第25話「蒸気石輸送船」 ―南海へ飛ぶ翼
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南方大陸、デアベルドミッテ領ブランデンブルグより沖合一二〇〇キロ。
朝焼けの残滓を海面に引きずるように、一隻の大型輸送船が航路を進んでいた。
三万トン級蒸気石輸送船――
資源管理局の管理下で運ばれる、精製済み蒸気石を満載した船である。
通常、蒸気石の輸送は民間船舶会社が担う。
だが、精製済みの蒸気石だけは話が別だった。
輸出先に十分な精製施設がない場合に限り、資源管理局の監督下で運ばれる。
危険性が高いからこそ、厳格な管理が求められる貨物。
本来なら、事故など起きてはならない。
船腹の奥深く。
閉ざされた荷室の中に、整然と積み上げられた精製蒸気石のコンテナ群が、鈍い灰白色の光を眠らせていた。
一人の男が、人気のない通路を急ぎ足で進んでいた。
資源管理局職員の腕章を付けている。
だが、その目には焦りがなかった。
むしろ、決まりきった手順をなぞるような冷たさがあった。
彼は小さなガラス容器を取り出す。
中に満たされているのは、淡く青みを帯びた液体。
蒸気石活性の試験用活性剤。
本来、こんなものが荷室近くに持ち込まれること自体がおかしい。まして、精製済み蒸気石の傍へなど。
男は周囲を一瞥し、わずかに口角を上げた。
次の瞬間。
ガラス容器が、彼の手から滑り落ちた。
落ちた、というより――
落とした。
床にぶつかって砕ける。
飛散した活性剤が、開封前検査用に仮置きされていた蒸気石の一部へと飛沫のように散った。
一拍。
二拍。
そして、荷室の空気が変わった。
精製済み蒸気石の表面に、青白い筋が走る。
内圧が急激に立ち上がる音がした。
キィィィィィ――……
高音。
不快な、危険を告げる音。
見張りの職員が異変に気づき、振り返る。
「おい、何だ今の――」
その叫びは最後まで続かなかった。
次の瞬間、荷室の一角から凄まじい高温高圧ガスが噴き出した。
鋼板がひしゃげ、固定具が吹き飛び、灼熱の蒸気が通路を飲み込む。
爆散。
轟音。
衝撃。
船体そのものが内側から殴られたように震えた。
吹き飛ばされた男たちの悲鳴。
連鎖的に転倒するコンテナ。
蒸気石の破片が火花を撒き、積み荷の周辺で火災が広がっていく。
「火災だ! 荷室で爆発!」
「消火班、急げ!」
「機関室、応答しろ! 機関室!」
怒号が飛び交い、警報が鳴り響く。
しかし、火勢は早かった。
活性化した蒸気石がさらに別の蒸気石を刺激し、荷室内では局所的な高温高圧ガスの噴出が断続的に続く。
船員たちが消火剤を運び込むが、熱と圧力で近づくことすら難しい。
やがて、機関部から絶望的な報告が届く。
「推進系損傷! 主機停止!」
「操舵不能!」
「航行不能です!」
船は、海の真ん中で息の根を止められた巨獣のように、ゆっくりとその進路を失った。
負傷者多数。
そして、荷室近くにいた資源管理局職員一名は死亡。
⸻
事故発生から間もなく。
まるで見計らったようなタイミングで、一隻の船が水平線の向こうから現れた。
デアベルドミッテ籍。
しかも、アーリア・インダストリー系列の海運会社に属する船舶だった。
「救助活動を支援する!」
「こちらで負傷者を受け入れる!」
「消火用設備もある!」
船員たちは歓声混じりにそれを迎えた。
この状況では、助けが来ただけでも奇跡に等しい。
その船には、偶然にも通信社の記者が同乗していた。
偶然にも。
彼らは無電設備を用いて、デアベルドミッテを経由し、事故の第一報を世界へ流す。
その速度は異様なほど早かった。
翌朝には、各国の新聞に同じような見出しが躍っていた。
『資源管理局の杜撰な管理体制、重大事故を招く
