第21話「Qじい」-奇才の主任技師(後編)
国家保安情報局本部
装備開発部・主任技師個室
外の作業場ほど雑多ではないが、それでもここも十分に『工房』だった。
壁一面の棚には整理された図面と部品箱。
中央の机には分解途中の装置、測定器、そして読みかけの専門書が積まれている。
ミアの問いかけに、クエンティンが呟く。
「『時代』を抜きにした『技術』か…」
クエンティンは椅子に腰を下ろしたまま、改めてコラージョを見る。その視線は、表面をなぞるようなものではない。
継ぎ目。
素材の癖。
構造の意図。
それらを一つずつ拾い上げていく目だった。
ミアはそれを見ていた。そして、小さく呟く。
「……やっぱり」
ビアンカが聞き返す。
「何が?」
ミアはクエンティンから目を離さずに言った。
「この人、ちゃんと見てる」
サムが壁際で腕を組んだまま言う。
「だから主任技師なんだ」
クエンティンは聞こえているのかいないのか、コラージョの尾部に視線を移したまま低く言う。
「尾部排気管の可動角度が大きすぎる。推進だけでなく、偏向制御にも使っているな」
ミアの耳がぴくりと動く。
「……正解」
クエンティンは今度は前輪周りを見る。
「前輪荷重の取り方も普通ではない。重心移動を補助している。操縦者が重心をずらす前に、機体側が先に反応する為だな?」
サムが小さく呟く。
「そこまで分かるのか」
クエンティンは短く答える。
「見れば分かる」
ビアンカは半分呆れたように言う。
「私は見ても全然分からないんだけど」
ミアは、ふっと笑った。
「……Qじい、すごいわね」
沈黙。
サムが目を閉じた。
ビアンカが口を押さえて顔を背ける。
クエンティンだけが、ゆっくりとミアを見た。
「……今、何と?」
ミアはきょとんとする。
「Qじい」
「クエンティンだと長いもの。Quentinで、Qじい」
ビアンカが咳払いした。
「ミア……それ、今つけたわよね」
「うん」
「軽いわね」
「でも分かりやすいでしょ?」
クエンティンは本気で面食らっていた。
「私はまだそこまで老いてはおらん」
「Qの方じゃなくて『じい』の部分に反応するのね」
ビアンカが思わず口を挟む。
サムが肩をすくめた。
「諦めろ。そういう相手だ」
クエンティンは眉間を押さえる。
「……初対面で人を略すな」
ミアは悪びれずに言う。
「でも、ちゃんと敬意はあるわよ」
「敬意?」
「あるから『Qじい』なの」
「また言いおった。孫にも言われたことが無いのに」
サムが笑いを堪えながら、
「新しい孫が増えたな」
クエンティンはしばらく何も言わなかった。
やがて、ため息まじりに呟く。
「……この子は嵐か」
コラージョが低く鳴く。
ゴロゴロ……
その音は、どこか面白がっているようにも聞こえた。
________
クエンティンは机の上の工具を一つ取り上げ、指先で弄びながら言った。
「では先に、君に聞こう」
「君にとって技術とは何だ?」
ミアは少しだけ首を傾げる。
「急ね」
「本題に入るなら、回り道は無意味だ」
「……そういうところ、やっぱりQじいよね」
「その呼び方は本当にやめたまえ」
「へへへ」
ミアは軽く受け流し、それから少し真面目な顔になった。
「私にとって技術は……」
一拍。
「人を守るためのもの」
クエンティンは黙って聞いている。
「便利にするためでもあるし、怖いことを減らすためでもある。だから私は、『進むためのもの』だと思ってる」
クエンティンの眉がわずかに動いた。
「進むため?」
「うん」
ミアはコラージョの頭を軽く撫でる。
「止めるためだけじゃない。生き延びるために、前に行くためのもの」
「それに……」
少し笑う。
「面白いし」
サムが横からぼそりと。
「最後の一言で全部ミアらしくなるな」
ビアンカも頷く。
「それがないと逆に怖いわ」
クエンティンは答えを数秒反芻するように黙っていた。それから、低く言う。
「……甘いな」
ミアの頬がぴくりと動く。
