第22話「技術の隔たり」-特命チーム結成
国家保安情報局本部
装備開発部・主任技師個室
ミアの手首の上に展開された青白い表示面が、静かに明滅していた。
複数の波形。
数値列。
同期状態。
内部演算ログ。
そしてコラージョの機体情報。
誰も、すぐには口を開かなかった。
クエンティンだけが、その表示を一歩も動かず見つめている。その目は見開かれていたが、そこにあるのは混乱ではない。
解析。
理解。
追跡。
技術者としての、むき出しの知性だった。
やがて彼は、低く呟く。
「……幻灯機?いや、投影式表示ではないな」
サムが小さく息を吐く。
「そこからか」
ビアンカが呆れたように言う。
「私ならまず“何これ”で止まるわ」
ミアは少しだけ笑った。
「思ったとおりの反応ね、Qじい」
クエンティンは表示面から目を離さない。
「光の位置が不自然だ。外部投影なら角度によって揺らぐ。だがこれは違う、視界補正……いや、観測位置に合わせて情報層を固定している?」
ミアが目を瞬かせる。
「そこまで分かるの?」
「分かる」
即答だった。
「だが、理解はまだしていない」
クエンティンはゆっくり一歩近づく。
「触れても?」
ミアは少し迷ってから頷いた。
「表示には触れないで。見るだけにして」
「わかった。十分だ」
クエンティンは身を屈める。
波形を見る。
数値列を見る。
同期ログを見る。
視線の動きが明らかに速くなっていく。それは戸惑いではない。思考している。
「……おかしい」
小さな声。
「何が?」
サムが聞く。
クエンティンは返事をせず、机の上のメモ用紙を掴むと鉛筆を走らせ始めた。
ガリ、ガリ、ガリッ――
書かれていくのは、円、位相差、圧力曲線、補正値、遅延予測。
「通常の蒸気制御ではない。機械式でもない、電気式とも違う。演算が速すぎる……いや、速いというより……」
そこで彼の鉛筆が止まる。
「予測している?」
ミアが頷く。
「補助演算してる。全部じゃないけど」
クエンティンの目が鋭くなる。
「演算主体はどこだ?」
ミアは一瞬だけ黙った。
サムが横から言う。
「答えられる範囲でいい」
ミアはコラージョに目を向けた。
「分散してる。ブレスレットだけじゃないわ。コラージョ側にもあるし、スチームパック側にも」
クエンティンの鉛筆がカタンと机に落ちた。
「……分散処理」
サムが聞き返す。
「何だそれは」
クエンティンは紙に描いた複数の円を線で結ぶ。
「通常の解析機関は、一か所で考える。だがこれは違う。複数の演算核が役割を分担し、同時に処理している。だから遅延がほぼ無い」
ビアンカが眉をひそめる。
「つまり?」
クエンティンは言った。
「今の時代の技術じゃない」
部屋の空気が静かに張り詰めた。
ミアはその反応を見て、とうとう観念したように小さく息を吐いた。
「……そうよ」
クエンティンが顔を上げる。
ミアは真正面から彼を見た。
「Qじい…それ、古代文明発祥の技術」
沈黙。
サムもビアンカも黙ったまま、クエンティンの反応を見る。彼はしばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。
「……なるほど」
その声に、軽視も否定もなかった。
「だから今の理論体系からはみ出しているのか」
ミアは頷いた。
「全部じゃないけど…でも、核の部分はそう」
そしてコラージョの前にしゃがむ。
「コラージョ、お願い」
ゴロゴロ……
黒鉄の猫が低く鳴く。その口元が静かに変形し、内部から小さな収納ケースがせり出した。ミアはそれを取り出し、机の上に置く。
パチン、と開く。
中には、薄いカードサイズの板が七枚。金属とも石ともつかない質感。表面には複雑な回路のような光が埋め込まれている。
サムが息を呑む。
「これが……量子AIプロセッサー」
ミアが言った。
「十枚あったうちの残り。三枚はもう使ってる。一枚はコラージョ、一枚はスチームパック、一枚は予備の小型リアクター」
クエンティンはケースの中身を見つめたまま、微かに呟く。
「量子と言ったか?……」
その声色が変わった。今度は、ただの驚きではない。彼の専門の一端に触れた時の声だ。
「量子力学と量子論は、今の学界でもまだ仮説だらけだ。物質は連続しているように見えて、実際には飛び飛びの状態を取る」
「光は波であり粒子でもある」
「観測の仕方で振る舞いが変わる」
「位置と運動量は同時に正確には定められない」
「つまり、我々の常識的な機械論がそのまま通用しない領域だ」
ビアンカがぽかんとする。
「……急に難しいわね」
サムがぼそりと。
「私も途中から置いていかれた」
クエンティンは気にせず続けた。
「だが、理論としては理解できる。極小の世界では、複数の状態が重なり合う。そして観測によって一つに定まる」
「もしその性質を演算に使えるなら…」
彼の目が、ケースの中のカードに釘付けになる。
「今までの解析機関とは比較にならん」
一拍。
「だが、“AI”とは何だ?」
ようやく、そこに引っかかったらしい。
「人工知能……か?私は人工知能の概念を、物語の空想以上には理解していない。前に孫に読んでやった絵本や小説には出てきたがな」