アーリア・インダストリー系列船、迅速な救助活動で多数を救出!時代遅れの官僚機構か、民間の柔軟性か』
記事の論調は明白だった。
資源管理局への批判。
そしてアーリア・インダストリーへの賞賛。
世界は、あまりにも早く、あまりにも都合のいい形で、この事故を知ることになった。
⸻
翌日。
カステルッチオ、資源管理局本部。
局次長ジュリアードは、自室の机に広げた新聞を見て口元を緩めていた。
紙面には事故現場の写真と、大きく踊る批判の見出し。
「上々だ」
彼は低く呟いた。
向かいに立つのは、開発部長ディクソン。
彼の表情は硬い。
新聞の内容よりも、その裏側を知ってしまった人間の顔だった。
「……死者が出ました」
その一言に、ジュリアードは肩をすくめる。
「事故というのは、そういうものだ」
「あなたは最初から分かっていたのですか?」
「予想はしていたさ。だが、結果として流れはできた」
ディクソンは黙り込む。
技術者としての良心が、まだ完全には壊れていない。
ジュリアードは新聞を畳み、椅子の背にもたれた。
「この後の展開も簡単だ。まず、当局から事故調査団を派遣する。形だけのものになるがな。」
「次に政府主導の公聴会だ。局長は釈明に追われ、いずれ責任を取って辞任に追い込まれる」
「……それで我々はどうするんですか?」
「私と君が出廷する」
ディクソンが目を見開く。
「そこで、政府主導の管理体制の不備と怠慢を糾弾する」
「予算不足、判断の遅さ、技術開発への理解の欠如――全部本当のことだろう?」
「だとしても……」
ジュリアードは少しだけ身を乗り出した。
「このまま官営の枠に縛られていては、開発は先へ進まん。」
「限られた予算、政治に振り回される案件、旧式の承認手続き。技術者はいつまでも飢えたままだ」
その声には、奇妙な説得力があった。
半分は本音なのだろう。
「民営化と外国資本の参入規制が緩和されれば、アーリア・インダストリーの資本が入る。」
「予算は潤沢になる。設備は更新される。君の部門も、もっと自由に研究できる」
「自由に、ですか……」
ディクソンは低く呟く。
だがその“自由”が、誰の手のひらの上の自由なのか、彼にはまだ測りきれなかった。
それでも。
彼は小さく、ほんの小さく頷いてしまう。
ジュリアードはその反応を見て、満足そうに微笑んだ。
⸻
同じ頃。
国家保安情報局本部、局長室。
バーナード局長は机の上に並ぶ報告書を睨みながら、静かに言った。
「大統領からの指示だ。国防省経由で、今回の事故調査は我々が担当する」
呼び出されたサムは、報告書を手にしたまま顔を上げる。
「海軍ではなく、ですか」
「表向きは国際海域での事故だからだ。海軍を前面に出すより、情報局の方が資源管理局も飲み込みやすい」
バーナードの声は淡々としていた。
だが、その目はかなり険しい。
サムは机上の新聞を見た。
記事の出回りが早すぎる。
しかも、事故原因の説明が不自然すぎた。
「報道が早すぎます」
「同感だ」
「精製済み蒸気石の荷室へ、活性剤を持ち込む時点でおかしい。手違いで済む話ではありません」
「内部工作員がいた可能性か?」
「高いと思います」
サムは迷いなく答えた。
「加えて、アーリア・インダストリー系列船の通過時刻も出来すぎている。偶然にしては整いすぎています」
バーナードは頷いた。
「大統領は本日中に会見を開く。」
「アーリア・インダストリーへの感謝を表明せざるを得ないだろう。」
「世論もそうなっている。資源管理局も、面子のために自前の調査員を送り込んでくるはずだ」
「つまり、現地は早い者勝ちになりますか」
「そうだ。だから先に行く」
バーナードは机の上の任務書を押し出した。
「特命チームを投入する。現地調査、関係者の洗い出し、事故の実態把握。できる限り早くだ」