「何でよ」
「技術はそんなに優しくない」
クエンティンは机の上に工具を置いた。
金属の小さな音が響く。
「技術というのはな、夢じゃない。力だ。しかも、人間が自分の手で作った力だ。だからこそ危険だ。」
彼はそこで少しだけ身を乗り出す。
「私は、技術とは『鎖』だと思っている」
ミアが首を傾げる。
「鎖?」
「ああ」
クエンティンは頷く。
「力というものは、そのままでは危険物だ。きちんと繋いでおかないと、必ず噛みつく」
「理論。構造。手順、そして制御。それらで繋いで、初めて人間が使っていいものになる」
ビアンカが小さく呟く。
「……いかにもQじい……」
「君まで始めるのか……」
サムが小さく笑い、すぐ真顔に戻る。
クエンティンは気を取り直すように続けた。
「作る者は、『壊れる時』まで設計しておくべきだ。そこまで考えてようやく技術者だ」
ミアはしばらく黙っていた。
それから、少しだけ首を振る。
「……違うわね」
クエンティンの目が細くなる。
「何が」
「私は鎖じゃなくて、『手綱』だと思う」
今度はクエンティンが沈黙した。
ミアは続ける。
「全部を縛り上げたら、進めなくなる。でも完全に自由にしたら暴れる。だから、必要な時に引いて、進ませたい時は少し緩める」
「技術って、そういうものじゃない?」
コラージョが低く鳴く。
ゴロゴロ……
ミアはその音に頷くようにして言う。
「この子だってそう。止めるためだけに作ったんじゃない。
走るために作った。でも、走りすぎたら私が引く」
クエンティンはしばらく何も言わなかった。
部屋の片隅で、小型ボイラーの圧力弁が小さく鳴る。
シュー……
やがて彼は、ぽつりと呟いた。
「……手綱か」
サムが横から口を挟む。
「どうだ。少しは見直したか?」
「まだだ」
クエンティンは即答した。
「だが……」
一拍。
「危ういが、筋は通っている」
ミアが少しだけ口角を上げる。
「それ、褒めてるの?」
「褒めてはいない」
「でも半分くらいは認めたでしょ」
「半分だ」
「じゃあ残り半分も取る」
クエンティンの口元が、ほんの僅かに緩む。ビアンカがその変化を見逃さなかった。
「今、笑った?」
「笑っていない」
「笑ったわよ」
「見間違いだ」
「Qじいって意外と分かりやすいのね」
クエンティンはため息をついた。
「……本当に嵐だな」
ミアはその言葉を聞いて、少しだけ真顔に戻った。そしてクエンティンをじっと見た。
「でも、Qじいはちゃんと見てる。危ないって言いながら、否定はしてない。そこは信用できる」
クエンティンが眉を上げる。
「信用?」
「そう」
ミアは左手首に触れた。
「だから、ちょっと見せる」
サムとビアンカが同時にミアを見る。
サムはすぐに意味を理解した。
「ミア」
ミアはサムを見た。その視線は確認だった。ここまで見せていいか?この男に、ここまで踏み込ませていいか?
サムは数秒、クエンティンを見た。そして静かに頷く。
ミアは小さく息を吸う。
「Qじい、これを見て」
ミアはオープンモードでブレスレットを起動させた。
カチ……
小さな音とともに、ブレスレット表面が淡く発光する。
次の瞬間、青白い半透明の表示面が、ミアの手首の上に花開くように展開した。
複数の波形。
数値列。
同期状態。
内部演算ログ。
コラージョの機体情報。
部屋の空気が一変した。
ビアンカはもう何度目か分からない驚きの表情で息を呑む。サムは知っていてもなお、目を細める。
そして…クエンティンだけは、一歩も動かなかった。
だが、その目が見開かれていく。
「……何だ、これは」
その声は初めて、明確な驚愕を含んでいた。
ミアは静かに言った。
「私の技術の、核の一つ。まだ全部じゃないけど、ここから先は……」
一拍。
「本当に『技術』の話になるわよ」
クエンティンは表示面から目を離さない。その眼差しは、もはや警戒でも分析でもなく…純粋な、知の衝動だった。
続く




