83. 意志
翌朝、慣れない開拓村という事で日課の早朝ランニングを数年ぶりに休んだアンネリーゼは、素振りのみを済ませて顔を洗い領主邸に戻る。
アンネリーゼは部屋に戻るため階段を上がっていると、階上に人の気配を感じてそちらを見て微笑んだ。
「おはようレヴィ…いえ、おはようと言うにはあんまりな表情ね?」
「おはようございます…昨夜は寝付けず気付いたら朝日が昇っておりましたわ…」
欠伸を噛み殺すレベッカを見て苦笑したアンネリーゼは、階段を駆け上がり肩を抱く。
フラフラと頼りない足取りをしていたため、万が一にも階段から落ちないように支えたのだ。
「そんな調子では危ないわ…朝食まではまだ時間があるし少し寝なさい」
「ご心配をおかけして申し訳ありません…」
「良いわよ別に…何で寝付けなかったのかはだいたい想像がつくから。
どうする?起こしてあげるから私の部屋で少し休む?」
「そうですわね…ではお願いいたしますわ」
うつらうつらと船を漕ぎながら辛うじて答えたレベッカに苦笑し、アンネリーゼは体勢を整えながら歩き出す。
「部屋に戻ったらミレニアにお茶を淹れて貰いましょう…生姜と蜂蜜を入れると身体が温まるし寝付きも良くなるわ」
「生姜と蜂蜜ですか?それは楽しみですわ」
「それを飲んだらゆっくり寝て、昼から村を見に行きましょう。リーゼも貴女とお出掛け出来ると喜んでいたわ」
「それは寝不足のままではいけませんわね」
「でしょう?もしすっぽかしでもしたら怖いわよ…あの子を宥めるのって本当に大変なんだから」
二人はくすくすと笑い合うと、部屋に辿り着いたアンネリーゼは入ってすぐにターニャにお茶を頼んだ。
お茶の用意が出来る間二人は向かい合うように座る。
面と向かい合ったことで緊張したのか、レベッカはそわそわと落ち着きなく目を泳がせ始めた。
「どうかしたの?」
「いえ、その…いざとなると緊張してしまって…」
「何か聞きたいことがあるのなら遠慮なんかせずに聞きなさいな…答えられるかどうかは内容次第だけれど」
苦笑するアンネリーゼに目を合わせられず俯いたレベッカは、目の前に差し出された生姜の香りのする紅茶を一口飲んで喉を潤し、意を決して切り出した。
「あの…昨日あの後カミラさんから聞いたのです…貴女が抱えているものは私達が思うよりも遥かに大きいと。
お恥ずかしながら、それが何か気になってしまい寝付けなかったのです…貴女はいったい何を抱えていらっしゃるのですか?」
「もう、あの子ったらおしゃべりね…まあ、いずれは話すつもりだったから別に良いけれど」
「教えてくださいますか?」
レベッカに尋ねられ、アンネリーゼは紅茶を一口飲んで目を伏せた。
「私としては貴女の覚悟を聞いてからと思っていたのだけれど、今の調子だと気になり過ぎた貴女が寝不足で身体を壊しそうだし仕方ないわ…」
そう言ったアンネリーゼは、言葉の割に楽しそうに笑い小さく息を吐いた。
「良いわ…教えてあげる」
その言葉にレベッカはハッと顔を上げたが、アンネリーゼの表情を見て息を飲んだ。
目の前にいるアンネリーゼには普段の温かみのある表情は一切無く、ただ彫刻の様に感情の伺えない無機質な笑みを浮かべていた。
「ただし、今から私が話す内容を絶対に他者に漏らさないというのが絶対条件よ…もし漏らしたら、例え友人である貴女と言えど私は容赦なく殺すわ…貴女の仲間達も、幼い弟妹も、罪なきベルタンの民も例外なく全てね…それでも聞きたいかしら?」
アンネリーゼから漂う憎悪の強さを感じ取り、レベッカは胸を締め付けられるような感覚に襲われる。
心臓が早鐘の様に脈打ち、深い水の中に沈んでいるかのように息が出来なくなった。
「アンネリーゼ様、そのくらいにしてあげなって…生まれ以外は至って普通の女の子に流石にそれはやり過ぎよ」
「私が普通じゃないみたいな言い方はよしてくれない?」
「普通じゃ無いでしょ…」
ターニャは涙目になりながら胸を押さえ震えているレベッカの背中を優しく摩り、悪びれもせずに答えたアンネリーゼに呆れの混じった目を向けた。
「あ、ありがとうございます…もう大丈夫です…」
「そう?辛かったら言ってね…あの人の辞書には加減て言葉は書いてないから、無理なら無理って言わないと本当にやめないわよ?」
「いえ、本当にもう大丈夫ですわ…教えて欲しいと言ったのは私なのですから、聞く義務と責任がありますわ…」
レベッカはターニャの手を優しく払い除け、真っ直ぐにアンネリーゼを見据える。
瞳には涙が浮かび唇は震えているが、その目には先程までとは違い確固たる意思が宿っていた。
アンネリーゼはそれを見て意外そうに目を見開くと、小さく笑った。
「うん、良いわね…そうでなくては私が友と認めた甲斐が無いわ。
さてと、まずはお茶を飲んで落ち着きなさい…脅しとかは無くちゃんと教えてあげるわ」
震える手てカップを持ったレベッカは、一口二口とゆっくり紅茶を飲む。
まだ温かい生姜の香りのする紅茶のおかげか、徐々に手の震えはおさまり、気持ちも落ち着きを取り戻していった。
「ありがとうございます…では、聞かせていただけますか?」
アンネリーゼは頷くと、目を閉じて語り始める。