サムが任務書を受け取る。
「了解しました」
「サム」
「はい」
「これは単なる事故ではない。資源管理局そのものを揺さぶる一手かもしれん」
サムは一瞬だけ無言になった。
それから、短く答える。
「だからこそ、先に掴みます」
⸻
その頃、装備開発部。
休日を終えたミアとビアンカは、またQじいの作業区画に顔を出していた。
ミアはコラージョの外装を布で磨き、ビアンカは机の端で拳銃の整備をしている。
「休みが終わるのって、どうしてこんなに早いんだろう……」
ミアがぼやく。
「休んだからよ」
「じゃあ休まなければ終わらない?」
「ちょっと何言ってるかわからない」
「だよね……」
その時、扉が開いた。
入ってきたのはサムだった。
空気が少しだけ変わる。
ミアはすぐに顔を上げた。
「仕事?」
「仕事だ」
「やっぱり」
ビアンカが立ち上がる。
サムは簡潔に、しかし必要なことは漏らさず今回の事故を説明した。
南方海上での蒸気石輸送船事故。
負傷者多数。
不自然な報道。
そして、現地への急行命令。
説明を聞き終え、ビアンカが即座に計算するように言う。
「船だと、ここから三週間はかかるわ」
「海からは行かない」
サムの返答に、ミアがぱちっと目を輝かせた。
「空?」
「空だ」
「飛行機!?」
ミアはほとんど跳ねるように立ち上がった。
「飛行機で行くの!? 本物の!?」
「本物以外に何がある」
「だって、私、自分でジェットパックで飛んだことはあるけど、飛行機は乗ったことないよ!」
「比較対象がおかしいから」
とビアンカが冷静に突っ込む。
Qじいはそんな二人を見ながら、ふっと鼻を鳴らした。
「浮かれるのはまだ早い。任務だからな」
「でも飛行機!」
「はいはい」
⸻
それからミア達は移動の準備を行い、
午後に入ってから移動する。
サムとQじいは車で。
ミアとビアンカはコラージョで陸軍航空隊基地へ向かう。
ミアの気分は半分任務、半分飛行機だった。
ビアンカはコラージョのハンドルを握り、いつものように冷静を装っていたが、初めての本格的な情報局任務に気を引き締めているのが分かった。
やがて基地が見えてくる。
広大な敷地の向こうに並ぶのは、布張りの複葉機たち。
まだこの時代、空を飛ぶ機械の主流はそういうものだ。
だが、サムの車は滑走路へ向かわなかった。
「……あれ?」
ミアが首を傾げる。
車はそのまま、基地の海側――桟橋の方へ進んでいく。
疑問に思った二人が視線を向けた先で、それは姿を現した。
銀色に輝く機体。
流れるように磨かれた、金属の船体。
その左右に伸びる大きな翼。
布ではない。
全金属製の単葉翼。
しかも四発。
海に浮かんでいるのに、明らかに船ではない。
だが、飛行機というにはあまりに船じみている。
機体横には『R.ARMY AIRFORCE』と書かれている。
情報局専用の機体だが、便宜上はローマン陸軍航空隊の所属となる。
「……すごい」
ミアは思わず足を止めた。
桟橋に繋がれたその機体は、時代の一歩先どころではない存在感を放っていた。
「飛行艇だ」
サムが言う。
Qじいが、ちょっとだけ胸を張る。
「私が主導して開発した」
「Qじいが!?」
「まだ実用化されたばかりだ。長距離を一気に飛べる。海にも降りられる。今回みたいな案件にはうってつけだ」
ミアは目を輝かせたまま、機体の全体を見上げる。
「かっこいい……」
四つのエンジンが翼に整然と並ぶ。
金属外板は日差しを受けて冷たく光っていた。
船体下面は波を切るために滑らかな曲面を持ち、尾翼も従来の複葉機とは比較にならないほど洗練されている。
まるで未来の乗り物だった。
「ねえ、パイロットは?」
ミアが訊く。
Qじいは当然のように答えた。
「サムだ」
「えっ」
ミアもビアンカも同時にサムを見る。
