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スチームパワード アドベンチャー ミアとビアンカ  作者: ELWOOD CRAFTWORKS
第一章 覚醒と陰謀

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第30話「痕跡」―欺瞞溢れる船上


 洋上の風は、夕方に近づくにつれて少し冷たさを帯びていた。事故船の甲板には、まだ焼けた金属と消火剤の匂いが残っている。事故船の横に救援船が横付けされ、仮設の通路が設置されてから、人の動きは絶えない。


 担架が運ばれ、応急補修の資材が行き交い、そしてその隙間を縫うように、疑惑を追う者たちの視線が走っている。


 特命チームの三人はすでに別々に動いていた。


 ビアンカは、甲板後方の比較的静かな一角に立っていた。そこからは、事故船と横付けされた救助船の両方が見える。通信社の人間がどこを行き来し、誰と話し、誰に近づこうとしているかを見るには都合のいい位置だった。


 耳元の双方向無線機が小さく鳴る。


『ビアンカ、状況は』


 サムの低い声。ビアンカは視線を動かさず答えた。


『通信社の若い男は、いかにも現場記者って顔をしてる。でも、やっぱり本命は女の方ね』


『理由は』


『見る順番が違う』


一拍置いて、ビアンカは続ける。


『普通の記者なら、まず損傷や負傷者や大声を追う。でもあの女は、人の立ち位置と動線を先に見てる。誰が指示を出してるか、誰が誰を気にしてるか、そっちを拾ってる感じ』


『諜報員みたいだな』


『ええ。それも慣れてる』


 ビアンカは、甲板の反対側に立つ女記者を見た。年齢は三十代後半ほど。灰色の実用的な上着に、波風に強そうな靴。手帳を持つ手つきよりも、周囲を見る目の方が鋭い。そして彼女は、エルンスト・ヴァイスと一定以上は近づかない。だが、離れすぎてもいない。


『アーリア側の責任者と距離を取りつつ視界に置いてる。初対面の記者にしては近すぎるし、親しい広報相手にしては遠すぎるわ』


『つまり』


『利害関係はあるけど、同じ陣営の人間が見せる“気安さ”はない感じね』


 サムはビアンカの冷静な分析に感心し、思惑笑みを浮かべながら短く返した。


『了解』


 ビアンカは通信を切らずに、今度は救助船側の乗員通路へ目を向ける。若い男記者が、先ほどから何度も同じ船員に話しかけようとしては、エルンストの視線を気にして引いている。対して女記者は、誰かに近づく前に、必ず周囲の出入口と見張りの位置を確認している。


「……やっぱり、ただの記者じゃないわね」


 ビアンカは小さく呟いた。その時、女記者がふいに歩き出した。向かった先は、救助船から積み下ろされた物資の仮置き場。ビアンカは何気ない顔で移動する。相手に尾行を気づかせずに見失わない距離で。


 女記者は積み上げられた木箱の前で一度足を止め、帳簿係らしき男と短く言葉を交わした。そのやり取りはごく普通に見えた。だが、次の瞬間、彼女の指が木箱の側面を二度、軽く叩く。これは合図だ。