「良いわ…まずは貴女がまだ掴みきれていないと言っていた帝国側の裏切り者達の黒幕についてだけれど、私は5歳の時には既に知っているわ…コンラートもつい先日辿り着いたけれど」
「5歳…確か貴女が魔力暴走を起こしたのが5歳でしたわよね…その後から人が変わったかのように活発になったと聞いておりますわ」
「そうね、確かに人が変わったかのように見えたのでしょうね…実際に変わっているのだから信じられないでしょうけど」
「そ、それはどういう…」
混乱を隠しきれないレベッカを見てアンネリーゼは悪戯っぽく笑い、紅茶を一口飲む。
「正確には17歳の私が5歳の私に死に戻ったというのが正しいわね」
「えっ…17…死に戻…??」
「ふふっ、信じられないでしょう?でも事実なの」
「に…俄かには信じられませんが、それが本当だとすれば貴女は17歳…あと4年で死ぬという事でしょうか?一体何故…」
「私が死ぬ原因は貴女も知っているんじゃない?」
しばらく考え込んだレベッカはハッと顔を上げ、アンネリーゼを見た。
「まさか…私達ですか…?」
「貴女は関係ないとは言い切れないけれど、正確には黒幕とそれに加担した貴女の国ね」
「そんな…」
レベッカが言葉を失い俯いたのを見たアンネリーゼは紅茶で喉を潤し話を続けた。
自分が何を見て、何を経験し、どの様に死んだかを。
死に戻りを経験し、何を考え、どの様に生きてきたかを包み隠さずありのままの全てを語った。
「…これが私が貴女の誘いを受けた理由…ベルタンを滅ぼしたい理由よ。
私は国を滅ぼしたあの男もベルタンも許しはしない…どんな事があろうとも私はこの復讐をやり遂げると誓ったわ…でも、先生に剣を教わり、レヴィ…貴女と出会った」
自分の名を呼ばれレベッカが顔を上げると、アンネリーゼは優しい表情で見つめていた。
「私は先生に出会わなければ、一切の躊躇無く何も知らないベルタンの民も全て殺していたでしょう…あの男と同じ様に。
レヴィ…私は貴女に出会わなければ、ベルタンにも貴女のように民に心を砕く王族がいるという事を知らなかったでしょう。
全てではないけれど、砕けていた私の心を接いでくれたのは間違いなく先生と貴女よ…私をただの狂人にさせないでくれてありがとう。
でもね、それでも私は殺す事をやめないわ…もうそうするしか止められないもの」
死に戻っていたのが5歳でなければ間に合わなかっただろう…もしくはアンネリーゼが17歳ではなく、もっと後にあの日が訪れていたのであればまだやりようがあったのだろう。
だが、現実はそうではなかった…全てが今更なのだ。
いくら17歳の精神を持っていようと5歳という子供の身体では出来る事は少なく、国を動かせる程の権力もない。
例え未来が分かっているとは言え、試行錯誤を繰り返し手探りだらけで8年もの時間を費やした。
前世とのズレはあるものの、現状は予定通り事は進んでおり、このままいけばベルタンは確実に攻めてくるだろう…これまでアンネリーゼはそのように動いてきた。
残された時間は約4年…坂道を転がり出した石が止まらぬように、水面に波紋が広がるように、一度動き出してしまったものは簡単には止められない。
しばらく目を閉じて思案していたレベッカは、ゆっくりと目を開いて真っ直ぐにアンネリーゼを見据える。
「アンネ、私と一つ約束をしてくださいますか?」
「貴女が私との約束を守ってくれるなら構わないわよ」
微笑むアンネリーゼにレベッカはこくりと小さく頷く。
「まだ貴女の言ったことの全てを信じられるという訳ではありません…ですが、今聞いた話を絶対に口外しない事を誓います」
「そうしてくれると助かるわ…私にだってこの手に掛けたくない命はあるもの」
「そのうえでお願いがあります…まだ幼い弟妹と私の仲間達、ベルタンの民には手を出さないと約束してください」
「あら、政敵はまだしもご両親や兄姉は良いのかしら?」
アンネリーゼが尋ねると、レベッカは少し迷いのある表情を浮かべながらもしっかりと頷いた。
「ええ、あの方達はもう止まりませんもの…相手が帝国でなかったとしても、ベルタンの現状を鑑みれば遅かれ早かれ必ずどこかに攻め入るでしょう。
私にとってあの方達は紛れもない家族です…ですが、だからと言ってそれを見過ごすわけにはまいりません…それでは何もせずに前世の貴女を死なせてしまった私と変わりませんから」
「ありがとう…でも、やはり辛いのではなくて?」
アンネリーゼが尋ねるとレベッカは苦笑し、ため息を吐いた。
「それはそうですわ…だって私への扱いはあまり良くないとは言え一応肉親ですもの」
「なら、貴女から心を込めた贈り物を渡せば良いんじゃない?もしそれをぞんざいに扱うようなら諦めもつくでしょ。
もしそんな事したら、情なんて容赦なく切り捨てれば良いのよ」
「…それ、実際にそんな扱いをされたら傷付きません?」
「えっ…普通に興味無くなるでしょそんな事する奴」
二人の間に微妙な空気が流れ、ターニャが新しい紅茶をカップに注ぐ音が室内に響き渡る。
「普通の人はアンネリーゼ様ほど割り切れないんですよ」
「私って普通じゃないの?」
ターニャがボソリと呟いた言葉にアンネリーゼは聞き返したが、ターニャはもとよりレベッカも何も答えなかった。




