第23話「技術屋ソウジロウ」 ―スメラギから来た男(前編)
国家保安情報局本部の一角。
特命チームに与えられた作業区画には、この日も朝から金属音と蒸気の匂いが満ちていた。
カン、カン、カン。
細い工具が金属板を叩く軽い音。低く唸る圧力計。
そして、どこか機嫌のよさそうなコラージョの喉鳴りにも似た振動音。
「……うーん」
作業台に身を乗り出したミアが、顎に指を当てる。彼女の前には、分解途中の蒸気核制御ユニットと、手書きの図面が何枚も広げられていた。
図面の端には細かな文字で、小型蒸気核・小型反応複合機関/二輪用試験案と書き込まれている。
その横で、Qじいがゴーグルを額にずらしながら鼻を鳴らした。
「また変なもんを描いてるな」
「変じゃないよ。合理的だよ」
「合理的な設計図は、普通こんなに余白に猫の落書きはせん」
「これは機嫌のいいコラージョ」
「違いが分からん」
ミアはふふんと鼻を鳴らし、図面の中央を指で叩いた。
「見て。ここ。蒸気石から出た高圧蒸気を蒸気核で整流して、そこからさらに小型反応増幅器に入れるの。で、必要な時だけ圧力を持ち上げる。常用出力は安定、瞬間出力は跳ねる。しかも核脈動の位相が合えば――」
「合えば?」
「すごい」
「説明を放棄するな」
Qじいが呆れた顔で言うと、ミアは胸を張った。
「すごいものは、すごいんだよ」
「技術屋の言葉とは思えん」
「Qじいもよく言うじゃん。『なんかこう、いい感じに』って」
「言っとらん」
「昨日言ってた」
「……言ったかもしれん」
Qじいは小さく咳払いして、図面を引き寄せた。
古代文明のアーカイブから抽出した構造情報と、現代の加工精度で再現可能な部位とを、彼は驚くほど正確に仕分けていく。
ミアの知識は飛躍している。
だが、その飛躍を現実の部品に落とし込むには、経験と勘がいる。それを補うのがQじいの役目だった。
「この複合機関の発想は面白い。蒸気核で脈動制御して、小型反応器で圧を増幅する……理屈は分かる。じゃがな、問題は冷却じゃ。ここを甘く見ると車体ごと蒸し焼きになるぞい」
「そこは二系統冷却で」
「配管が増える」
「軽量化する」
「強度が落ちる」
「補強する」
「重くなる」
「うっ……」
Qじいが勝ち誇ったように片眉を上げた。ミアは悔しそうに頬を膨らませる。
「技術ってめんどくさい」
「そこが面白いんだろうが」
「……それは、そう」
少しだけ真面目な顔になったミアは、別の紙を持ち上げた。そこにはコラージョの後部構造と、特徴的な黒い尾のような排圧制御管の図が描かれている。
「こっちは現装備の改良案。尾部排圧制御管の応答を、もう少し細かくしたい。いざって時にバルブ閉鎖とか姿勢制御とか、あれ一本でやってるから」
「欲張りすぎるな」
「便利なんだもん」
「便利の代償が整備性の悪さだ」
「そこはQじいが頑張る」
「私に丸投げするな」
そんな二人のやりとりのすぐ横で、コラージョが低くゴロゴロと振動した。まるで会話に参加しているかのような音だった。
ミアがくるりと振り返る。
「聞いた? 今、コラージョも『そうだそうだ』って言った」
「言っとらん。だが……」
Qじいは車体を見上げて、目を細めた。
「お前さんの機体は、妙に表情がある」
ミアは少しだけ誇らしげに微笑んだ。
⸻
一方その頃。
別の訓練区画では、ビアンカがサムの前に立っていた。
机の上には、小型暗号器、偽造身分証の作成見本、隠し刃付きの革手袋、そして数種類の携行用装備が整然と並べられている。
「諜報活動は、拳銃を撃つ前に終わっていなければならない」
サムが静かに言う。
「理想論ね」
「理想を現実にするのが訓練だ」
ビアンカは腕を組んだまま、机の上の装備を眺めた。
「つまり、見つかる前に見つけて、撃つ前に勝てってこと?」
「そういうことだ」
「あなたにしては分かりやすい言い方」
「きみが回りくどい説明を嫌うからだ」
「助かるわ」
その後もビアンカは、尾行の基本、接触時の距離感、暗号通信の取り扱い、短銃と格闘の連携など、実に幅広い訓練を受けることになった。
実戦経験は十分にある。だが、それはあくまで兵隊とスチームハンターとしてのものだ。
組織的な諜報活動となると、話は別だった。
「休暇中でも、観察をやめるな」
最後にサムがそう言った時、ビアンカはわずかに眉を上げた。
「休暇中まで仕事?」
「公務員の休暇は、完全な無防備を意味しない」
「嫌な言い方」
「ただし」
サムは小さく肩をすくめた。
「きちんと休め。判断力は睡眠不足から先に壊れる」
ビアンカは一瞬だけ目を瞬かせた。それから、少しだけ可笑しそうに笑った。
「……そういうことを先に言えばいいのに」
⸻
特命チームが結成されて数日。緊張の連続かと思われたが、意外にも大きな指令はまだ降りてこなかった。
正式に編成された以上、制度上は勤務も管理される。
その結果、ミアとビアンカの前に現れたのは――
週休二日。
「公務員ってすごい……」
休みの前夜、ミアはしみじみと呟いた。
「そこ感心するところ?」
「だって、休んでいいんだよ? しかも怒られない」
「普通よ」
「スチームハンターには普通じゃないでしょ」
ビアンカは苦笑した。
確かに、スチームハンターになってから、依頼があれば昼夜もなく動くのが彼女のこれまでだった。それを思えば、“休んでいい”と制度で保証されているのは、海兵隊にいた時以来の感覚だった。
