それから、にこやかな顔を戻す。


「……善処しましょう」


 その“善処”が、諜報の現場ではどんな意味を持つか、サムはもちろん知っていた。


 陽はさらに落ち、甲板には作業灯が灯り始める。


 明るい昼の視線より、夜の人工灯の方が隠し事はしやすい。

それを知っている人間は多い。


 ビアンカは出入口近くの陰から、再び女記者を見ていた。

 彼女は今、帳簿係の男とは逆に、若い記者へ何かを短く伝えている。

表情は冷静。だが、動きは少しだけ早い。


 ミアは木箱から距離を取りつつ、まだ周辺の痕跡を拾っていた。

 サムは記録机の前から離れず、しかし全体の動線を把握している。


 無線機の中で、三人の呼吸だけが近い。


『サム』


 ビアンカが言う。


『あっち、夜のうちに何か片付ける気よ』


『根拠は』


『急に手が早くなった。人を散らし始めてる』


『こっちも同感』


ミアが続ける。


『左頬の男、さっきから二回ここ見に来てる』


 サムは短く結論を出した。


『なら、待とう。動かしたところを押さえる』


『待ち伏せ?』


 ビアンカ。


『そうだ』


『好きじゃないけど、得意よ』


『知ってる』


 ミアが小さく笑いそうになったが、すぐに真顔へ戻る。


『私も残る』


『当然だ。ただし単独行動はするな』


『うん』


 サムは作業灯の下で、再び記録簿を開いた。だがもう、見るべきは紙の中だけではない。


 今夜、この船のどこかで、誰かが“消したいもの”を消しに来る。

 その時が、本当の意味での最初の突破口になる。


 洋上に夜が降りてくる。


 焼けた蒸気石の匂いは薄れても、隠された意志の匂いは、むしろ濃くなっていく。そしてその匂いを、三人はすでに嗅ぎつけていた。


続く

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