84. 沽券
アンネリーゼの話を聞き終え、緊張の糸が切れたレベッカは忘れていた睡魔に襲われてしまい、座ったまま眠りに落ちてしまっていた。
朝食の時間を少し遅らせるようターニャに伝言を頼み、アンネリーゼ自らレベッカを抱き上げてベッドに寝かせると、その寝顔を見つめて苦笑する。
「本当に綺麗な子…体重を気にしていたけれど、心配する程でもないのに不思議なものね…私なんかより遥かに軽いじゃないの」
そう呟いたアンネリーゼは手を伸ばし、レベッカの頬を指で突く。
「んっ…」
「ふふっ、こうして見るとまだまだ子供よね…私と違って心も身体も13歳だものね…だというのに、随分と酷な事をしてしまったわ」
互いの利害が一致しているとは言え、自分を友人と読んでくれるまだ13歳の少女に肉親の命と民を天秤に掛けさせてしまった事に罪悪感を覚え、アンネリーゼは優しく頬を撫でた。
「貴女の手は汚させないわ…私が全部やってあげる」
頬に優しく触れる手が心地良かったのか、レベッカは寝返りをうちアンネリーゼの手に頬を擦り寄せる。
不意に手を握られ身動きの取れなくなったアンネリーゼは、苦笑してベッドの隣に膝を付く。
アンネリーゼが年相応の幼さの残るレベッカの寝顔を眺めていると、ターニャが部屋に戻りその光景に一瞬固まる。
「寝込みを襲うなら女性より男性にすれば?その方が皇后陛下も喜ぶでしょ」
「それでお母様が喜ぶと思うのなら貴女の頭の中は満開のお花畑ね…そんな事したら怒られるどころか睨まれただけで血反吐を吐散らかして死ぬわよ」
「おー怖…この国で一番怒らせたら駄目なのは皇后陛下かぁ…あのアンネリーゼ様がここまで恐るんだから、今のうちに乗り換えるべき?」
わざとらしくそう言ったターニャは、茶器を片付けながらアンネリーゼの手を握りながら眠るレベッカを見てニヤニヤと下品な笑みを浮かべる。
「そんな気も無いくせによく言うわね…仮にそんな事をしたら、この私が自ら舟を漕いであちらの世界にご案内するわ。渡し賃もいらないから大変お得で良かったわね」
「わぁ優しい!…なんて言うと思う?もし行くならアンネリーゼ様と一緒に向こう岸に渡るっての」
「あら、それは私と生涯を共にするという愛の告白かしら…レベッカが起きていたら喜びそうな展開ね」
「えぇっ、何それ…喧嘩したら気まずくなるし、私は愛だの恋だの面倒なのはゴメンだわ。仕事じゃないなら後腐れ無くその場限りの関係が一番よ。
私が言ってるのはアンネリーゼ様がしくじればどの道先は長くないんだし、どうせ死ぬなら一緒に死んだ方が賑やかで良いし渡し賃を肩代わりして貰った方がお得ってだけよ」
「それなら渡し賃を多めに準備しておかないと駄目ね…いくらくらい必要かしら?」
「さあ?足りなければ踏み倒せば良いでしょ」
「それもそうね…どうせ死んだ後のことだし、そっちの方が楽しそうだわ」
二人はレベッカを起こさぬように小さな声で笑い合うと、ターニャはレベッカの着替えの服を取りに行くため部屋を出て行った。
しばらくしてターニャが着替えを手伝うために付いてきたエマと共に部屋に戻ると、アンネリーゼは握られた手を離してベッドの端に腰を下ろし、寝息を立てているレベッカの肩を優しく揺らす。
「レヴィ起きてちょうだい、そろそろ朝食の時間よ」
「んっ…」
「忘れていたわ…レヴィは起きるのが苦手だったわね」
レベッカが一度眠るとなかなか起きないことを思い出し、アンネリーゼがため息を吐く。
すると、レベッカは珍しくすぐに頭を上げた。
「おはようございます…」
「あら、今日は珍しくしっかり起きれたわね…普段もこうならエマ達も楽なのではなくて?」
アンネリーゼが嫌味を言うとレベッカは渋い顔をしたが、視線をターニャに向けて微笑んだ。
「ターニャさんが淹れてくださった紅茶のおかげでしょうか?短い時間でしたが、少し眠っただけで先程よりはだいぶマシになりましたわ。
それにしても、ターニャさんとミレーナさんは見た目だけでなく所作なども完全に同じなのですから本当に凄いと思いますわ…先程淹れていただいた紅茶も、生姜と蜂蜜が入っていなければ違いが分からなかったと思いますもの…」
「そう出来るように特訓したしね…アンネリーゼ様が厳しいのなんの」
「別にそんなに言ってないでしょ?風評被害もいいところだわ…そろそろ名誉毀損で訴えようかしら…」
「やめてよね!第一皇女への名誉毀損とか一番軽くても死刑でしょ!?」
「冗談に決まってるでしょ?私はそんな器の小さい女じゃないわよ」
「アンネリーゼ様が言うと冗談に聞こえないから言ってんのよ…」
ターニャがうんざりとした表情で呟くと、アンネリーゼはそれを無視し、レベッカの手を取って立ち上がらせた。
「ほら、早く着替えましょう?せっかくエマも手伝いに来てくれたのだし、きっとリーゼも早くお出掛けしたくて首を長くして待っているはずよ」