ミアはケースを閉じながら少し考えた。
「私も全部は理解してない。でも……」
コラージョの頭を撫でる。
「簡単に言うと、考えるための仕組みを機械の中に作る感じ」
クエンティンが眉をひそめる。
「計算機関とは違うのか?」
「違う」
ミアは言う。
「ただ答えを計算するだけじゃなくて、状況を見て、選んで、学んでいく。人の脳を真似するって言えば近いかな」
サムが聞く。
「つまり、コラージョは自分で考えてるのか?」
ミアは少しだけ言葉を選んだ。
「完全に人と同じじゃない。でも、ただの自動機械でもない。この子は状況を見て、自分で判断して動く。危ない時に先に反応したり、私が言わなくても守る動きをしたりする」
ビアンカはコラージョを見る。その視線には、前から抱いていた疑問が滲んでいた。
「……やっぱり」
小さく呟く。
ミアが振り向く。
「何?」
ビアンカは少し迷ってから首を振った。
「なんでもない」
だが彼女の中では、答えが形になりつつあった。
ミアが最初にこの機体を『コラージョ』と呼び始めた理由。そして、このバイクの中には、単なる制御機構以上の『誰か』がいるのではないか、という予感。
ただ、それを今ここで口にすべきではないとも理解していた。ミア自身も、その核心までは話していない。いや、話せないのだろう。
クエンティンはそこまで踏み込まず、別の角度から考え始める。
「なるほど……量子演算基盤の上に、状況選択と学習の層を重ねているのか。だから制御遅延が無いだけでなく、状況への適応が異常に速い。」
ミアが少しだけ目を丸くする。
「Qじい、そこまで分かるの?」
「理屈が見えれば、その先は追える。全部は追えんがな」
クエンティンはそこで初めて、心底悔しそうに息を吐いた。
「……これを作った文明は、我々の“延長”ではない。別の枝だ。しかも、かなり先にいる」
サムが静かに言う。
「再現はできるか?」
クエンティンは即答した。
「無理だ。少なくとも完全にはな、理論は部分的に推測できる。だが材料も、加工精度も、何より思想が違う」
「思想?」
ミアが聞き返す。
クエンティンは紙に描いた複数の円を指で叩く。
「今の蒸気技術は中心が一つだ。蒸気核があり、機関があり、制御弁がある。つまり“主従”だ」
「だが君のこれは違う。複数の核が横に繋がり、一つが止まっても全部が止まらない。兵器や武器…破壊に使う思想ではない」
一拍。
「文明的な思想だ」
ミアの目がわずかに揺れる。局長の言葉と重なったのだろう。クエンティンは続ける。
「兵器は壊すために最適化される。だがこれは違う、壊れないために組まれている。止まらないために、そして生き残るために」
ミアは小さく微笑んだ。
「……そこまで分かるんだ」
「分かりたくなくても分かる」
クエンティンは苦い顔をする。
「私は技術者だ」
サムが壁から背を離す。
「クエンティン」
「局長から、新しい特命の話は聞いているな」
クエンティンの表情が実務のものに戻る。
「ああ」
サムはミアとビアンカを見る。
「局長から正式に命令が出た。私たちは新しい特命チームとして動くことになる」
ビアンカが表情を引き締める。
「……内容は?」
サムは指を折るように整理して告げる。
「一つ、引き続き資源管理局の内務調査。二つ、アーリア・インダストリーの調査。三つ、これから想定される破壊工作活動の防止と対処。四つ、装備開発部と共同で、この特命に必要な装備の開発」
ミアが目を瞬かせる。
「装備開発部と共同……つまりQじいと一緒ってこと?」
「そういうことだ」
サムは頷く。
「メンバーは私、ミア、ビアンカ。それから…」
少し間を置く。
「ハンス・モレンカンプ」
ビアンカが聞き返す。
「もしかしてギヤ爺のこと?」
サムは言った。
「彼の本名だ」
ミアが吹き出す。
「ジジイ、そんな格好いい名前だったの?」
ビアンカも少し笑う。
「初めて知ったわ」
クエンティンは腕を組む。
サムが続ける。
「以上の四人と一台で編成する、局長直轄の特命チームだ」
部屋が静かになる。笑っていられる話ではない。だが同時に、もう後戻りはできないという現実が、はっきり形を持ってそこにあった。
ミアはコラージョに手を置いた。黒鉄の装甲は、静かに熱を持っている。
「……分かった。…やるわ」
ビアンカも頷く。
「ここまで来たらね」
クエンティンは小さく息を吐いた。
「なら装備の件は私が見る。いよいよ、この発光煙幕発生器の出番かな?」
沈黙。
次の瞬間、サムが吹き出した。
ビアンカは額を押さえ、ミアは大笑いする。
「Qじい、それ本気で言ってるの?」
「私は冗談は言わん」
コラージョが低く鳴く。
ゴロゴロ……
その音は、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。
こうして、未知の技術と国家の思惑を抱えた小さなチームが動き始めた。
その先に待つのが、破滅回避か、さらなる混乱かまだ誰にも分からない。だが少なくとも今、彼らは同じ方向を向いていた。
続く




