逃げ出した
時折木にしがみついた跡は見かけても足跡は見つからず、獲物の死体も見つからない。
行方不明の戦士がまだ生きているかもしれないという抱き始めたばかりの淡い期待が、鼻を突く刺激臭とリネが止めた足で一気に不安に戻る。
息を止めてリネの背から降りて、口元を左手で押さえながら匂いの元らしき崩れた肉塊に近寄り、一メートルほど距離を置いてしゃがみ、よく観察してみる。
黒や黄色に変色した腐った肉には無数の蝿と蛆が湧き、くすんだ色のあばら骨らしきものが砕けて刺さっている。
腐敗したような変色のわりにはまだ肉が瑞々しくかなりの刺激臭は放っていて、ぐちゃぐちゃ過ぎていつ誰が食べたのかもどうやって亡くなったのかもわかりそうにない。
手がかりはなかったと諦めて立ち上がった瞬間、周囲に浮かせた四つの鉄塊の一つが独りでにリネの頭上を勢いよく通り過ぎてリネの後ろの木の幹へぶつかり、鈍い音を響かせると、ぶつかった木に軋んだ音と共に傷が走る。
「リネ!」
即座に身体を元の巨駆に戻したリネが大きく口を開いて私を口の中にしまうと、全身の血が一方向に流れるような衝撃を覚えた。
「リネ!どうしたの!?」
返事はなく、再び反動のようなものを感じるとリネが私を地面に転がす。
私はすぐに立ち上がった周囲を確認するとアールネスの集落の中央の広場のような場所で戦士達が次々に集まってくる。
「エトゥトゥにやられたのですか!?」
恐らく戦士長さんが私のそばに駆け寄ってきてくれて、布で唾液まみれの私の顔を拭いてくれる。
「リネが突然私をくわえて、勝手に戻ってきてしまったんです。私にも何がなにやら…」
大人しいリネの方を見ると、顔を拭かれている間に子犬大に縮こまって尻尾を丸めて耳をを倒していて、怯えているように見える。
「やっぱり近くにいたんだね」
リネを抱き上げて小さな子供ををあやすように、身体を預けさせながら頭を優しく撫でてあげる。
「罠にかけられたのかもしれません…エトゥトゥについて詳しい方はいらっしゃいますか?お話をお伺いしたいのですが…」
「族長の他に詳しい方が一人だけいます。ついてきてください」
「ありがとうございます」
リネを抱いたまま集落の端の古い家に案内される。
「少しここでお待ちを」
「はい」
戦士長さんが扉代わりの布を捲って中に入っていき、少しして戻ってくる。
「どうぞ中へ、私はここで待っています」
「わかりました」
家の前に立ち、失礼しますと声をかけて布を捲ると、顔を大きな葉で隠した女性が部屋の奥の椅子の上にいた。
女性には四肢が無く、顔を隠す大きな葉以外に身に付けている物はなく、整った大きな乳房ときゅっとしたくびれと丸いお尻がまるで人形の胴体の部品のよう。
「その子竜、エトゥトゥに随分と怯えている。お前は私の姿にかな…いや違うな」
「私は賢者の杖のエリュ様の弟子のナズナです。この子は相棒のリネです。リネがこの通りなのでエトゥトゥについてお聞きしたくてお邪魔しました…」
とりあえず自己紹介をしたけど、大きな葉に穴とか無いのに見えているんだろうか。
「私は元族長のハルシラ。今は戦士も族長も引退して隠居の身だ。始めにはっきり言っておく。その子竜はは私にはどうにも出来ないぞ。そいつは自分はエトゥトゥに勝てないと本能で悟ってしまったのさ。お前を置いて逃げなかっただけましだろう」
「森での出来事を知っているんですか?」
「知ってるさ。族長も知ってるだろう。あれはお前達が自分を追ってきていることに気づいたエトゥトゥが仕掛けた罠で間違いないだろう」
「やっぱりそうだったんですね…」
「エトゥトゥに気づいただけはあるじゃないか」
「いいえ、あれは私が気がついたわけではなくて…説明出来ないのですが…」
「魔法の種明かしは聞かない。と言いたいが魔法ではないどころかお前はやはり人ではないな」
「はい…武器の精霊です」
「随分特異な魔力の持ち主が担い手だったのか?」
「はい…秘密でお願いします」
私についてどこまで知っているんだろう。
「別に他言はせん。お前がガンゼツの武器を持っていることはな……当たりだな」
やっぱり顔が見えてる?それとも心音とかが?
「以前、戦士と試合をしていただろう。それに雷獣様の雷も効かなかった。かつて魔王を倒したという勇者が持っていたというガンゼツの武器に相違ない。若かりし時、ガンゼツの武器だという槍を手にした時の絶望たるや…騙した男は金塊を返してくれたから半殺しで済ませてやったが、やっぱり殺しておくべきだったかなー…」
「あの…その槍ってまだあったりしますか?」
「一応魔法は斬れる良い武器ではあったからな。戦士達の訓練用に使っていたが壊れてしまって倉の奥だろうな」
「ガンゼツの武器ならば、エトゥトゥに効きますか?」
「効くだろうな。エトゥトゥの強力な魔法耐性もガンゼツの武器なら関係が無い。それと魔法生物の魔力の高さは知能の高さに比例するとも言われている。お前の盾に警戒していたようだったから余計な攻撃をせずに済んだのは良かったかもな」
「そうですか…エトゥトゥを誘き寄せる方法とかは」
「ない。奴はこの森の頂点だ。しかし悪魔になったエトゥトゥは別だ。異常な執着心でお前を狙うだろうさ。森でじっとしていれば向こうから近づいてくる」
「私のせいでここに来たりは…」
「私と族長がいればその可能性は低いだろう。エトゥトゥも匂いである程度強さを計ることができる可能性が高い。その証拠に六十年は集落に入ってきていない」
「それなら安心です」
「無理せず諦めても誰も責めん。それほどの相手だ。子供が殺されるところなぞ見たくない…久方ぶりの来客でちと舞い上がり過ぎた…休ませておくれ」
「ありがとうございました。お話出来て嬉しかったです」
「ああ…戦士長に森の地形を聞け。拓けたところへ誘い出すのが鉄則だろう」
「わかりました。それでは失礼します」
元族長さんの家を出て、戦士長さんに宿泊する家に案内してもらう道すがらに森の地形を聞いて三ヶ所に目星をつける。
北西のシライリの群生地、東にあるチチリの花畑、南西にある泉、エトゥトゥがジャガーのようだと感じた勇者の記憶の直感が正しければ泳げる可能性もある。
水に誘い出すことが出来れば波紋や飛沫でエトゥトゥの位置を探れるかもしれないし、もしもの時は空へと緊急離脱しやすい。
「…エトゥトゥが怖い?」
家の二階で寝転がりながらも私から離れずに抱かれ続けるリネに問いかけると、くぅーんと弱々しく鳴く。
「鼻が効かなくて気付けなかったのに驚いたのかな?確かに一枚上手だったかもしれないけど、まだわからないよ。私も子供達が助けてくれなかったらって思うと怖い…でも不思議とやる気なんだ。リネをいじめた悪魔は懲らしめないと」
人の味を覚えた獣は人を食べるようになってしまうからどっちみち戦士を襲ったエトゥトゥは見過ごせない。
戦士の人達も私よりずっと戦いなれた手練れの方々だ。そんな方達の中で一番強い人がもしもの時は任せろと言ってくれている。
やるだけやってみるだけだ。