サムは特に誇る様子もなく、淡々と機体の点検記録に目を通していた。
「元海軍の水上偵察機のパイロットだ」
Qじいが説明する。
「操縦の腕もよかったが、それ以上に情報の拾い方と分析が鋭かった。そこを見込んで、バーナード局長が引き抜いたんだ」
ミアは感心したようにサムを見る。
「なんでもできるんだ……」
「万能ではない」
「でも飛行機まで飛ばせる」
「飛行艇だ」
「そこ大事なんだ」
「大事だ」
ビアンカが小さく笑った。
「少しだけ嬉しそうね」
「事実の訂正だ」
そう言う声が、ほんのわずかに柔らかかった。
⸻
飛行艇の出発には時間が掛かった。
機体の整備員が慌ただしく動いてる。
出発準備が進む中、ミアはコラージョの前にしゃがみ込んだ。
「今回は留守番だよ」
コラージョは低く、明らかに不満げな振動音を鳴らした。
ゴロゴロ……ゴルル。
「分かる。行きたいよね。でも海の向こうまで一緒は無理なんだ」
ミアが車体を撫でると、コラージョは尾のような排圧制御管をわずかに揺らした。納得していない仕草だ。
「Qじい、コラージョお願い」
ミアが振り向く。
「もちろん」
Qじいはそう言って、コラージョのハンドル付近をぽんと叩いた。
それから、いつもの調子で口を開く。
「装備品は滞りなく――」
「――無傷で返却するわ」
ビアンカが先に言った。
「――無傷で返却するよ」
ミアも続く。
Qじいは一瞬、言葉を止めた。
それから少しだけ苦笑する。
だが彼はすぐに表情を改めた。
「それからもう一つ、大事なことだ」
ミアとビアンカが顔を向ける。
Qじいの目は、いつになく真剣だった。
「装備品は、“本人が無事に帰還して、直接返却すること。”」
「初めての任務だ。特にミア」
「うん」
「現地で嵐を起こさんでくれよ」
数秒の沈黙。
それからミアが口を尖らせる。
「私、そんなに嵐起こしてないよ」
「起こしてるわよ」
とビアンカが即答した。
「かなりの頻度で」
「えー」
Qじいは肩を揺らして笑ったが、その目の奥の心配は消えていなかった。
⸻
日が傾き始め、ようやく整備が完了した。
三人が搭乗する。
飛行艇の内部は、外見以上に頑丈で機能的だった。
金属骨格に囲まれた狭い通路。
固定具の付いた座席。
窓の外には波が近い。
エンジン始動の合図。
一発、二発、三発、四発。
順に点火された機関が、重く、しかし力強く回り始める。
低い唸りが機体全体へと伝わった。
「うわ……」
ミアは窓に顔を寄せた。
機体がゆっくりと水上を滑り出す。
船のようでもあり、そうではない。
速度が上がる。波しぶきが窓を流れる。
さらに速度が増す。
「浮く?」
ミアが息を呑む。
次の瞬間、飛行艇の船体が水面からふっと軽くなった。
抵抗が消え海が下がる。
そして離水。
「……飛んだ!」
ミアの声が弾んだ。窓の向こうで、桟橋が、基地が、海岸線がみるみる遠ざかっていく。
下では、Qじいが片手を上げていた。
その足元でコラージョが落ち着かないようにゴロゴロと鳴っている。
ミアは思いきり手を振った。
「いってきまーす!」
Qじいもそれに応えるように手を振る。
もう片方の手では、心配そうに喉を鳴らすコラージョの頭を優しく撫でていた。
「まったく……」
Qじいは小さく呟く。
「無事に帰ってこいよ」
飛行艇は朝の光を浴びながら、高度を上げていく。
銀の翼が海の上に長い影を引いた。
初めての任務。
初めての本格的な調査。
そして、初めて乗る空の船。
その先に待っているのは、単なる事故現場ではない。誰かが仕組み、誰かが得をし、誰かが沈められようとしている事件の核心だ。
ミアは窓の外を見つめたまま、胸の奥で静かに息を吐く。
高揚と、不安と、ほんの少しの期待。
それらを全部飲み込んで、飛行艇は南の海へ向かっていった。
続く