 そう感じたのは、ビアンカの勘ではなかった。軍隊で培われた、“意味のない動作は覚えなくていい”という感覚が、逆に今の動きだけを拾い上げたのだ。


 直後、帳簿係の男は何事もなかったように別方向へ歩き去る。女記者も逆方向へ。


『サム』


『どうした』


『通信社の女、合図を使った』


『誰に』


『帳簿係の男。たぶん救助船側』


『見失うな』


『もちろん』


 ビアンカは目を細める。この場で一番危険なのは、目立つ敵ではない。何でもない顔で、ただ情報を動かしている人間だ。

 一方その頃。ミアは、前話で違和感を覚えた甲板右舷側の一角へ戻ってきていた。


 焼け焦げた手すり。

 救助用具の仮置き場。

 木箱。


 そして、あの“普通の消火剤ではない何か”が残っていた辺り。周囲に人がいないのを確認し、ミアはそっと手首を押さえた。


 ブレスレットはクローズモード。外からは何も見えない。だが、彼女の視界の内側にだけ、淡い情報表示が重なっている。まずは観測モード。


種別:蒸気石エネルギー残留反応

状態:減衰中

局所密度:不均一

強度:低


「不均一……」


 残留反応が均一ではない。つまり、事故の熱と圧力の散り方に偏りがあるということだ。次に分析モードへ切り替える。ミアは焼けた手すりへ視線を向ける。


材質:炭素鋼

熱変形:高温高圧蒸気による急激 

    な変形

外力痕:二次圧力流の可能性


「やっぱり……」


 前と同じ結果。しかも今度は表示精度が高い。最初の爆発だけでは説明しきれない二次圧力流。何かが圧力の流れを“作った”ような痕跡だ。


 ミアは次に、救助用具の近くに視線を落とす。


付着物:薬剤残留

一般消火剤との一致率:低

反応促進剤との近似:一部有り断定不可


「反応促進……?」


 ミアは思わず眉をひそめた。


 断定不可。

 だが“近似”と出た。

 ただの消火剤でも、ただの汚れでもない。


 彼女は木箱の側面へ視線をずらす。


表面付着:海水、煤、血痕微量

外部由来金属粉:検出

合金組成:船内設備一般規格と不一致


「これも……」


 木箱に付着した金属粉は、この船の一般設備とは違う。

 つまり、外から持ち込まれた機材か部品の可能性が高い。


 無線機へ小さく囁く。


『サム、やっぱり変』


『具体的に』


『二次圧力流の痕跡あり。あと、一般規格外の合金粉。それから、消火剤じゃない薬剤残りもある』


 数秒の沈黙。


『反応促進剤の可能性は』


『断定までは出てない。でも近い』


『了解。現物の位置を固定しろ。あとで回収できるか考える』


『うん』


 ミアはそれから、視線を少しずつ広げていった。


 甲板の傷。

 床の焦げ具合。

 仮補修された外板。


 分析を重ねるたびに、一つの感覚が強まっていく。これは“暴れた事故”ではない。むしろ逆だ。暴れたように見せるために、どこかが誘導されている。


「……事故の形を作ってる?」

 

