第24話「技術屋の矜持」ースメラギから来た男(後編)
思わぬ形でソウジロウの招待を受けた2人。
ソウジロウの小型バイクの後ろを、コラージョで追う。
朝の街を抜け、やがて彼が向かったのは、レース滞在中に借りている倉庫だった。
大きな引き戸が開く。
中には、数台の整備中のレースバイクと、工具台、部品棚、そして湯気の立つ大鍋。
「オヤジさん、お帰りです!」
声をかけてきたのは、猫族の若い整備士。
その向こうでは、人間の女性技術員と、犬族のメカニックが一緒に何かを組んでいる。
ミアは目を丸くした。
「改めて見ると、犬族の技術員って珍しい」
「ローマンじゃそうかもしれねえが、スメラギじゃ普通だぜ」
ソウジロウはけろりと言う。
「向いてるやつがやる。それだけの話だ」
倉庫の空気は、油と鉄と湯気と、妙にあたたかな生活の匂いが混ざっていた。レースチームというより、町工場の延長のようでもある。
「お嬢ちゃんたち、朝ご飯どうぞ」
女性の従業員にそう言われて出されたのは、三角に握られたおにぎりと、湯気の立つ味噌汁だった。
ミアは一口食べて、目を見開いた。
「……おいしい」
それは本当に、心の底から出た声だった。
オカカの香り。ほどよい塩気。あたたかいご飯。そして味噌汁のやさしい湯気。
「……すごく、おいしい」
「気に入ったかい」
「うん!」
ミアは幸せそうに二個目へ手を伸ばした。ビアンカはそんな彼女を横目で見て、小さく笑う。
「完全に餌付けされてるわね」
「違うよ、感動してるんだよ」
「同じよ」
食事の場が少し落ち着いた頃、ソウジロウは作業台の上に置かれた一基のエンジンを見つめた。
その表情に、ふと影が差す。
「……決勝、正直ちっと厳しくてな」
ミアが味噌汁のお椀を置いた。
「何が?」
「俺達のマシンは四相脈動機関(4ストローク)なんだ」
その場にいた整備士たちも、少しだけ真顔になる。
「今のレースは連続脈動機関(2ストローク)が主流だ。あっちは一回転ごとに仕事をする。こっちは二回転で一仕事。出力勝負じゃどうしても不利になる」
ミアは興味深そうに身を乗り出した。
「でも決勝まで来たんでしょ?」
「そこは工夫した」
ソウジロウはエンジンの上を指で示しながら話し始めた。
「回転数を上げるために、ストロークを短くした。で、シリンダー数を増やした。さらに1気筒あたり4バルブにして、吸排気効率を稼いだ。高回転まできっちり回るように詰めたんだ」
技術者たちが黙って頷く。
「そのおかげで、なんとか勝ち進めた。だがよ……高回転域に入ると、どうも最後にパワーが抜ける。頭打ちじゃねえ。何かこう、上で息をしてねえ感じになる。原因がまだ掴めねえ」
ミアは瞬きした。
「でも、どうして4ストにこだわるの? レースなら普通、2ストの方が有利じゃない?」
ソウジロウは、その問いにすぐには答えなかった。少しだけ倉庫の中を見回し、従業員たちの顔を見てから口を開く。
「俺たちのバイクは、速いだけじゃ駄目なんだ」
その声には、さっきまでの軽さとは違う芯があった。
「誰でも簡単に乗れて、燃費が良くて、扱いやすい。そういうバイクを作りてえんだよ。町の連中が毎日乗れて、仕事にも使えて、壊れても直しやすい。そういうもんをな」
彼はエンジンを軽く叩いた。
「そのために、あえて4ストで勝負してる。レースで2ストに挑むのは、速さだけを追いかけるためじゃねえ。そこで得られたもので、みんなが喜ぶバイクを作るためだ」
ミアはその言葉を聞いて、少しだけ黙った。
不意に、遠い記憶が胸をよぎる。
油にまみれた手。図面の上で笑う父の横顔。
“すごいもの”を作ることが、誰かの暮らしにつながるのだと、当たり前のように信じていた目。
「……そっか」
ミアは静かに呟いた。そして立ち上がると、エンジンの前に歩み寄った。
「見せて」