「それは急がなければなりませんわね…貴女を見てリーゼロッテ殿下が拗ねた時の大変さは理解していますから」
レベッカは素早く立ち上がりベッドから降りると、姿見の前に陣取る。
それを見たアンネリーゼは呆れて深くため息を吐いた。
「あのねぇ、部屋の主より先に姿見を占領しないでくれるかしら…」
「良いではないですか、客人には譲るべきですわ」
「譲るのは善意でやるのであって、客人が催促するものではないでしょうに…まあ良いわ、今日は譲ってあげる」
二人はぶつくさと互いに言い合いつつ着替えを済ませると、朝食を摂るためターニャとエマを連れて部屋を後にした。
***
リーゼロッテに急かされて朝食を終えたアンネリーゼ達は集合前にガーランドとジェラールを部屋に呼び、昨日話した計画通り魔法で二人を入れ替える事にした。
リーゼロッテには部屋に忘れ物を取りに行くと言っているため、出来るだけ早く戻らなければならない。
「さてと、じゃあ今からやるわね」
アンネリーゼそう宣言するとジェラールが遠慮がちに手を挙げる。
「先日随分とご無理をなされたとお聞きしましたが、アンネリーゼ殿下は魔力は大丈夫なのですか?」
「んー…今の魔力量は6割ってところだから問題無いわ。
それにこの魔法は防音魔法の次によく使っているし、効率化も出来ているから最初の頃に比べて消費量はそれ程多くはないのよ。
気を遣ってくれてありがとうね…本当を言うとそういうのはガーランドに気付いて欲しいものなんだけど…」
ガーランドはアンネリーゼからの揶揄う様な視線を受けて蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
例えそれが冗談とは分かっていても、やはり主人から嫌味を言われるのは堪えるようだ。
アンネリーゼはその様子におかしそうに笑い、二人に魔法をかけた。
「はい、終わったわ」
「いやぁ、流石は殿下!」
「…そういうおべっかはやめなさいね、嫌味に聞こえるわよ」
「はい、すんません…」
ジェラールの姿になったガーランドが肩を竦めて小さくなると、アンネリーゼの背後で見ていたレベッカが噴き出した。
「ふっ…ふふふっ…ジェラールの姿でそういうのはやめてください…」
「そんな笑んでも…」
「私の沽券に関わる…気を付けてくれ」
「ジェラール殿は逆に真面目過ぎるわね…」
ガーランドに注意したジェラールだったが、アンネリーゼからダメ出しを喰らい少し悲しそうに肩を落とした。
「まさか真面目である事を指摘される日が来るとはな…」
「それだけガーランドは気が抜けてるのよ。
まあ、常に気を張っていざという時に使い物にならなくなるより私はだいぶマシだと思うわ。
人間は完璧ではないし、気を張り過ぎていては時間の経過と共に見落とす確率はどんどん上がっていくわ…そんな事になるくらいなら、適度に気を抜いて万全な状態を少しでも長く維持出来るようにするべき…と、私はそう思うわね。
だから私はガーランドくらいが護衛を任せるには安心出来て丁度良いのよ」
「ですが、それはアンネリーゼ殿下ご自身がお強いからこそかと…」
「言い方が悪くてごめんなさい、別に真面目なのが駄目って訳ではないの…貴方一人でレヴィを守らなければならない状況であれば、もちろん真面目である事に越した事はないわ…それは立派な貴方の武器だもの。
でも、今日は近くにガーランドだけでなく他の騎士達もいるわ…全員が全員常に全方位に気を張っているより、分担してその分心に余裕を持つべきということよ。
今日はガーランドはレヴィだけに、貴方は私だけに集中し、他の騎士達は全員で周囲を警戒する…ただそれだけよ。
帝都から連れて来た騎士達は皆私自ら選んだし、侯爵領の騎士達も優秀だから安心して任せなさい」
「承知いたしました」
「ふふっ、では今日はよろしくねジェラール殿」
アンネリーゼが笑いかけるとジェラールは一礼し、レベッカとガーランドもそれぞれ言葉を交わして部屋を出る。
四人が外に出ると、待ちくたびれたリーゼロッテが頬を膨らませてアンネリーゼに飛び付き、見上げてきた。
「お姉様遅いです!」
「ごめんなさいね、ガーランドがまたやらかしたものだから…」
「ガーランド!!」
「も、申し訳ございません…」
プンプンと聞こえて来そうなリーゼロッテに名前を呼ばれ、ガーランドに扮したジェラールは慌てて頭を下げる。
「ずっと待ってたんだからね!」
「はい、以後気を付けます…」
リーゼロッテにお叱りを受けるジェラールを見てまたもやレベッカが噴き出しそうになり、アンネリーゼは慌てて口を塞ぐ。
アンネリーゼはジェラールから横目で恨めしそうに睨まれ、声に出さぬよう口の動きだけで「ごめんなさい…」と呟いた。