そして休み初日の朝。まだ日が高くなりきる前の時間。宿舎代わりのホテルの外から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと待ってくれって! おいら怪しいもんじゃねえってば!」
「止まれと言っただろう」
「だから止まったじゃねえか!」
「視線が怪しかった」
「バイク屋が珍しいバイク見て目ぇ止まるのは職業病だろうが!」
その声に、ミアとビアンカは顔を見合わせた。
「……朝から賑やかね」
「見に行こ」
二人が外へ出ると、ホテルの前で大柄な男が一人、小柄な犬族の男を羽交い締めにしていた。
護衛の一人、ジョー・スミサーズ――ミアの命名では“ジョーズ君”である。ジョーはいつもの無表情のまま、がっしりと男を拘束していた。
対して捕まっている方は、四十代ほどに見える柴犬系の犬族の男。黒縁眼鏡に白いつなぎ姿。ややくたびれた印象だが、目だけは妙に鋭い。
その横には、一台の小型バイクが停められていた。タンクには力強い文字で、“YONEDA”のエンブレム。
全体の雰囲気は小柄で実用的。どこか端正さと愛嬌があって、ミアでも無理なく扱えそうなサイズだった。
「ジョーズ君、なにしてるの?」
ミアが訊くと、ジョーは拘束したまま答えた。
「周辺を不審に観察していた」
「見てただけじゃねえか!」
犬族の男が叫ぶ。
「おいらぁただ、あの黒いのを見てただけだ! あんなバイク見たら技術屋ならそりゃ止まるって!」
ミアはちらりとコラージョを見た。コラージョは特に警戒した様子もなく、むしろ静かにしている。
「……コラージョ、怒ってないね」
「怒るバイクってのも変だけどね」
とビアンカが即座に突っ込む。
「ジョーズ君、たぶん大丈夫。この人、ほんとにバイク見てただけっぽい」
ジョーは数秒、犬族の男を見下ろしていたが、やがて手を離した。
「妙な真似はするな」
「しねえよ! いててて……」
解放された男は肩を回し、つなぎについた埃を払った。
それから、咳払いを一つして姿勢を正す。
「悪ぃな。朝っぱらから騒がしくしちまって。おいらぁソウジロウ・ヨネダ。スメラギから来た、バイク屋だ」
言葉遣いは軽快で、歯切れのよさがある。
ビアンカが小型バイクのエンブレムを見る。
「ヨネダって、もしかして社長さん?」
ミアが目を輝かせた。
「スメラギ!」
「おう。まあ、形としてな。あんたらがこいつの持ち主かい?」
ソウジロウは、慎重に、それでいて隠しきれない興味を込めてコラージョを見る。
「そうだよ。私はミア。こっちはビアンカ」
「ビアンカよ」
「へぇ……」
ソウジロウはコラージョの車体をぐるりと見回した。鋭い観察眼だった。ただの物珍しさではない。構造を読もうとする目だ。
「こいつぁ……ただの蒸気バイクじゃねえな。蒸気核の脈動制御、かなり詰めてある。排圧制御も変則的だ。尾っぽみてえな管まで付いてやがる」
ミアは一瞬だけ目をぱちくりさせた。
「分かるの?」
「そりゃ、技術屋だからな」
少しだけ得意げに笑ってから、ソウジロウは声を落とした。
「で、こいつの心臓んとこだが……妙な配管がある。蒸気核だけじゃねえ。何か、加速時に別系統の押しが入るだろ?」
ビアンカがちらりとミアを見る。
ミアは一瞬だけ考え、にこっと笑った。
「うん。そこはカスタムしてる。一般的な加速ブースターの応用だよ」
完全な嘘ではない。しかし、核心でもない。ソウジロウはその説明を聞いて、あえてそれ以上は踏み込まなかった。
技術屋同士の距離感なのかもしれない。
「なるほどな。面白ぇこと考えるじゃねえか」
今度はミアの方が、ソウジロウのバイクに近づいた。
「こっちも見ていい?」
「おう、もちろん。見てくれよ」
ミアはバイクの周りをゆっくり歩き、車体を観察する。小柄で軽そうなフレーム。扱いやすさを最優先したような構成。奇をてらわず、しかし細部の詰めは丁寧だった。
「……乗りやすそう」
「だろ? 小柄なやつでもちゃんと扱えるようにしてある」
「いいなあ」
ミアがぽつりと呟くと、ソウジロウは嬉しそうに頷いた。話をしていくうちに、彼がローマングランプリに参戦していること、そして来週末の決勝レースに進出したことが分かった。
「決勝! すごい!」
「まあな。死にものぐるいで勝ち上がったんだ」
「レース屋さんなんだ」
「レース屋でもあるし、町のバイク屋でもある。そっちが本業だな」
先程スメラギという言葉が出た事で、ミアはふと思い出したように言った。
「私、前にスメラギ行ったことあるよ。古い遺跡を見に」
その瞬間、ビアンカがわずかに反応した。
スメラギ…東方大陸にある、ミアの過去に触れる地名だ。
だがミアは、あまり深い意味を持たせるでもなく、明るい調子のまま続けた。
「食べ物、おいしかったなあ。特にオカカの入ったおにぎり。あれ、すごく好き」
「おっ、分かってるじゃねえか!ウチの猫族の連中も目が無くてな」
ソウジロウがぱっと顔を輝かせる。
「よし、バイクの事を話してくれた礼だ。朝飯、ご馳走してやる」
「え?」
ミアとビアンカが同時に首を傾げた。
「この時間、レストラン開いてないよ?」
「店じゃねえさ。おいらのとこに来りゃ食える」
ソウジロウはそう言って自分のバイクに跨った。
続く