ソウジロウは目を細めたが、すぐに頷いた。
ミアはバルブ周りを観察し、カム、スプリング、リフター、吸排気経路を見ていく。古代文明のアーカイブに記録された高回転機構の断片。そして、コラージョを作る過程で嫌というほど向き合った脈動効率と応答性。
数分後、ミアは顔を上げた。
「……バルブ」
「ん?」
「高回転でパワーが抜けるの、これだと思う」
周囲の技術員たちが一斉に動きを止めた。
「軽くした方がいい。今の回転域だと、バルブの追従が遅れてる。完全に開ききる前に閉じる側へ引っ張られて、流量が足りなくなってる。たぶん上で息してない原因、それ」
沈黙…それから、ソウジロウが目を見開いた。
「……あ」
隣の整備士も、別の整備士も、同じ顔になった。
「それだ」
「基本じゃねえか……」
「なんで見落としてた……」
誰かが額を押さえた。別の誰かが、悔しそうに歯を食いしばる。
ソウジロウはしばらく無言だったが、やがて深く息を吐いて笑った。
「情けねえなぁ。回転だ、流量だって先のことばっか追っかけて、一番足元を見てなかった」
「でも、分かったなら大丈夫だよ」
ミアが言うと、ソウジロウはまっすぐに彼女を見た。
「助かった。ほんとに助かったよ」
彼は頭を下げた。倉庫の技術員たちも、それぞれの形で礼を示す。
ビアンカはその光景を見ながら、ミアの横顔をちらりと見た。無邪気で、けれど本当に大事なことを見抜く目。技術屋としての顔だった。
ソウジロウが顔を上げる。
「お礼に、来週末の決勝、観に来な。特等席は無理でも、いい場所は用意してやる」
ミアの目がきらっと光った。
「行きたい!」
だが、言い切る前にビアンカが口を挟む。
「任務次第よ。多分、難しいかも……」
「ええー……」
「まだ何も決まってないのに浮かれないの!」
「うぅ……」
ミアは露骨にしょんぼりしたが、内心ではもう“絶対に行きたい”でいっぱいだった。
ソウジロウはそんな二人を見て、くくっと笑う。
「まあ、無理なら無理でいいさ。別の形でも礼はさせてもらう。連絡先、教えてくれねえか?」
ミアはホテルの滞在先と、自分の工房の住所を書いた。ソウジロウもまた、自分たちの宿の場所を伝える。
「決勝までに間に合わせてみせる」
整備台のエンジンを見ながら、彼は静かに言った。
その横顔は、朝ホテルの前で羽交い締めにされていた小柄な男とは別人のようだった。職人であり、社長であり、そして挑戦者の顔。
倉庫を出る頃には、日はすっかり高くなっていた。コラージョの横に立ち、ミアは名残惜しそうに倉庫を振り返る。
「……いい人だったね、ソージロー」
「そうね」
「おにぎりもおいしかった」
「そっちが主じゃないでしょうね」
「ちがうよ。半分くらい」
「半分は主なのね」
ビアンカが呆れたように言うと、ミアは少しだけ笑った。その笑顔の奥には、どこか遠い記憶の気配が残っていた。
父の背中。技術に託した願い。速さの先にある、誰かの暮らし。
コラージョが低く、やわらかく喉を鳴らす。ミアはその車体を軽く撫でた。
「……決勝、見に行けるといいな」
ビアンカは答えなかった。ただ、空を見上げてから小さく肩をすくめる。
「任務が入らなければ、ね」
その言葉に、ミアはぱっと顔を上げた。
「それ、ちょっと可能性ある言い方!」
「期待しすぎないこと」
「でもゼロじゃない!」
「元気ね……」
二人を乗せて、黒い猫のような蒸気バイクが静かに動き出す。朝の光の中、その尾のような排圧管がわずかに揺れた。
次に彼女たちを待つのが任務か、休日の続きか、それともレース場の轟音か。まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――
技術屋たちの情熱は、国も種族も越えて、確かに繋がっているということだった。
続く