 小さく呟いたその時、背後で足音がした。ミアは反射的に振り向く。そこにいたのは、救助船の若い整備員風の男だった。彼は少し驚いた顔をしてから、ぎこちなく笑う。


「す、すみません。そこ、資材の回収で」


「どうぞ」


 ミアは自然に一歩引いた。だが、男の目が一瞬だけ木箱に向いたのを見逃さなかった。しかも、ほんの一瞬“それがそこにあることを確認した”ような目だった。


『ビアンカ』


ミアが囁く。


『聞こえる』


『今、若い整備員っぽい男が来た。木箱を気にしてた』


『特徴は?』


『茶色い髪、二十代後半、左頬に薄い傷、救助船側の作業服』


『見つけたら追う』


『お願い』


 男は木箱を動かすでもなく、別の資材だけを手早く持ち去っていった。ミアはその背を見送りながら、確信を深める。


 “見られたくないもの”が、ここにある。


 その頃、サムは事故船と救助船、正確には救助対応に当たった資材運搬船の連絡記録を扱っていた責任者たちへ、順番に聞き取りを行っていた。


 場所は甲板脇の臨時作業机。

 航海記録、救助記録、無電送信時刻、曳航準備の記録が雑然と積まれている。


 サムの前にいるのは、救助船側の副責任者である中年の船員だった。焼けた現場に比べれば落ち着いているが、その視線はどこか落ち着かない。


「貴船が事故船を発見したのは、正確にはいつですか」


 サムは丁寧な口調を崩さない。


「ええと……午後一時四十二分です」


「その時、どの位置から煙を確認しましたか」


「南西寄りの進路上で……かなり遠くから」


「かなり、とは」


「その……目視で」


 サムは記録簿へ目を落とす。


「貴船の当時の航路と気象条件から考えると、その距離で異常を確実に視認するのは容易ではないように思われますが」


 副責任者の喉が動く。


「いえ、たまたま甲板にいた者がですね」


「誰ですか」


「……見張り員です」


「氏名を」


 男は答える。だが、答えるたびにほんの少し遅れる。サムは表情を変えない。


「第一報を外部へ送ったのは、事故船ではなく貴船側だったと聞いています」


「ええ、事故船は混乱していましたので」


「迅速な対応に感謝します」


 敬語のまま、サムは一拍置く。


「その際、通信社への連絡も同時に行われたのですか」


 男の指が記録簿の端を強く押さえた。


「……結果的に、そうなりました」


「結果的に?」


「記者が同乗していたもので」


「偶然に」


「……はい」


 サムはそこで初めて、わずかに目を上げた。視線だけで相手を測るように。


「なるほど」


 それ以上は詰めない。今ここで追い込んでも、硬くなるだけだ。だが記録の揺れは、十分に残った。


 無線機へ短く送る。


『ビアンカ、救助船側の副責任者だが答えが遅い。記録合わせをしてる可能性がある』


『了解。こっちは女記者と接触した帳簿係、この男も怪しいわ。』


『ミアは』


『こっちも変な物が出てる』


ミアの返答は小さいが硬かった。


『薬剤残留と規格外合金。木箱周辺』


 サムは小さく息を吐く。点が増えてきた。まだ線にはならない。だが、偶然で片づけるには十分すぎる材料が集まり始めている。


 そこへ、エルンスト・ヴァイス本人が近づいてきた。


「調査は順調ですか」


 相変わらず、よく通る穏やかな声だった。サムは記録簿を閉じる。


「ご協力に感謝します」


「それは何よりです」


「一つ伺いたいのですが」


「どうぞ」


「貴船には、通信社の方々が常時同乗しているのですか」


 エルンストの笑みが、ごくわずかに薄くなった。


「いいえ。今回はデアベルドミッテ寄港後に便乗された形です」


「そうですか」


 サムは頷く。


「では、その便乗を許可したのは誰でしょう」


 一瞬の間。本当に短い、だが確かな間だった。


「……船長判断です」


「船長のご判断ですか」


「ええ。救助活動の透明性を示す意味でも、有意義だと」


「理解しました」


 サムはそこで話を切った。エルンストも、それ以上は踏み込まない。互いに笑みを保ったまま、腹の中で別の計算をしている。そんな沈黙だった。


 夕暮れの色が濃くなり始める。


 甲板の上で、三人はまだ別々に動いていた。だが無線の中では、少しずつ情報が重なっていく。


 通信社の女記者は、ただの取材者ではない。救助船側の帳簿係と何らかの連携がある。


 現場には、一般規格外の合金粉と、反応促進剤に近い薬剤残留がある。しかも、それを気にしている救助船側作業員がいる。


 救助船の行動記録は、少なくとも一部に不自然な揺れがある。そして“偶然”同乗していたはずの通信社の存在は、どう考えても出来すぎている。


 甲板の端で、ミアは再び木箱を見た。木箱の中身も分析しようと思ったが、こちらが木箱に興味があるのを悟られない様、敢えて距離を置き、相手の出方を引き続き見る事とした。


 ビアンカは女記者の歩き方を目で追った。サムは記録簿に時刻を記しながら、海の向こうへ視線をやる。


 この調査は、まだ終わっていない。火は消えかけていても、情報はまだ燃えている。そしてその火元の近くには、確かに“隠したがっている者たち”がいる。


 無線機の向こうで、ビアンカが低く言った。


『サム。そろそろ誰かが動くわ』

 

 サムは即答する。


『だろうな』


 ミアも小さく続けた。


『うん。ここ、誰かにとって“片付いてない”場所だもん』


 サムは記録簿を閉じた。


「――なら、こちらも次の段階に入る」


 それは誰に聞かせるでもない、静かな宣言だった。洋上の風が、三人の間を抜ける。見えない周波数の中でだけ、チームの声が繋がっている。見えない画面の中でだけ、ミアの分析が走っている。


 そして見える場所では、誰もが平静を装っている。だがその均衡は、長くは続かない。


 隠された部品。

 ずらされた記録。

 交わされた合図。


 次に崩れるのは、誰の仮面か。


続く

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